週末は雨の降らない今年の梅雨。都内巡りにはうれしい状況が続いています。
ここのところ三軒茶屋を中心に自転車で回ることが多かったのですが、今回は久しぶりに文京区の春日駅から出発です。
前回と同じジャイアントのスポーツ自転車を借りて、軽快に都内を疾駆するのです。今日のとりあえずの目標は中央区にある十思公園。
ここは、ここのところお付き合いの深まった吉田松陰が捕らえられ処刑された小伝馬町牢屋敷のあった場所なのです。神社や本に巡り会った縁尋の機妙の最後は、松陰先生ゆかりの場所に行く必要があると思ったのです。まずは松陰先生完結の旅路です。
※ ※ ※ ※
さて軽快に走り出したものの、まずは孔子様にあやかって湯島聖堂へお参り。論語をまた一から学ばなくてはだめですかね。
中央区へ向かう途中には久しぶりの秋葉原へも立ち寄りました。何年かぶりで地区内をうろついてみましたが、駅前は再開発ビルが建って全く様変わりをしていました。
しかし一歩中通りにはいるとそこには昔と同じく、秋葉原独特のオタク族っぽい人たちが闊歩するにぎやかな通りです。
電気街、パソコン街としての趣はやや薄れた感がありますが、それでも中古品やジャンク品の宝庫。ついつい中古パソコンを眺めているうちに、超掘り出し物と思われる一台を見つけました。
パソコン話はまた別の話題で書きますが、秋葉原は以前にも増して活気に満ちていました。ここには情報と話題とソフトが日々生まれているという印象です。アニメも、そこから派生するコスプレも、またそうした変化の仕方も「ジャパン・クール」なのです。
※ ※ ※ ※
さて、自転車はいよいよ中央区の十思公園へ到着。この公園は、表の太い通りには面していないので地図を持って、しっかりとゆく気にならないとちょっとわかりづらい場所。昔の小伝馬町牢屋敷はこの十思公園の隣の日本橋小学校の敷地も含めた広い場所だったようなので、日本橋小学校を目標にくると良いかもしれませんが。
公園は50m四方の、それほど広くはない児童公園のような有様です。しかしその奥に「留魂碑」が建てられていて、まさにここが松陰先生最期の地であったことがわかります。
今は静かなたたずまいの公園になっています。土地の記憶をとどめるには公園という形が一番良いのでしょうね。
勤王の志士の中では、橋本左内や頼三樹三郎(らい みきさぶろう)などもこの地で刑場の露と消えています。
志半ばの志士たちに 合掌。
※ ※ ※ ※
続いては先日視察で近くまで来ていながら楽しむところまでいかなかった、もんじゃ焼きで有名な月島界隈を自転車で回りました。
月島地区も家同士がくっついていて、家の前の通りがめちゃくちゃ細い密集地区の様相を呈していますが、こちらは道路がしっかりとした直線でただ細いだけの、計画的な密集地区といえるでしょう。
インターネット百科事典のWikipediaで「月島」を調べるとこのように出ていました。
***Wikipediaより引用***
月島(つきしま)は、東京都中央区にある地名である。
明治25年の「東京湾澪浚(みおさらい)計画」に基づき、東京湾から浚渫した土砂を利用して埋め立てられた、月島1号地(現在の月島一丁目から月島四丁目まで)として完成した。ちなみに月島2・3号地は勝どき、月島4号地は晴海である。
当時の月島は、富国強兵の国策に沿い鉄工業地帯とされていた。また、月島の名前は「築島」の字を変えたものといわれている。広義では、佃島(現在の住居表示で)佃、月島、勝どき、晴海を含む島を言う、縂面積は2.279km2[1]。
***引用終わり***
なるほど、「築島」から「月島」とはねえ。なかなかロマンチックな命名をするものです。
中通りは商店街になっているのですが、ここは「もんじゃ焼き通り」と言われているくらい、地元の名物であるもんじゃ焼き屋さんがたくさんあるところ。
「もんじゃ焼きって、美味しいところは美味しいけれど、不味いところに当たるとひどい目に遭いますよ」とは職場の同僚のアドバイス。
「じゃあどこがいいのか教えてくれませんか」「じゃあ調べてみましょう」ということで、紹介してくれたのがこちらの「近どう」という老舗のお店。老舗と言うからには古い店構えを想像していたのですが、実際は近代的なお店に変わっていました。
さすがに名物の味だけは見てきただけでは物足りないので、エビ・タコ・イカなどがボリュームたっぷりに入った特製もんじゃを注文。なるほど、これが月島もんじゃのお味ですか。非常に美味しくいただきました。
店内はグループやカップル連ればかりで、一人でのもんじゃ焼きというのはどうにも絵になりませんでしたね、ははは。
※ ※ ※ ※
月島を後にして、築地の場外市場、築地本願寺などを巡りつつ、帰路につきました。
最後に、以前近くまでいきながらついぞ見つけることのできなかった平将門の首塚へもお参りをしてきました。高層ビルの狭間にひっそりと祀られていましたが、やっとたどりつきました。
今日は吉田松陰先生の十思公園に始まって平将門の首塚にいたるお参りの旅。心残りを一つずつ消して行くと、この都会が少しずつわかってくるような気がします。
ここのところ三軒茶屋を中心に自転車で回ることが多かったのですが、今回は久しぶりに文京区の春日駅から出発です。
前回と同じジャイアントのスポーツ自転車を借りて、軽快に都内を疾駆するのです。今日のとりあえずの目標は中央区にある十思公園。
ここは、ここのところお付き合いの深まった吉田松陰が捕らえられ処刑された小伝馬町牢屋敷のあった場所なのです。神社や本に巡り会った縁尋の機妙の最後は、松陰先生ゆかりの場所に行く必要があると思ったのです。まずは松陰先生完結の旅路です。
※ ※ ※ ※
さて軽快に走り出したものの、まずは孔子様にあやかって湯島聖堂へお参り。論語をまた一から学ばなくてはだめですかね。
中央区へ向かう途中には久しぶりの秋葉原へも立ち寄りました。何年かぶりで地区内をうろついてみましたが、駅前は再開発ビルが建って全く様変わりをしていました。
しかし一歩中通りにはいるとそこには昔と同じく、秋葉原独特のオタク族っぽい人たちが闊歩するにぎやかな通りです。
電気街、パソコン街としての趣はやや薄れた感がありますが、それでも中古品やジャンク品の宝庫。ついつい中古パソコンを眺めているうちに、超掘り出し物と思われる一台を見つけました。
パソコン話はまた別の話題で書きますが、秋葉原は以前にも増して活気に満ちていました。ここには情報と話題とソフトが日々生まれているという印象です。アニメも、そこから派生するコスプレも、またそうした変化の仕方も「ジャパン・クール」なのです。
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さて、自転車はいよいよ中央区の十思公園へ到着。この公園は、表の太い通りには面していないので地図を持って、しっかりとゆく気にならないとちょっとわかりづらい場所。昔の小伝馬町牢屋敷はこの十思公園の隣の日本橋小学校の敷地も含めた広い場所だったようなので、日本橋小学校を目標にくると良いかもしれませんが。
公園は50m四方の、それほど広くはない児童公園のような有様です。しかしその奥に「留魂碑」が建てられていて、まさにここが松陰先生最期の地であったことがわかります。
今は静かなたたずまいの公園になっています。土地の記憶をとどめるには公園という形が一番良いのでしょうね。
勤王の志士の中では、橋本左内や頼三樹三郎(らい みきさぶろう)などもこの地で刑場の露と消えています。
志半ばの志士たちに 合掌。
※ ※ ※ ※
続いては先日視察で近くまで来ていながら楽しむところまでいかなかった、もんじゃ焼きで有名な月島界隈を自転車で回りました。
月島地区も家同士がくっついていて、家の前の通りがめちゃくちゃ細い密集地区の様相を呈していますが、こちらは道路がしっかりとした直線でただ細いだけの、計画的な密集地区といえるでしょう。
インターネット百科事典のWikipediaで「月島」を調べるとこのように出ていました。
***Wikipediaより引用***
月島(つきしま)は、東京都中央区にある地名である。
明治25年の「東京湾澪浚(みおさらい)計画」に基づき、東京湾から浚渫した土砂を利用して埋め立てられた、月島1号地(現在の月島一丁目から月島四丁目まで)として完成した。ちなみに月島2・3号地は勝どき、月島4号地は晴海である。
当時の月島は、富国強兵の国策に沿い鉄工業地帯とされていた。また、月島の名前は「築島」の字を変えたものといわれている。広義では、佃島(現在の住居表示で)佃、月島、勝どき、晴海を含む島を言う、縂面積は2.279km2[1]。
***引用終わり***
なるほど、「築島」から「月島」とはねえ。なかなかロマンチックな命名をするものです。
中通りは商店街になっているのですが、ここは「もんじゃ焼き通り」と言われているくらい、地元の名物であるもんじゃ焼き屋さんがたくさんあるところ。
「もんじゃ焼きって、美味しいところは美味しいけれど、不味いところに当たるとひどい目に遭いますよ」とは職場の同僚のアドバイス。
「じゃあどこがいいのか教えてくれませんか」「じゃあ調べてみましょう」ということで、紹介してくれたのがこちらの「近どう」という老舗のお店。老舗と言うからには古い店構えを想像していたのですが、実際は近代的なお店に変わっていました。
さすがに名物の味だけは見てきただけでは物足りないので、エビ・タコ・イカなどがボリュームたっぷりに入った特製もんじゃを注文。なるほど、これが月島もんじゃのお味ですか。非常に美味しくいただきました。
店内はグループやカップル連ればかりで、一人でのもんじゃ焼きというのはどうにも絵になりませんでしたね、ははは。
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月島を後にして、築地の場外市場、築地本願寺などを巡りつつ、帰路につきました。
最後に、以前近くまでいきながらついぞ見つけることのできなかった平将門の首塚へもお参りをしてきました。高層ビルの狭間にひっそりと祀られていましたが、やっとたどりつきました。
今日は吉田松陰先生の十思公園に始まって平将門の首塚にいたるお参りの旅。心残りを一つずつ消して行くと、この都会が少しずつわかってくるような気がします。