昨日の新そば祭りでのかき揚げづくりはかつてないくらいに疲労困憊しました。
人生でも何番目かくらいに体力の限界が試されました。
走ったり歩いたり重たいものを持ったりするわけではありませんが、ただ長時間立ち続けるという時間があれほど辛いとは。
しかし体力の限界まで追い込むと、それを終えたときにどこか一皮むけてレベルアップしたような気持にもなります。
「あそこまでやった経験があるからこれくらいはなんとかなる」という気持ちです。
まさにこの土曜日にはバスケットワールドカップがあって、日本チームが自力でのオリンピック出場を決めました。
前半には身長の差で相手にリードを許しても、体力勝負になる後半で逆転と言う試合を何度もできたのはまさに日本の作戦だったと後で知りました。
年に一度くらい、自分を追い込む機会を持つというのは案外良いものです。
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さて、昼過ぎのピーク時間ともなると「揚げ物待ちです」という配膳係から声がかかり、揚げ物が足りなくてそばを提供できない時間が続いていることがわかります。
時間を図っていると、一個作るのに30秒かかっていたので、1分で2個、1時間では120個くらいが限界です。
限界を超えようにも、鍋は一つ、かき揚げリングは4つしかないので、1時間120個というのが現実的であり、それ以上は作れません。
そう考えると、もう一つ揚げ物用の鍋とコンロなど揚げ物用の道具を用意すべきでした。
また最後は野菜が切れたことで打ち止めになり、これも見込みがやや外れた形でした。
日の天候や気温などで、蕎麦も種物も売れ筋は大きく変わります。
この辺の見込みは経験でしかないので、経験を積んでいかなくてはなりませんね。
また、体にとって辛い時間も食べてくださったお客様からの「美味しかった」という声は励みになります。
SNSの友人が「僕の友達3人が、小松さんのところの蕎麦を食べておいしかったと行っていました」と連絡をくれました。
また、使ったお盆を返却してくれた際に、「五軒の蕎麦を食べたけれど、あなたたちのところが一番おいしかったよ」と言ってくださった男性がいて、ブース内から思わず歓声と拍手が沸き上がりました。
正直言って、あのかき揚げ(エビ2匹+ときどきベビーホタテ1個)が100円というのは破格の値段だと思います。
一緒にかき揚げを作った先輩にそんな話をしましたが、先輩は「それでいいんですよ、本当に売りたいのは蕎麦だからね。かき揚げが魅力で蕎麦を食べてくれれば自分たちの蕎麦の美味しさが広がるでしょう」
来場するお客さんたちもどこの蕎麦が美味しいのか、並んでいるところが美味しいから並んでいるのか、並んでいないところは美味しくないのか、などどこへ行くべきかかなり悩んでいると思います。
我々もたまに知り合いのところを訪ねて味見させてもらうようなことがあるのですが、今回はそれも無理でした。
ただ蕎麦粉は幌加内町提供のものなので大体は同じ味ですから、蕎麦の汁(つゆ)と種物での変化が勝負なわけで、そういう意味でわが「北海道そば研究会」は北海道で最初の手打ちそば愛好会として、オリジナルの汁は伝統的に美味しいのが自慢です。
何度も食べているこの私ですらまた食べたくなるのがわが会の蕎麦です。
所詮はお金にもならないボランティア働きなのですが、そこにやりがいがある趣味というのは良いものです。
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イベントが終わったその後には膨大な洗い物が待ち構えていて、そこでも献身的な働きができるかどうかも精神力の勝負です。
蕎麦打ちが趣味といいながらやっていることは揚げ物と洗い物を始め、イベント全体のユーティリティプレイヤーのようなものですが、その経験が積み上がるのも面白いところです。
「中の人」ってやっぱり面白いのです。
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