昨年、菅義偉さんが自民党総裁選を前にしたときに、「虚飾の履歴書」と言った言い方で、菅さんの自分のプロフィールに偽りあり、という論評が出たことがありました。
菅さんの自分評は、「自分は雪深い秋田の農家の長男として生まれ、地元で高校まで卒業し、卒業後、すぐに農家を継ぐことに抵抗を感じ、就職のために東京に出てきた」という苦労談に彩られています。
ところが実際は菅さんの父は満州鉄道のエリートで、イチゴ栽培が成功して町議を4期も務め、決して貧乏な農家の出などではなく逆に豪農と言っても良いくらいだ、という批判でした。
この「豪農」という単語に引っかかって、榛村さんとの対談を思い出しました。
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私は掛川を離れてからも何度か榛村さんのご自宅をお訪ねして問答をしました。
それはいつか榛村さんもいなくなるのかもしれないという危機感というか焦りもあったのだと思います。
また改まって問答をしていると、過去に3年間もの間一緒にいて、いろいろな話を聞かされたにも関わらず、まだそれまで知らなかったことを教えてもらったものです。
それは多くの読書や経験を踏まえたうえで、それを自分なりにどう話すか、どうネタにするかということを普段から考えていたからに違いないと今では思います。
そうでなければ、ただ本を漠然と読んだだけではそのネタがすっと出てくるはずはありません。
私が印象的な、『豪農』という単語が出てきた問答は、2016年5月24日に榛村さんのお宅を訪ねて、4時間にわたってお話を聞いた時ときのことです。
【榛村さんとの対談 その1 2016年5月24日】
http://bit.ly/3l04Jkq
【榛村さんとの対談 その2 2016年5月25日】
http://bit.ly/3qtOGMP
このときに、私が「榛村さんは地方行政を担わないといけないという責任感が強いように思いますが」と水を向けると、榛村さんは、「明治維新って、薩長土肥が徳川が憎くて潰したんだけど、潰してみたところで今度は何をどう作ったらよいか、ということが分からなかったんだ」と話を飛躍させました。
「考えてみればそうですよね」
「そのときに、うちもそうだけど地方には十代以上続いた家が"豪農牧民官"として『こりゃなんとかしなくちゃいかん』ということで地域を支えた。全国で七~八千軒くらいあったと思うけど、地域を混乱に陥れないようにと頑張って支えたんだよ」
「豪農牧民官…ですか」
「はは、旧自治省は牧民思想と言って、『民を牧(やしな)う』ことが自分たちだという考えだったんだよ。しかし第二次大戦の敗戦によって財閥が解体されたのと、農地解放で豪農が力を失ったね。今は地域社会を支える力のあるような存在がなくなったんだろうな」
…という会話が記録されています。
今菅さんが総理大臣になったときの、「自分は秋田の貧農の生まれだ」と自称したのは、「貧農から出た政治家」という演出の方が「恵まれた豪農の子供」という姿よりも世間の共感を得やすいと思ったのでしょうか。
しかし「豪農牧民官」という言葉や歴史を知っていれば、単に貧乏か裕福かというくだらない二者択一ではなく、その昔に自覚と責任をもって民を率いた家柄の出ということを演出できたのかもしれません。
世の中の政治家が品性とともにボキャブラリーを失いつつあるように見えるのは残念です。
勉強の成果はその一瞬に顕れます。
私の過去のブログも自分では書いたことを忘れていて、こうやって読み返すと結構勉強になっているのです(笑)。
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