【恋愛と結婚の根本的な変化】
さて、若者を巡る経済的環境の変化は以上のとおりですが、次に「お互いが相手を選ぶプロセス」について論じましょう。
よく未婚化が進んでいる現状をみて、「今の若い人は交際が下手になった」とか、「勇気がない男が増えた」、さらには「出会いの機会がなくなった」などと言われますが、これは事実ではないと山田先生は言います。そしてこれは今の親の世代にとってもっとも理解できない子供たち世代の意識の変化なのかもしれません。
1950年頃に生まれた今の親世代の交際相手の数を調査すると、既婚者であっても結婚前に交際した人がゼロという割合が27%もいました。
一方で1970年頃に生まれた子供の世代では、既婚者で交際数ゼロは約2%とほとんどおらず、未婚者でも交際経験がない人は26%と少なく、二人以上と付き合ったという経験のある人が6割を越す数字が出ています。
ということは、今の親の世代は「恋愛しなくても結婚できた」のに対して、子供たちの世代では「恋人がいても結婚できるわけではない」という社会変化が起きたことを示しています。
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どうやらこの間に恋愛と結婚の結びつきが弱まって、「恋愛が結婚と分離した」のではないか、と山田先生は指摘します。具体的には「恋愛しても結婚する必要はなくなった」り、「恋愛は恋愛として楽しむ」という意識の変化です。
今の親の世代では恋愛のゴールは結婚でした。子供のときに呼んだ少女マンガのハッピーエンドは大抵が結婚ではなかったでしょうか。逆に恋愛が発展したら結婚をするものだ、というのが社会的な共通の認識だったのです。恋愛だけ楽しんで結婚しないような奴は「遊び人」というレッテルを貼られ、批判を浴びたものです。
【魅力格差が隠される状況】
また当時は男女の社会的範囲も狭くて、学校や職場など男女の出会いの範囲も限られていました。範囲が限られていたということは、その中から相手を選ばなくてはいけなかったわけで、身近に接する異性が少ないという条件は互いの魅力格差を隠してしまい「好き」になりやすいのです。テレビ番組の「あいのり」なんてそんな心理を番組にしたものではありませんか。
魅力格差は自由競争にさらされて始めて顕在化するもので、身近に異性と接する機会が極めて少ない時代には、むしろお互いが好きになる確立は高くなるのです。
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しかし1980年代を過ぎるころからは、社会の風潮として結婚をしなくてもカップルがセックスを含めて、愛情を確認しながらコミュニケーションをすることに障害がなくなり、恋愛の楽しみは結婚を前提としなくてもできるようになりました。
このことは逆に、お付き合いの延長に結婚を意識することがなくなり、結婚するためにはメリット、デメリットなどを含めて「なぜ結婚するのか」という理由が必要になることを意味します。
そして、このような恋愛が自由な状況は、男性にとっての魅力格差を広げます。さらに男性の魅力には、経済力に関係した要素が大きいため、収入の低い男性にとっては女性から好かれる確率が低くなってしまいます。
一方女性にとっても、自分が好きで、かつ、結婚相手にふさわしい相手に出会って「好かれる」かどうかが恋愛、そして結婚にこぎつける要因になります。
しかし経済力もあり魅力もある男性が減りつつある昨今、少数になった男性に出会い、好かれるために運に頼ろうとする女性が増えることになります。
1999年と2005年に行ったある調査でも、男性の場合、もてる人がますますもてて、もてない人はますますもてなくなる傾向があり、男女交際そのものをあきらめる割合が増えているという報告が寄せられています。
【できちゃった婚の姿】
結婚前に子供ができて、その結果として結婚をすることを「できちゃった婚」と呼んでいます。
この実相は多様ですが、長年付き合ったカップルが子供ができたことをきっかけにして結婚するというよりは、若い世代でのできちゃった婚が目立ちます。
2004年度の調査では、20歳未満の結婚後出産のほとんど、また20~24歳の女性の出産の三分の二近くが「できちゃった婚」によるものなのだそうです。
これを地域別に見ると都会よりは沖縄、九州、東北などの出生率が減少している地方部に多く、「できちゃった婚」と若年失業率は相関があるのだといいます。
このことは、若者の経済力が弱いために結婚生活を始める余裕がないために出産数が減少するものの、一方で男女交際は活発化しているためにそこでの子供はできるという解釈が成り立ちます。
経済的に不安定な層に「できちゃった婚」が増えるという状況なのです。
経済的に不安定で年齢的に未熟な親の元では子育てにもさまざまな障害が起きやすく、また別な形の社会問題を生み出す温床にもなりかけているといえるでしょう。
【少子化対策は可能か】
最後に、少子化の対策をについて述べられています。少子化対策という場合は二つの種類があります。
①少子化を防いで子供を増やすこと
②少子化によって生じる社会的デメリットを緩和すること、の二つです。
②のデメリットの緩和については、労働力不足、年金などの社会保障の問題、経済成長の鈍化が当然予想され、これに対する社会的システムの組み換えが必要となることは言うまでもないことでしょう。
一方で、①は社会が「産めよ増やせよ」の奨励を行うのか?ということにもつながり、産めない人や産みたくない人への対する圧力になる問題があります。しかしその一方で、産みたいのに産めないという願望への支援という考え方もありえます。
もし「子供が欲しい」 という願望に対して社会が支援するのだとしたら、それは「車が欲しい」「家が欲しい」という個人の自由な願望と何が違うのかという社会的な共通合意が必要になるでしょう。子供は個人の財産ではなく、次代を担う社会の財産であるという考え方です。
ところで、次代の財産である子供を産み育てる前提としての就職や結婚は、近代社会ではきわめて個人的な自由に属することでもあります。しかし、国民が就職して社会人として社会的存在になる支援のために、学校教育や就労支援を公の役割として認めているのならば、社会の構造変化によって結婚難や子供が持ちにくくなったことへの支援はいかにあるべきかが議論される時期に近づいているのではないでしょうか。
また、国全体としての対応がなされたとしても、その一方で地域間格差がなくなることはなく、比較的豊かな都市部と若者の流出、さらには高齢化によって活力が失われる地域が続出するでしょう。このことには万能薬はありません。地域の創意工夫と力が求められます。
【希望格差対策としての少子化対策】
日本では性別による役割分担意識が強いため、男性が収入を支えるのが当然であり、したがって収入の高い男性に魅力を感じるという「魅力格差」意識があります。そのため、収入の低い男性と、結婚生活や子育てへの期待水準が高い女性の間で未婚者が増えるということになってしまいます。
しかしながら、今後若年世代の収入の大幅な増加も難しければ、パラサイト文化の下では期待水準を下げることも難しいでしょう。男性が一人で一家の収入を支えることが難しければ、夫婦共稼ぎによって生計を維持してゆかなくてはなりませんが、ここにも問題があって、子育て支援などは女性が正規職員であることを前提としたシステムになっていることです。
派遣やパートの職員には育児休業もなければ復帰の見込みもありません。高収入の男性と結婚できる「運」がなかった場合は、子供を産み控えるという防衛策をとらざるを得ないのです。
このような現状に対して、著者の山田先生は四つの施策を提案します。すなわち、
①全若者に希望が持てる職に就けて、将来に向けた安定収入が得られる見通し
②どんな経済状況の親の元に生まれても、一定水準の教育が受けられる保証
③キャリア女性だけではなく、低スキルの女性の立場を考慮した男女共同参画
④若者にコミュニケーションをつける機会を増やす
今までは若年雇用対策のように、単目的的な雇用対策としての施策はありましたが、その先には少子化対策につなげるというところまで意図を拡大する措置が必要ではないでしょうか。
子供は希望の象徴です。社会心理学者ネッセは「希望は努力が報われると感じるときに生じ、努力してもしなくても同じと思えば絶望が生じる」といいました。
結婚し、子供を育てることへの努力が報われないという感覚が広がっていることが、少子化をもたらしていると言えるのであって、そうした対策としてこの四つの施策を提案するものです。
繰り返しになりますが、本書が一番訴えたいことは、「キャリアでない仕事に従事している女性が、高収入でない男性と結婚して、そこそこ豊かな生活を送るための条件を備えることが必要である」という一点です。これが今後の日本の少子化に対する備えだと思うのです。
※ ※ 【引用まとめおわり】 ※ ※
以上が本の要約です。さすがに内容が豊富なので二日に分けても書き切れませんでした。
皆さんはどのように感じられましたか。私の感想は次回で述べさせていただきます。