北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

小樽の歴史が残した東日本最高の能楽堂

2016-09-17 23:46:46 | Weblog

 

 今日は都市計画学会北海道支部の都市・地域セミナー。

 テーマは「文化遺産を活用した"イベントとまちづくり"」として、今回は小樽市で旧岡崎能楽堂という文化遺産を活用しながらまちづくりに貢献する活動を続けている、「旧岡崎家能舞台を生かす会」会長の三ツ江匡弘さんと、小樽商科大学ビジネススクールの内田純一先生をお迎えしての討論会といたしました。

 かつて一度だけ小樽市民会館へ来たことがあって、そのついでに小樽市公会堂を見学し能楽堂も見たことがありました。

 しかし今回は三ツ江さんにじっくりと建物の説明やその歴史などをうかがうことができてとても有意義な時間となりました。

 旧岡崎家能楽堂とはその名のとおり、岡崎さんと言う方が資材を投じて作った能楽堂で、ご本人が亡くなられた後に小樽市に寄贈され、現在の場所に移築されたものです。

 この能舞台は、格式に乗っ取ろうということで、江戸時代末期に整えられた能の格式のなかでも大名屋敷に作られる最上級の格式でつくられました。
 
 その片鱗は、入母屋造りだとか使用されている木材が佐渡から取り寄せた甚大過ぎであることなど、様々に表れています。

 能舞台の特色は何でしょうか。それは一見すると廊下付きの舞台なのですが、実は足拍子を踏むとこれは打楽器にもなります。それば偶然ではなく建築的には敢えて音をしっかり出すためのきゃしゃな構造にしています。またさらにいい音をするために、直径60センチで高さ1メートルのツボがこの下に置かれているのだそう。
 世界の建築を見ても「音を鳴らせる建築」なんて他にあるでしょうか。

 そして極め付きは舞台の奥に描かれている老松の絵。
 老松は狩野家によることとされていたのですが、そのために京都まで行って狩野家の末裔を探し小樽で描かせたということです。三ツ江さんは、「ひいきめでなくこの老松は全国の能舞台の背景の松と見比べても素晴らしいと思う」と賛辞を惜しみません。

 三ツ江さんはもともとは建築関係の技術者なのですが、能楽堂に関わってしまい、「もっと能のことを知らなくては」という気持ちになり、ついには能の師匠について能をならい始めました。今ではシテ方宝生流教授嘱託として後進の指導にもあたるようになりました。

 三ツ江さんは「自分は建築専門家としてこの能の世界に入ったのだが、『能が大きな団体なんでしょ』といわれるが、そうではなくて、この組織は歴史的建造物を再生する取り組みの団体なのです」と言います。「建物は使わなくては駄目だと思うし、良いものを見る目を養うことが必要。そうした活動が建築業界の価値を高めることにもつながると思う」と活動の趣旨を説明してくれました。

 また、まちづくりの視点からは、今では観光の中心エリアとなっている海辺のエリアと、山の手の歴史的建造物集積地の間の結びつきを強化して回遊性を強化したいという願いもあります。これらの途中には疲弊した商店街があるが、回遊性を強化することで商店街を活性化させられないか、という希望もあります。

 まちづくり活動として能楽堂があることの意味は四つあると言い、それは①教育、②文化継承、③観光発展、④建築という四分野の側面で考えると、小樽にこの能楽堂が残されたことは大きな財産です。

          ◆ 
 
 かつての豪商の力で小樽市に高い水準の能楽堂が残されたそのことは小樽にとっての財産ですが、それはしっかりと保存し利用し、市民の財産として市民とともにあるような形で残されなくてはいけません。

 三ツ江さんは能の創始者である世阿弥(ぜあみ)をもじって、能を伝える出前講座として「ゼアミナール」という有料での活動もしています。

「単なるボランティアで続かない団体を数多く見ています。だから私はこの建物を保全するためのしっかりした経済基盤も必要だと思っています」

 少しでも多くの市民にこの思いが共感されて、市民とともにある財産として小樽の発展につながることを願います。

 改めて歴史を背景にする小樽市の懐の深さを知ることができました。 
 

 

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