月刊「致知」の読み合わせの中で勉強をする今月の木鶏会。今日は14名の参加で開催されました。
致知2月号、特集のテーマは「修身」。
中国の古典「小学」には、人間としてわきまえておくべき基本的な常識、自分自身を修める教え、すなわち修己治人(しゅうこちじん)の学が収められています。
この中に、"太公望"呂尚が周の武王に説いた次の言葉が記されています。
すなわち、「敬怠(けいたい)に勝つは吉、怠敬(たいけい)に勝つは滅ぶ」とあります。
この意味は、「敬(つつしみ)の心が、怠りの心に勝てば吉だが、反対に怠りの心が敬しみの心に勝つと、その結果は滅びである」とあります。
「敬」は本来身を慎むことで、これが怠ける心に勝てば吉となりますが、その逆は身を滅ぼします。
まずは己の身を慎むこと。それができれば苦労はありませんが。
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さて、集まった人たちとの意見交換の時間。
かつて敗戦した直後に、アメリカは日本に『我が国』という言い方を禁止したと言います。
そのことで、日本人に対する日本という国に対する帰属感や誇りを失わせようとしたのだというのです。
自分が生きている国を「我が国」と言わずに「この国」という言い方。自分の勤めている会社を、「この会社は…」と言うところに「自分の会社」という意識の欠如が感じられます。
会の一人も、「私も他の会社の社員と話をしていて、『この会社はね』と言われるのが嫌いなんです」と賛同。
自分自身が組織の中で支えている側なのか、ぶら下がっている方なのか。
かつて司馬遼太郎が『この国のかたち』というシリーズで日本の歴史のこぼれ話を書いて人気が出ました。
このときの『この国』という言い方に、私などもちょっとしたカッコよさを感じたのですが、ここに第三者的な立場感があるのです。
私のモノ、私のこと、私のいる場所。
客観的に語るのではなく、主体的な自分として考えなくてはいけませんね。