ある勉強会で、「ホームシェアをしている」という女子大生Nさんのお話を聞く機会がありました。
郊外型住宅地での社会問題の一つが独居老人と地域コミュニティの問題です。お年寄りが一人暮らしで地域社会との接点を失うと、孤独死のような問題が発生します。そうしたことに対して行政や地域でもさまざまな取り組みがなされつつありますが、ホームシェアとよばれるやり方もその一つです。
ホームシェアとは、具体的には一人暮らしのお年寄りが空いている部屋を学生さんなどに貸し、食事やお風呂なども提供する同居生活を営む、というものです。
話を聞いたときに、私も高校生のときにお世話になった「まかない付き下宿」と何が違うのだろうか、と思ったのですが、案の定まさにそんな感じの生活をしていたのでした。
Nさんは東京郊外の多摩市にある大学の修士1年生ですが、地方の大学を終えてこちらで修士として勉強をしようとしたときに、多摩ニュータウンでまちづくりを熱心にしている大学の先生から、「ホームシェアに興味はない?」と訊かれて、「住まいのお金も食事も安く済むので興味がある」と答えたのだそうです。
ところが最初は先生の側も、ホームシェアを受け入れてくれるお宅の当てがあったわけではなく、その後でやはり地域活動をしている方にお話をして、その方の尽力でHさんという69歳になる女性の一人暮らしのお宅が受け入れてくださることになったのだとか。
Hさんにはお嬢さんが二人いるのですが、一人は近くで結婚生活をしており、もうお一方は外国へ赴任しているということで、まさに一人暮らしのお年寄りというわけです。
とはいいながらHさんは地域活動には元々熱心で、市役所の委員会としてもよばれるなどのボランティア精神にあふれている方だったのだそう。最近はそうでもなければ、家に他人を入れるなんてする人は少ないかもしれませんね。
* * * * *
Hさんの家は、メゾネットタイプという、集合住宅ながら一軒のなかに一階と二階があるタイプ。一階はキッチン、リビング、トイレ、バスで、二階に部屋が三つあるタイプで延べ床面積は約80㎡だそうです。
ここに昨年の四月から同居生活をしているということですが、家主のHさんの方は若い人がいてくれるので心強いと思っているそう。Nさんの方は一月5万円という契約は、家賃と食費とすれば安いし自分で食事を作らなくてもよいので、とても満足しているそうです。
今はとにかく勉学に忙しくてアルバイトをする暇もないそうですし、近くに飲み屋さんがあってそちらで遅くなるということもないのだとか。なにしろこちらの家ではインターネットもする気にならないということなので、「まあ、きわめて気の合う二人が集まったんだね」ということのようです。
以前某新聞社も取材に来たそうですが、「ケンカとかはしませんか?何か事件は?」と訊かれて「ケンカもしないし事件もありません」と言ったところ記事にはならなかったそう。「新聞はなにか面白そうな話題がないとだめなようです」とNさんは笑っていました。
* * * * *
私も高校2年生のときに父親が別なまちへ転勤になりました。今だったら母親が残って父親だけが任地に赴く単身赴任が一般的なのではないでしょうか。しかしその頃はまだ家族は父親についてゆくということが当然だったので、高校を変わりたくない私が下宿をすることにしたものです。
今日下宿がなくなったというのは、プライバシーが保たれる一人住まいのマンションが増えたということやコンビニなどによって食事や買い物サービスが発達したということが挙げられるのでしょう。
スパイダースから独立した井上順が「お世話になりました」という歌を歌ったのは、1971年のこと。その後は急速に若者の住まい方が変わってきたのです。
「誰かにお世話になる」ということの裏側にある「わずらわしさ」を避けるようになったことで、世の中の関係性が疎になってきたのですね。
しかしお年寄りの側でも、他人を家に入れることへの抵抗感は強いと思われ、お互いに誰でも良いということでもないでしょう。
ホームシェアをやってもよいというお年寄りと、お世話になりたいという学生さんとをマッチングさせる機能がどこかに必要なようです。
「老人と若者による「住まい」を介した新しい関係」が、昔あった「まかない付き下宿」であったとは、周回遅れが先頭を走っているに思えて、昔を思い出して心の中で笑ってしまいました。
郊外型住宅地での社会問題の一つが独居老人と地域コミュニティの問題です。お年寄りが一人暮らしで地域社会との接点を失うと、孤独死のような問題が発生します。そうしたことに対して行政や地域でもさまざまな取り組みがなされつつありますが、ホームシェアとよばれるやり方もその一つです。
ホームシェアとは、具体的には一人暮らしのお年寄りが空いている部屋を学生さんなどに貸し、食事やお風呂なども提供する同居生活を営む、というものです。
話を聞いたときに、私も高校生のときにお世話になった「まかない付き下宿」と何が違うのだろうか、と思ったのですが、案の定まさにそんな感じの生活をしていたのでした。
Nさんは東京郊外の多摩市にある大学の修士1年生ですが、地方の大学を終えてこちらで修士として勉強をしようとしたときに、多摩ニュータウンでまちづくりを熱心にしている大学の先生から、「ホームシェアに興味はない?」と訊かれて、「住まいのお金も食事も安く済むので興味がある」と答えたのだそうです。
ところが最初は先生の側も、ホームシェアを受け入れてくれるお宅の当てがあったわけではなく、その後でやはり地域活動をしている方にお話をして、その方の尽力でHさんという69歳になる女性の一人暮らしのお宅が受け入れてくださることになったのだとか。
Hさんにはお嬢さんが二人いるのですが、一人は近くで結婚生活をしており、もうお一方は外国へ赴任しているということで、まさに一人暮らしのお年寄りというわけです。
とはいいながらHさんは地域活動には元々熱心で、市役所の委員会としてもよばれるなどのボランティア精神にあふれている方だったのだそう。最近はそうでもなければ、家に他人を入れるなんてする人は少ないかもしれませんね。
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Hさんの家は、メゾネットタイプという、集合住宅ながら一軒のなかに一階と二階があるタイプ。一階はキッチン、リビング、トイレ、バスで、二階に部屋が三つあるタイプで延べ床面積は約80㎡だそうです。
ここに昨年の四月から同居生活をしているということですが、家主のHさんの方は若い人がいてくれるので心強いと思っているそう。Nさんの方は一月5万円という契約は、家賃と食費とすれば安いし自分で食事を作らなくてもよいので、とても満足しているそうです。
今はとにかく勉学に忙しくてアルバイトをする暇もないそうですし、近くに飲み屋さんがあってそちらで遅くなるということもないのだとか。なにしろこちらの家ではインターネットもする気にならないということなので、「まあ、きわめて気の合う二人が集まったんだね」ということのようです。
以前某新聞社も取材に来たそうですが、「ケンカとかはしませんか?何か事件は?」と訊かれて「ケンカもしないし事件もありません」と言ったところ記事にはならなかったそう。「新聞はなにか面白そうな話題がないとだめなようです」とNさんは笑っていました。
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私も高校2年生のときに父親が別なまちへ転勤になりました。今だったら母親が残って父親だけが任地に赴く単身赴任が一般的なのではないでしょうか。しかしその頃はまだ家族は父親についてゆくということが当然だったので、高校を変わりたくない私が下宿をすることにしたものです。
今日下宿がなくなったというのは、プライバシーが保たれる一人住まいのマンションが増えたということやコンビニなどによって食事や買い物サービスが発達したということが挙げられるのでしょう。
スパイダースから独立した井上順が「お世話になりました」という歌を歌ったのは、1971年のこと。その後は急速に若者の住まい方が変わってきたのです。
「誰かにお世話になる」ということの裏側にある「わずらわしさ」を避けるようになったことで、世の中の関係性が疎になってきたのですね。
しかしお年寄りの側でも、他人を家に入れることへの抵抗感は強いと思われ、お互いに誰でも良いということでもないでしょう。
ホームシェアをやってもよいというお年寄りと、お世話になりたいという学生さんとをマッチングさせる機能がどこかに必要なようです。
「老人と若者による「住まい」を介した新しい関係」が、昔あった「まかない付き下宿」であったとは、周回遅れが先頭を走っているに思えて、昔を思い出して心の中で笑ってしまいました。
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