いよいよ今日は道東視察の旅の最終日。途中で美瑛によってから札幌へと帰る旅です。今日もひたすら移動ですが天気はよいぜ
さて今日は、
■ウトロから美瑛へ
■美瑛農観学園 の2本です。
【ウトロから美瑛へ】
ウトロの宿泊所を朝7時半に出発。美瑛に午後に立ち寄ろうと思うとそのくらいに出発をしなくてはならないのだ。北海道は広くて遠い。
ウトロを車で出発するとトンネルと過ぎたところで左にオシンコシンの滝が出てくる。今日は立ち寄らずに通過するが、オシンコシンとはなかなか不思議な地名だといつも思っていたが、手元にある山田秀三著「北海道の地名(北海道新聞社)」で調べてみた。
山田さんによるとオシンコシンという名前は旧記、旧図にはないそうで、明治30年5万分図にはこの滝の川にチャラッセナイと書いているという。これはチャラセ・ナイ(崖をちゃらちゃらと滑り落ちる・川)という意味で、道内至る所にあった地名だという。
この図にはこの岬の東のたもと付近にオシュンクウシという小川が書かれていて、これはオ・シュンク・ウシ・イ「川尻に・エゾマツが・群生している・もの(川)」という意味だろうと推測されている。
松浦武四郎の松浦氏再航蝦夷日誌では「ヲシュンクシ。番屋有、また夷人小屋も有」と書かれているとか。これがやがてこの地域の名前となり、やがて滝の名前にも使われたのだろうと考えられているようだ。
アイヌ語地名の価値もこうして良いガイドがつくと付加価値が増すに違いない。
さて、写真は遠音川を上るカラフトマス。ちょっと見えづらいかも知れないが、河口から200mくらいのところを休んでいました。
何匹かはさらに上流の1mくらいの落差を登り切って上流をゆうゆうと泳いでいました。生き物ってすごいね。
* * * *
さて、車は濤沸湖や花のない小清水原生花園を過ぎて一路網走へ。網走からは9時半の特急オホーツクに乗り込んでしばらくの間は汽車の旅。
北見や遠軽からも乗客が多く結構混んでいるのにちょっと驚き。やがて午後一時過ぎにやっと旭川に到着。そこからは富良野線に乗り換えて美瑛駅に向かう。
この路線の電車には始めて乗ったが、三浦綾子さんの小説「泥流地帯」を思い出して感慨にふける。
やっとのことで美瑛駅に到着。4時間半の汽車の旅でありました。ふー。
【美瑛農観学園】
美瑛では、知人の紹介でNPO法人の美瑛農観学園の役員の方にお会いしてその活動やらシーニックへの感想などを伺おうというのだ。
美瑛駅に降り立ってみると、バスから中国からの観光客ご一行様が降りてきてやたら周辺の写真を撮っている。
出迎えに来てくれた知人に「この観光客の皆さんは地域経済に貢献しているのですかね?」と訊いてみると、苦笑いしながら「そうですねえ、儲かっているのは駅前の薬屋さんくらいなものですね」とのこと。
「薬屋さんが儲かるというのはどういう事ですか?」
「中国の国内にはいわゆる西洋薬がほとんどないらしんです。ちょっと頭が痛いとか、風邪を引いたときに飲むには西洋医学の薬の方が便利なので、ごっそりと買っていくみたいですよ」とのこと。
外国人観光客の経済波及効果が町の薬屋さんだけとは驚きだ。
「そこで、これじゃいけないというので昨年からNPOが主催して中国語講座と韓国語講座を始めたのですが、これが馬鹿ウケ。特に奥様には韓国語講座が人気でしたよ」
「それって韓流ブームで韓国旅行のためじゃないですか?」
「そうなんですけどね、まあいいじゃないですか、ははは」
まあ地域に元気が出るのならいいか。
* * * *
さて、このNPO法人農観学園は、平成13年に設立準備会を発足させ、平成14年にはふるさと市場という実験的事業を実施し、平成16年3月に正式に認証されたのである。
基本的な問題意識は、丘の農業風景を求めて年間120万人もの観光客を迎え入れていながら、美瑛という農村を取り巻く環境は極めて厳しいものがあり、農業においては高齢化、後継者不足、農産物価格の下落などがあり、また商工業に置いても大都市への流出など同様の課題を抱えているということである。
だから地域全体が抱える問題は、地域全体が連携して取り組み、もてる資源を最大限に活用して自立的な発展を目指してゆかなくてはならない、というのがその覚悟である。
具体的な取り組みとしては地場産品直売所として国道沿いの簡易パーキングに隣接する町有地に「ふるさと市場」として地産地消の地元産品直売所を期間限定で設置している。
これは平成14年に一日だけ、翌年には2ヶ月間の間の週末、そして昨年の16年には6~9月の間に月曜日を定休日として設置し、その規模は年々拡大している。特に昨年は期間中の売り上げが13百万円に達するなど、期待を持たせる結果となりつつある。
一方で、常設化への不安や「美瑛らしいブランド開発」への工夫が必要など、反省も忘れない。
また町でも、今年からは農水省補助でできたホテル機能付き交流促進施設の「ふれあい館 ラブニール」をオープンさせ、その交流機能部分をこの農観学園に委託し、実のある運営が期待されている。
丘の町として風景的な印象は抜群の町だが、景観が現実に儲け話につながるような経済として回る仕組みやビジネスを作り上げなくては実にもったいない話だが、お金を落とす利用者の立場に立って、「どういうことならお金を払っても良いと思うか」というアプローチも必要なのだろう。
がんばれ農観学園!遠くから応援してまっせ!
* * * *
余談だけれども、打ち合わせの最中に職員の女性が次々に「試食品ですけどいかがですか?」と芋餅やら焼きたてパンなどを出してくださる。
不味いものなら「不味い!売れん!」と言うべきところだが、実に美味しいのである。しかし美味しいだけのものなら世の中にたくさんあるので、そこをいかに美瑛オリジナルと結びつけるかというところが鍵なのだろうな。
いずれまたシーニックバイウェイについても説明に伺います。ぜひ話の輪に加わってくださいな。
さて今日は、
■ウトロから美瑛へ
■美瑛農観学園 の2本です。
【ウトロから美瑛へ】
ウトロの宿泊所を朝7時半に出発。美瑛に午後に立ち寄ろうと思うとそのくらいに出発をしなくてはならないのだ。北海道は広くて遠い。
ウトロを車で出発するとトンネルと過ぎたところで左にオシンコシンの滝が出てくる。今日は立ち寄らずに通過するが、オシンコシンとはなかなか不思議な地名だといつも思っていたが、手元にある山田秀三著「北海道の地名(北海道新聞社)」で調べてみた。
山田さんによるとオシンコシンという名前は旧記、旧図にはないそうで、明治30年5万分図にはこの滝の川にチャラッセナイと書いているという。これはチャラセ・ナイ(崖をちゃらちゃらと滑り落ちる・川)という意味で、道内至る所にあった地名だという。
この図にはこの岬の東のたもと付近にオシュンクウシという小川が書かれていて、これはオ・シュンク・ウシ・イ「川尻に・エゾマツが・群生している・もの(川)」という意味だろうと推測されている。
松浦武四郎の松浦氏再航蝦夷日誌では「ヲシュンクシ。番屋有、また夷人小屋も有」と書かれているとか。これがやがてこの地域の名前となり、やがて滝の名前にも使われたのだろうと考えられているようだ。
アイヌ語地名の価値もこうして良いガイドがつくと付加価値が増すに違いない。
さて、写真は遠音川を上るカラフトマス。ちょっと見えづらいかも知れないが、河口から200mくらいのところを休んでいました。
何匹かはさらに上流の1mくらいの落差を登り切って上流をゆうゆうと泳いでいました。生き物ってすごいね。
* * * *
さて、車は濤沸湖や花のない小清水原生花園を過ぎて一路網走へ。網走からは9時半の特急オホーツクに乗り込んでしばらくの間は汽車の旅。
北見や遠軽からも乗客が多く結構混んでいるのにちょっと驚き。やがて午後一時過ぎにやっと旭川に到着。そこからは富良野線に乗り換えて美瑛駅に向かう。
この路線の電車には始めて乗ったが、三浦綾子さんの小説「泥流地帯」を思い出して感慨にふける。
やっとのことで美瑛駅に到着。4時間半の汽車の旅でありました。ふー。
【美瑛農観学園】
美瑛では、知人の紹介でNPO法人の美瑛農観学園の役員の方にお会いしてその活動やらシーニックへの感想などを伺おうというのだ。
美瑛駅に降り立ってみると、バスから中国からの観光客ご一行様が降りてきてやたら周辺の写真を撮っている。
出迎えに来てくれた知人に「この観光客の皆さんは地域経済に貢献しているのですかね?」と訊いてみると、苦笑いしながら「そうですねえ、儲かっているのは駅前の薬屋さんくらいなものですね」とのこと。
「薬屋さんが儲かるというのはどういう事ですか?」
「中国の国内にはいわゆる西洋薬がほとんどないらしんです。ちょっと頭が痛いとか、風邪を引いたときに飲むには西洋医学の薬の方が便利なので、ごっそりと買っていくみたいですよ」とのこと。
外国人観光客の経済波及効果が町の薬屋さんだけとは驚きだ。
「そこで、これじゃいけないというので昨年からNPOが主催して中国語講座と韓国語講座を始めたのですが、これが馬鹿ウケ。特に奥様には韓国語講座が人気でしたよ」
「それって韓流ブームで韓国旅行のためじゃないですか?」
「そうなんですけどね、まあいいじゃないですか、ははは」
まあ地域に元気が出るのならいいか。
* * * *
さて、このNPO法人農観学園は、平成13年に設立準備会を発足させ、平成14年にはふるさと市場という実験的事業を実施し、平成16年3月に正式に認証されたのである。
基本的な問題意識は、丘の農業風景を求めて年間120万人もの観光客を迎え入れていながら、美瑛という農村を取り巻く環境は極めて厳しいものがあり、農業においては高齢化、後継者不足、農産物価格の下落などがあり、また商工業に置いても大都市への流出など同様の課題を抱えているということである。
だから地域全体が抱える問題は、地域全体が連携して取り組み、もてる資源を最大限に活用して自立的な発展を目指してゆかなくてはならない、というのがその覚悟である。
具体的な取り組みとしては地場産品直売所として国道沿いの簡易パーキングに隣接する町有地に「ふるさと市場」として地産地消の地元産品直売所を期間限定で設置している。
これは平成14年に一日だけ、翌年には2ヶ月間の間の週末、そして昨年の16年には6~9月の間に月曜日を定休日として設置し、その規模は年々拡大している。特に昨年は期間中の売り上げが13百万円に達するなど、期待を持たせる結果となりつつある。
一方で、常設化への不安や「美瑛らしいブランド開発」への工夫が必要など、反省も忘れない。
また町でも、今年からは農水省補助でできたホテル機能付き交流促進施設の「ふれあい館 ラブニール」をオープンさせ、その交流機能部分をこの農観学園に委託し、実のある運営が期待されている。
丘の町として風景的な印象は抜群の町だが、景観が現実に儲け話につながるような経済として回る仕組みやビジネスを作り上げなくては実にもったいない話だが、お金を落とす利用者の立場に立って、「どういうことならお金を払っても良いと思うか」というアプローチも必要なのだろう。
がんばれ農観学園!遠くから応援してまっせ!
* * * *
余談だけれども、打ち合わせの最中に職員の女性が次々に「試食品ですけどいかがですか?」と芋餅やら焼きたてパンなどを出してくださる。
不味いものなら「不味い!売れん!」と言うべきところだが、実に美味しいのである。しかし美味しいだけのものなら世の中にたくさんあるので、そこをいかに美瑛オリジナルと結びつけるかというところが鍵なのだろうな。
いずれまたシーニックバイウェイについても説明に伺います。ぜひ話の輪に加わってくださいな。
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