北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

少子化社会をちょっと考える(2/3)

2009-02-03 21:50:23 | Weblog


【少子化のデメリット】
 少子化がなぜ悪いのか、についてもいろいろな議論があります。年金問題、地域の活力、労働力不足などなど。しかし、地域格差という要素を踏まえると、少なくとも社会保障財政は地域レベルでの自立が不可能になるでしょう。

 いくつかの例外的な自治体を除けば、急速に高齢化する地方では現役世代の拠出が少ないだけでなく、資産も収入も少ない高齢者も多くなり、世代間でも世代内でも支えあうことが出来ない地域が増えるということになるのです。
 
 日本全体とすればまだよいとしても、地域間では社会を維持してゆけなくなる地方部と何とかやれる都市部との格差が急速に拡大することが予想されます。

 また家族格差のデメリットとしては、調査の結果実は「できれば結婚したい」と思っている人の割合は昔と比べてもほとんど減ってはいないわけで、その希望が果たせないということは自己責任の範囲を超えた社会問題ではないか、というもの。

 そしてもう一つは家を中心とした諸制度の見直しが必要になるだろうということです。このままの未婚率で推移すれば、例えば50年後には守る人のいないお墓がたくさんできることでしょう。
 墓は守ってくれる子孫がいることを前提とした社会装置なのですから。

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 さて次に、調査の結果として「結婚はしたいと思う人がそれなりにいるのになぜ結婚しないのか」という問題に移りましょう。ここで著者の山田先生は「家族形成に関する願望と現実のギャップ」が如何に生じてきたかを論じます。

 まずある人が結婚をして子供を生むためには必要な条件があります。考えてみれば実に当たり前の事実なのですが、それは
 ①お互いに結婚したいと思う相手に出会うこと
 ②子供を育てるのに十分な経済力があること、の二つです。

 しかしこの二点がこれまでの少子化の議論には全く欠けていました。それはこの二つは世の中には①の個人の魅力格差と、②の個人の経済格差があるということをおおっぴらに言わなくてはならないからで、政府としては格差の存在をできれば目立たせたくないということなのでしょう。

 ①の個人の魅力格差は社会的制度としては対処しようがありませんが、まずその存在は意識しておくことが必要でしょう。

 次に②の経済格差については、子育て期の若者の収入に格差がつき始めていることが大きな社会問題になりつつあります。

 多くの論者は、子供を産みたければ産むはずであり、どんなに低収入でも子供がいれば「幸せなはずだ」という仮定をおいていますが、実際には収入は子育てにとっての大事な必要条件であり、人間の幸せはそんなに単純ではないということです。

 この経済格差に関して山田先生は1994年頃から収入の低い男性は結婚しにくいということを指摘し続けてきたのですが、それに対しては行政やマスコミからさまざまな圧力がかかり、報告書からこの部分を削除した自治体もあったのだとか。

 その理由はこの事実を公表すると低収入の男性はますます結婚できなくなり、差別を助長するというものでした。しかしこの事実を認めなかったために少子化対策が10年遅れたのではないか、と考えています。

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 日本の少子化は1975年頃から始まったとされています。この年から結婚年齢の上昇や合計特殊出生率が低くなっているのです。そしてこの時期というのは、73年のオイルショック、74年のマイナス成長を経験した後で、このときから日本は年率3%程度の低成長時代に入るのです。

 そしてもう一つ、1980年代からの規制緩和によって農産物の自由化、大型小売店舗の規模拡大が起こり、中小零細の企業、農家、自営業の収入の伸びが総体としては期待できなくなりました。現実にはこの層から結婚難が出始めてきたのです。

 そしてさらに、ニューエコノミーの登場により最近問題になっている派遣労働なども制度として登場し、雇用は二極化しました。つまり、一部の能力のある者は男女を問わず高収入で優遇される一方で、単純なマニュアル化された労働も増え、こちらを担う人たちは生産性の上がらない低賃金でかつ不安定な非正規雇用に流れるという二極化です。
 そしてそれも、これらの構造変化が起きた前後の格差が起き、いわゆる中壮年より上の世代はリッチで、若年の若者にそのしわ寄せが押し寄せています。若年男性はいよいよ低収入を余儀なくされるという社会構造になってしまったのです。

 要するに1970年代後半からのグローバル経済に突き進んできた社会構造の変化は、若者への低賃金化と収入の不安定化をもたらし、結果として「将来の収入見通しがたたなくなった若年男性の大量発生」をもたらし、そのことに対して現状では全く手が打てないでいるという状態なのです。

【パラサイトシングルの登場】
 同時に、この頃から未婚が世間体として恥ずかしいという社会圧力が減少し始めました。親も不満な結婚をさせるくらいならそれまでの間家で同居をすれば良いという、いわゆる「パラサイトシングル」が登場します。

 日本には成人した後には親から独立すべきだという風潮が弱く、同居を認めやすい国柄です。そこで女性には希望を充たす男性の登場まで親と同居して出会いを待つという選択肢が残され、あえて急いで結婚をすることなくじっくりと「運のよい出会い」を期待する期間が長くなりました。

 当然結婚をはじめる初婚年齢が後ろへとずれてきます。

 パラサイトシングルがよくないと思われるわけは、リッチな親世代と同居を続けることで結婚生活への期待がどんどん高まる一方で、実際の結婚による収入ではそれだけの生活が出来ない現実に直面し、結婚を躊躇するという悪循環に陥ることなのです。

 しかし現実にはリッチな生活を営むため、というよりはむしろ、親にパラサイトしなくては経済的に立ち行かない状況に追い込まれていると理解すべきなのかもしれません。

 外国では低収入若者対策を政府として行っているところもありますが、日本ではそれを子供の世代よりはリッチな親が肩代わりして行っているというわけです。しかし親による家庭がバッファになって社会不安要素を吸収したために、問題は顕在化しないままに社会的な条件整備が遅れてしまったともいえるのです。

 しかし、そうしたパラサイト期間を過ごす間に年齢は確実に増しており、最近はパラサイト年齢が高齢化しています。男女ともに、結婚のための条件が悪化の一途をたどっています。



 うう…、解決策はあるのでしょうか? 
コメント
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