さて前回までの、本の要約を読んで皆さんは何を感じられたでしょうか。
私としては、かなり面白い視点を含んでいると思いました。
男女、結婚、出産、子育ての意識変化を、若年世代の意識という精神論に求めるのではなく、世界を相手に開かれたグローバル経済化の進展という社会経済上の構造変化に求めている点が現実的です。
そして若年世代(特に男性)の低収入化と不安定化が結婚の大きな障害になっているという真の原因が認識したうえで、改めて対策を国民全体で議論しなくてはいけないでしょう。
経済構造の変化は、変化前に属する高収入な壮年以上世代とその後の低収入な若年世代という世代間格差を生み出しています。
働き手として経験と能力があっても、子育てを終えれば高収入から中程度の収入に押さえ、その分を若者に振り向けるような収入のシェアを行えないものでしょうか。
豊かな層から貧しい層への収入移転が納得できる形で行われ、同時に、未来が安定するという希望がなければ、少子化と社会の不安定化は避けられないのではないかと思います。
そういう視点で、ワークシェアや男女共同参画、少子化対策、教育のあり方などを考えて、縦割りではない総合的な施策展開が求められるのであって、国で行う役割と、地方だからこそ行える役割の分担を考えてゆく必要があるでしょう。
権限を国から地方へ移行するという、単純な地方分権ではなくそれぞれの機能がしっかりと果たされなくてはいけません。
※ ※ ※ ※
あとがきで、著者はこの10年の日本の少子化対策を、「太平洋戦争における日本軍の失敗」だと比喩しています。
物事を成し遂げる時の戦略的理論として、戦争に負けた日本軍といまの少子化対策の類似点が三つあると言います。それは、
①戦力の逐次投入
②大胆な発想の切り替えに失敗したこと
③物量を考えず精神論に終始したこと、の三つです。
①の戦力の逐次投入は、ガダルカナル島を巡る攻防の際に、アメリカ軍の戦力を軽視して、少数の戦力を送り込んでは全滅を繰り返しついには戦略上の重要なポイントを失ったという失敗です。
大事なポイントを押さえる時には、大勢力を一気に投入して押さえてしまわなくてはならないという鉄則なのですが、この10年、少子化に対して日本の社会は構造を大きく変えるような戦力(予算・制度改革)の大投入を行わずに、毎年少しずつの弥縫策を繰り返してしまったのではないか、という反省です。
②の大胆な発想の転換とは、戦争の仕方が、戦艦大和に代表される「大艦巨砲主義」から航空機を主力としたものに変わった社会変化を見逃して、少ない資源や人材を浪費してしまったのではないか、というもの。
これは家族の扶養のあり方が「男性一人が家族を養う」という昭和のモデルから、「夫婦二人で共稼ぎで豊かな子育て」という21世紀型のモデルに変わらざるを得ないのに、社会の意識も制度もまだまだ古いままでいるということ。
これを変えない限り、子供を産んでくれる人たちが増えることはありません。
③の物量を考えず精神論に終始したこととは、都合が悪い情報を出さなかったり、「甘えているから望むとおりにならない」と言う考え方が日本人には好まれやすく、それ故に現実的な戦況を見誤った反省が必要だという点です。
正社員の椅子を減らして派遣ばかり増やしていながら、「頑張らないから正社員になれない」のですか?
「若者に結婚や子どもの良さをわからせる教育」を何時間も行って、それらの良さを理解したとしても、経済的に不安定な生活に飛び込むことに希望がもてるのでしょうか。戦争に勝ちたければ、武器と弾薬と兵士への食料という兵站(へいたん)が必要なのです。
※ ※ ※ ※
今の壮年世代が、若者世代に向かって「自分たちの若い時は…」論を振りかざすときに、社会の変化を見据えつつ上記の反省が込められているかを思い起こす必要があるでしょう。
世代間の既得権益の問題がクローズアップされる日はいつのことでしょうか。
生涯学習が必要ですわ、むーん
私としては、かなり面白い視点を含んでいると思いました。
男女、結婚、出産、子育ての意識変化を、若年世代の意識という精神論に求めるのではなく、世界を相手に開かれたグローバル経済化の進展という社会経済上の構造変化に求めている点が現実的です。
そして若年世代(特に男性)の低収入化と不安定化が結婚の大きな障害になっているという真の原因が認識したうえで、改めて対策を国民全体で議論しなくてはいけないでしょう。
経済構造の変化は、変化前に属する高収入な壮年以上世代とその後の低収入な若年世代という世代間格差を生み出しています。
働き手として経験と能力があっても、子育てを終えれば高収入から中程度の収入に押さえ、その分を若者に振り向けるような収入のシェアを行えないものでしょうか。
豊かな層から貧しい層への収入移転が納得できる形で行われ、同時に、未来が安定するという希望がなければ、少子化と社会の不安定化は避けられないのではないかと思います。
そういう視点で、ワークシェアや男女共同参画、少子化対策、教育のあり方などを考えて、縦割りではない総合的な施策展開が求められるのであって、国で行う役割と、地方だからこそ行える役割の分担を考えてゆく必要があるでしょう。
権限を国から地方へ移行するという、単純な地方分権ではなくそれぞれの機能がしっかりと果たされなくてはいけません。
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あとがきで、著者はこの10年の日本の少子化対策を、「太平洋戦争における日本軍の失敗」だと比喩しています。
物事を成し遂げる時の戦略的理論として、戦争に負けた日本軍といまの少子化対策の類似点が三つあると言います。それは、
①戦力の逐次投入
②大胆な発想の切り替えに失敗したこと
③物量を考えず精神論に終始したこと、の三つです。
①の戦力の逐次投入は、ガダルカナル島を巡る攻防の際に、アメリカ軍の戦力を軽視して、少数の戦力を送り込んでは全滅を繰り返しついには戦略上の重要なポイントを失ったという失敗です。
大事なポイントを押さえる時には、大勢力を一気に投入して押さえてしまわなくてはならないという鉄則なのですが、この10年、少子化に対して日本の社会は構造を大きく変えるような戦力(予算・制度改革)の大投入を行わずに、毎年少しずつの弥縫策を繰り返してしまったのではないか、という反省です。
②の大胆な発想の転換とは、戦争の仕方が、戦艦大和に代表される「大艦巨砲主義」から航空機を主力としたものに変わった社会変化を見逃して、少ない資源や人材を浪費してしまったのではないか、というもの。
これは家族の扶養のあり方が「男性一人が家族を養う」という昭和のモデルから、「夫婦二人で共稼ぎで豊かな子育て」という21世紀型のモデルに変わらざるを得ないのに、社会の意識も制度もまだまだ古いままでいるということ。
これを変えない限り、子供を産んでくれる人たちが増えることはありません。
③の物量を考えず精神論に終始したこととは、都合が悪い情報を出さなかったり、「甘えているから望むとおりにならない」と言う考え方が日本人には好まれやすく、それ故に現実的な戦況を見誤った反省が必要だという点です。
正社員の椅子を減らして派遣ばかり増やしていながら、「頑張らないから正社員になれない」のですか?
「若者に結婚や子どもの良さをわからせる教育」を何時間も行って、それらの良さを理解したとしても、経済的に不安定な生活に飛び込むことに希望がもてるのでしょうか。戦争に勝ちたければ、武器と弾薬と兵士への食料という兵站(へいたん)が必要なのです。
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今の壮年世代が、若者世代に向かって「自分たちの若い時は…」論を振りかざすときに、社会の変化を見据えつつ上記の反省が込められているかを思い起こす必要があるでしょう。
世代間の既得権益の問題がクローズアップされる日はいつのことでしょうか。
生涯学習が必要ですわ、むーん