鼻はマスクをする事でなんとかくしゃみ地獄に陥る事から逃れていますが、目がいけません。
朝起きると目がどよんとして職場へ着く頃にはかゆくてたまりません。去年もらった点眼薬をさして凌いでいますが、つらくなってきました。
【逝きし世の面影】
これはまたすごい本に出会ってしまいました。その本とは渡辺京二著「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー、税別1,900円)のことです。
これはとても一回の日記で紹介する事はできないので、適宜シリーズでお届けしようと思います。
今日はその第一回です。
さてこの「逝きし世の面影」は文庫本ほどの大きさながら、全14章、600ページに渡る大部です。そもそもが、知人から紹介されて「橋本元総理も読んで感動したという話ですよ」ということで買い求める気になったものです。
冒頭の一節は「私はいま、日本近代を主人公とする長い物語の発端に立っている。物語はまず、ひとつの文明の滅亡から始まる」とあります。
この本のテーマは、かつて日本がうち捨てて完全に過去の物としてしまった近世の日本の世情がどういう風に素晴らしい物だったのかということを、数多ある外国人の日本見聞録のエピソードと論評から拾いまくり、その分析を通じて改めて『我々が失った日本文明とは何だったのか』という問いに答えを与えることなのです。
「日本近代が古い日本の制度や文物のいわば蛮勇を振るった精算の上に建設されたことは、あらためて注意するまでもない陳腐な常識であるだろう。だがその精算がひとつのユニークな文明の滅亡を意味したことは、その様々な含意もあわせて充分に自覚されているとはいえない」
「十分どころか、われわれはまだ、近代以前の文明はただ変貌しただけで、おなじ日本という文明が時代の装いを替えて今日も続いていると信じているのではなかろうか。つまりすべては、日本文化という持続する実体の変容の過程にすぎないと、おめでたくも錯覚してきたのではあるまいか」
つまり筆者は、我々は命だけは祖先から連綿と受け継がれ続けた結果いまここに存在しているけれど、実は日本という文明は一度失われているのだ、我々はかつての日本とは違う文明を生きているのだと断言しているのです。
「実は、一回かぎりの有機的な個性としての文明が滅んだのだった」というのが筆者の結論です。
* * * *
筆者が取り上げる、外国人による日本見聞録は、古い文献では織田信長に接見した宣教師ルイス・フロイスのものもありますが、江戸末期から明治期を通じてのものが中心です。
すなはち江戸三百年の平安の末に、物資を外国に頼らずに日本の国の中だけで全てがまかなわれるという、一つの自己完結型生態系の究極の姿がそこにはありました。
そこで触れた日本人の生活、性格、容姿、文化、社会制度などに多くの外国人が感嘆と共感と幸せな社会を見ているのです。
実に多くの外国人が登場します。東北を女性一人で旅したおなじみのイザベラ・バード、作家のラフカディオ・ハーン、近代登山の父ウェストン、明治のジャパノロジストであるチェンバレン、アメリカ領事のハリス、その通訳のヒュースケン、オランダ海軍のカッテンディーケ、モース、オールコック…。
なかには端から批判的なメガネをかけて日本を見つづけた者もいないわけではありませんが、それは極めて少数です。多くは日本人の、正直で真面目で、陽気で、親切で、純朴で、無邪気で、信頼に満ちて幸せそうな様子に心を打たれているのです。
プライバシーなど全く守られないほどの日本人の好奇心の強さはしばしば言及されていて、イザベラ・バードは旅する間中、障子の穴から覗かれ続けていたとか、部屋にいるバードを観ようと多くの庶民が塀に上り、ついには重みで塀が倒れてしまったというようなエピソードを半分は不満たらたらに書いています。
しかし同時に、しばしば民衆の無償の親切に感動しまくっています。
こんなエピソードが紹介されています。明治11年の東北地方の旅の途中で、旅程を終えて宿に着いたところ、馬の革帯が一つ無くなっているのに気付きました。そうしたところ、馬丁の男がもう暗くなっていたのにそれを探しに一里も引き返し見つけてきたとの事でした。
バードが何銭か与えようとしたのを、「目的地まですべてのものをきちんと届けるのが自分の責任だと言って拒んだ」と書かれています。
実は日本人自身が長い間ある種の自己否定や特別な考えに引きずられるようにして江戸時代が幕府と武士という身分制度による暗黒の専制政治が行われ、農民や町民から搾取をした結果、日本中で一揆が起こるくらい時代だった、という固定観念を植え付けられて来たようにも思われます。
そのような思いこみのベールをかぶってしまうと、外国人達が正直な目で見たかつての日本の姿そのものがそのとおりには見えなくなってしまっているのではないでしょうか。
* * * *
もうひとつ、なぜその時の日本は外国人達にとってあたかも楽園のように映ってしまったのでしょうか。
筆者はそのときの外国人の目と当時の日本人との間にある落差があったのだと言います。その落差とは、「欧米人が既に突入し、我々日本人がやがて参入せねばならなかった近代、つまり工業化社会の人類史に対してはらむ独特な意味が、ゆくりなくも露出し浮上してくるからである」と筆者は考えています。
オランダ海軍のカッテンディーケについてやってきた医師のポンペは日本に対する開国の強要が、重文に調和の取れた政治が行われ国民も満足している国に割り込んで『社会組織と国家組織との相互関係を一挙に打ち壊すような』行為に見えたのだとあります。
近代化は一つの文明を滅ぼした、というのが筆者の考えです。その文明が信頼と笑いと陽気さと正直に満ちたものであったか、を知る事は、歴史の必然をなぞってきた現代の私たちの今を考えさせずにはいられない事でしょう。
手を伸ばせばすぐに手の届きそうな歴史がそこにはあるのです。
この本については、折に触れてこれからもご紹介をする事にします。
朝起きると目がどよんとして職場へ着く頃にはかゆくてたまりません。去年もらった点眼薬をさして凌いでいますが、つらくなってきました。
【逝きし世の面影】
これはまたすごい本に出会ってしまいました。その本とは渡辺京二著「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー、税別1,900円)のことです。
これはとても一回の日記で紹介する事はできないので、適宜シリーズでお届けしようと思います。
今日はその第一回です。
さてこの「逝きし世の面影」は文庫本ほどの大きさながら、全14章、600ページに渡る大部です。そもそもが、知人から紹介されて「橋本元総理も読んで感動したという話ですよ」ということで買い求める気になったものです。
冒頭の一節は「私はいま、日本近代を主人公とする長い物語の発端に立っている。物語はまず、ひとつの文明の滅亡から始まる」とあります。
この本のテーマは、かつて日本がうち捨てて完全に過去の物としてしまった近世の日本の世情がどういう風に素晴らしい物だったのかということを、数多ある外国人の日本見聞録のエピソードと論評から拾いまくり、その分析を通じて改めて『我々が失った日本文明とは何だったのか』という問いに答えを与えることなのです。
「日本近代が古い日本の制度や文物のいわば蛮勇を振るった精算の上に建設されたことは、あらためて注意するまでもない陳腐な常識であるだろう。だがその精算がひとつのユニークな文明の滅亡を意味したことは、その様々な含意もあわせて充分に自覚されているとはいえない」
「十分どころか、われわれはまだ、近代以前の文明はただ変貌しただけで、おなじ日本という文明が時代の装いを替えて今日も続いていると信じているのではなかろうか。つまりすべては、日本文化という持続する実体の変容の過程にすぎないと、おめでたくも錯覚してきたのではあるまいか」
つまり筆者は、我々は命だけは祖先から連綿と受け継がれ続けた結果いまここに存在しているけれど、実は日本という文明は一度失われているのだ、我々はかつての日本とは違う文明を生きているのだと断言しているのです。
「実は、一回かぎりの有機的な個性としての文明が滅んだのだった」というのが筆者の結論です。
* * * *
筆者が取り上げる、外国人による日本見聞録は、古い文献では織田信長に接見した宣教師ルイス・フロイスのものもありますが、江戸末期から明治期を通じてのものが中心です。
すなはち江戸三百年の平安の末に、物資を外国に頼らずに日本の国の中だけで全てがまかなわれるという、一つの自己完結型生態系の究極の姿がそこにはありました。
そこで触れた日本人の生活、性格、容姿、文化、社会制度などに多くの外国人が感嘆と共感と幸せな社会を見ているのです。
実に多くの外国人が登場します。東北を女性一人で旅したおなじみのイザベラ・バード、作家のラフカディオ・ハーン、近代登山の父ウェストン、明治のジャパノロジストであるチェンバレン、アメリカ領事のハリス、その通訳のヒュースケン、オランダ海軍のカッテンディーケ、モース、オールコック…。
なかには端から批判的なメガネをかけて日本を見つづけた者もいないわけではありませんが、それは極めて少数です。多くは日本人の、正直で真面目で、陽気で、親切で、純朴で、無邪気で、信頼に満ちて幸せそうな様子に心を打たれているのです。
プライバシーなど全く守られないほどの日本人の好奇心の強さはしばしば言及されていて、イザベラ・バードは旅する間中、障子の穴から覗かれ続けていたとか、部屋にいるバードを観ようと多くの庶民が塀に上り、ついには重みで塀が倒れてしまったというようなエピソードを半分は不満たらたらに書いています。
しかし同時に、しばしば民衆の無償の親切に感動しまくっています。
こんなエピソードが紹介されています。明治11年の東北地方の旅の途中で、旅程を終えて宿に着いたところ、馬の革帯が一つ無くなっているのに気付きました。そうしたところ、馬丁の男がもう暗くなっていたのにそれを探しに一里も引き返し見つけてきたとの事でした。
バードが何銭か与えようとしたのを、「目的地まですべてのものをきちんと届けるのが自分の責任だと言って拒んだ」と書かれています。
実は日本人自身が長い間ある種の自己否定や特別な考えに引きずられるようにして江戸時代が幕府と武士という身分制度による暗黒の専制政治が行われ、農民や町民から搾取をした結果、日本中で一揆が起こるくらい時代だった、という固定観念を植え付けられて来たようにも思われます。
そのような思いこみのベールをかぶってしまうと、外国人達が正直な目で見たかつての日本の姿そのものがそのとおりには見えなくなってしまっているのではないでしょうか。
* * * *
もうひとつ、なぜその時の日本は外国人達にとってあたかも楽園のように映ってしまったのでしょうか。
筆者はそのときの外国人の目と当時の日本人との間にある落差があったのだと言います。その落差とは、「欧米人が既に突入し、我々日本人がやがて参入せねばならなかった近代、つまり工業化社会の人類史に対してはらむ独特な意味が、ゆくりなくも露出し浮上してくるからである」と筆者は考えています。
オランダ海軍のカッテンディーケについてやってきた医師のポンペは日本に対する開国の強要が、重文に調和の取れた政治が行われ国民も満足している国に割り込んで『社会組織と国家組織との相互関係を一挙に打ち壊すような』行為に見えたのだとあります。
近代化は一つの文明を滅ぼした、というのが筆者の考えです。その文明が信頼と笑いと陽気さと正直に満ちたものであったか、を知る事は、歴史の必然をなぞってきた現代の私たちの今を考えさせずにはいられない事でしょう。
手を伸ばせばすぐに手の届きそうな歴史がそこにはあるのです。
この本については、折に触れてこれからもご紹介をする事にします。
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