興味深いネット記事を読みました。タイトルは「どうして中国のインターネット産業は、日本に完勝できたのか」というもので、中国メディアのサーチナの記事です。
内容は、「中国ではインターネット産業が爆発的な発展を遂げ、電子取引が実体店舗を飲み込むほどの状況となっている」としたうえで、「中国のインターネット産業がどうして日本に完勝しているのか」を論じています。
そこで指摘しているのは3つのポイントで、
①日本が保守的な文化であること
②実体店舗が整備されすぎていること
③ベンチャーに成功した際のリターンが少ない一方で、失敗した時のリスクが大きいこと
の3点を挙げています。
なるほど、中国から見たらそう見えるのか、という点では面白いのですが、日本人としても考えさせられる点が多くあります。
特に「日本が保守的な文化であること」に関しては、「インターネットは革新、旧体制の打破を源としているが、日本という国はベンチャーを奨励しない文化であると説明。インターネットやモバイル分野はほぼアップルやヤフー、フェイスブック、グーグル、アマゾンなどによって占領されており、これらの企業に拮抗する生え抜きのインターネット関連企業がほとんど存在しないとした」とあります。
要するに日本と言う国は、『旧体制の打破ができない国なのだ』と見下されているわけ。
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そんなことを考えていたら、今日の日経「経済教室」の紙面では、神戸大学の三品和広教授が日本の産業競争力に関してやはり『創造的破壊が起死回生の鍵」だという論考を書かれていました。
やはりここでも「日本はその最盛期に受けた米国からの反抗に、米国が思う以上に経営が暴走・迷走した」とあり、創造的破壊に躊躇して戸惑って立ちすくむ日本の姿が描かれています。
やや論理は飛躍しますが、これだけ日本が変化に躊躇するのは、お互いの付き合いや関係性が深いためにそれをドライに割り切るのが難しいからではないか、と思うようになりました。
社会の中での関係性を「ソーシャル・キャピタル」といい、良い意味に使われることが多いのですが、繋がりが深いことが逆に作用してもはや切り捨てるべきものを切り捨てることに躊躇しているように思うのです。
逆に言うと、日本の良さゆえに日本は世界に置いて行かれているのではないか。日本が世界に伍して生産性を向上して経済的に発展するとなると、これまでのウェットな関係性を断ち切ったドライな関係性になることが必要なのではないか。
それは本来の日本らしさを失う事なのかもしれない。あるいは、それを失わずに経済だけを発展させることができるのか。
「ドライに生きて経済を再生させる」ということを単純に割りきらずに、絶妙なハンドリングでええとこ取りができるでしょうか。
それとも「それを割り切らないから、いつまでたってもダメなんだ」と言われるでしょうか。
もう少し深く考えてみたいところです。