帰る家の方向が同じ仕事上の先輩と、タクシーに乗って帰宅した時のこと。
先輩はそろそろ65歳になるというのですが、「今度新しいスキー板を買おうと思うんだ」と言います。
驚いて「ええ?あと何年スキーをしようというんですか?」と訊くと、「今でもシーズンに20回くらいはスキーに行くし、70歳までは楽勝でできると思うよ」と言います。
おまけに、「コブがなければ、どんな急な斜面でも降りてこられる自信がついたし、今でも滑れば滑るほど上手になる感じがあるよ」とも。
「葛飾北斎みたいですね。彼が『富岳百景』というスケッチを描いた本があって、その後書きに、自分の絵の生涯を描いた文章が良く知られています。描けば描くほど上手くなるといったようなものでしたね」
【富岳百景の跋文(後書き)】
己 六才より物の形状を写の癖ありて 半百の此より数々画図を顕すといえども
七十年前画く所は実に取るに足るものなし。
七十三才にして稍(やや)禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり。
故に八十六才にしては益々進み 九十才にして猶(なお)其(その)奥意を極め
一百歳にして正に神妙ならんか。
百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん。
願わくは長寿の君子 予言の妄ならざるを見たまふべし。
【現代文訳】
私は6歳より物の形状を写し取る癖があり、50歳の頃から数々の図画を表した。
とは言え、70歳までに描いたものは本当に取るに足らぬものばかりである。
(そのような私であるが、)73歳になってさまざまな生き物や草木の生まれと
造りをいくらかは知ることができた。
ゆえに、86歳になればますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極め、
100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。
(そして、)100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものと
なろう。
長寿の神には、このような私の言葉が世迷い言などではないことをご覧いただきたく願いたいものだ。
◆
私の釣りも、スタートが下手から始まっているだけに、やればやるほど情報量が増えて、気付きの引き出しが増えています。そしてそれが面白いのだと思います。
老化するという事は、いろいろなことができなくなる過程なんじゃないでしょうか。
だから逆に、やればやるほど上手くなることがあるというのは、まだまだ老化せずに若々しさを保っているのではないでしょうか。
人生百年時代の60歳代をどう生きるか。考えて実践に移すことが肝心です。
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