北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

まずは疑え

2008-11-11 23:40:28 | Weblog
 以前に書いた田母神前空幕長の論文問題は、今日参議院による参考人質疑が行われたようです。

 世間では結構な話題になり、参考人招致まですることとなったのですが、テレビ中継はなかったようです。ニュースソースをそのまま出さないから、感想めいた記事が横行してしまって、何が話されて何が伝えられなかったがよく分からなくなるというのでは、まさに言論の自由の根幹のはずなのですが。 

 で、いくつかのネット記事を読んでみても、結局本当に何が問題だったのか、与野党の言い分がどちらもよく分からない、というのが正直な感想です。

 野党側の質問として、「昨年5月、田母神氏は空自の部内誌『鵬友』に今回と同趣旨の論文を寄稿。これについて浜田防衛相は「チェックしていなかったのは問題だった」と不手際を認めた。田母神氏は「今年になり(世間に)騒がれたから話題になった」と語った、という記事がありました

 そうか、部内誌に【今回と同趣旨の論文を寄稿したこと】も問題で、【チェックしなかったこと】も問題なのか…。

 結局、論文の中身というよりは、『問題』といわれるようなネタを提供したことが問題で、そういうネタであることをチェックできなかったことが問題だったみたい。…ということは論文の中身はそれでいいわけか。
 与野党の歴史観に関して聞いてみたかった気もしますが。
 
    ※    ※    ※    ※

 記事の中にある、【問題とされた】部内誌『鵬友』に書いた同趣旨の論文って一体なんだろう、と思っていたら、それを紹介するブログにたどり着きました。

現役雑誌記者によるブログ日記!by オフイス・マツナガ
 こちら → http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/50735093.html

 ネットの世界がすごいのは、うやむやな価値観の押しつけに対して、原典に当たることで自分自身の判断が出来る社会だということです。ネットの世界のルールは『まずは疑え』なのです。

 このオフィス・マツナガさんの記事によると、田母神さんは「鵬友」という部内誌に『航空自衛隊を元気にする10の提言』という論文をパートⅠからパートⅢまで三つ書いているとのこと。

 中身を実際に読んでみると、航空自衛隊のトップとしての組織論などが中心になった記事で、そのなかで自衛隊が批判される風潮に対してのコメントもある、というもの。

 興味深かったのは、有事の際はどんな人も守るが、平時は多少のえこひいきをしたつきあいをしても良いのではないか、という下り。

〈パートⅠより〉
 (…前文略…)
 念のために断っておくが、親自衛隊派も反自衛隊派も有事に際し自衛隊が等しく安全を保障する対象であることはいうまでもない。いかなる思想を持つことも自由民主主義国家においては許容される。しかしながら有事自衛隊が効果的に任務を達成するためには、平時においてこれらの人たちと自衛隊の関わり合いについては差があって当然と思うのである。親自衛隊派の人たちとより親しく付き合い、必要な情報を提供し、あるいは情報の提供を受け、国の守りの態勢を整えることは自衛隊の義務とさえ言えるだろう。

 また、えこひいきできない人は決して尊敬されることはない。戦後のわが国の全方位外交なるものがあった。どんな国とも等しく仲良く付き合うというものだ。こんな考えを持つ人と長い間友達でいることはできない。困ったときに助けてくれるかどうかいつもわからないのだ。友人としては最も信用できない類の人たちである。結果としてわが国は国際的に信用の高い国であるのか。どうもそうとはいえないようだ。結局は経済大国にふさわしい尊敬を得ていないのではないか。日本の国は顔の見えない国といわれるが、自衛隊も善良な国民から顔が見えないと言われてはいけない。もっと自己主張をすべきである。自衛隊はえこひいきをするくらいで丁度公正、公平になることができる。(以下略)

    ※    ※    ※    ※

 確かにこうやってみると、全体を読まずに部分だけを抽出すると問題に見えるかもしれませんね。

 「まずは疑ってかかれ」がネットの鉄則。もちろん私のコメントもその対象です。
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日本人らしさの原点

2008-11-10 23:42:19 | Weblog
 日本人の発想力の源はなにか。ネット掲示板の2チャンネルで拾ったネタです。どうやら若い女性の発言のようですよ。


* * * 【以下引用】 * * *

 OLだった頃、会社で働いていた日本に超詳しいベルギー人が言ったことに納得してた。
 日本文化は身内受けの凝り性文化だそう。

 外国文化に負けまいとしているのではなく、世に意図的にインパクトを与えようとしているのでもなく、今ここにいる同じ価値観を共有する仲間からの喝采を浴びたいと考える。

 その結果、同じものを志す者同士の「これすごいだろ、おもしろいだろ」合戦が始まり、そこで生み出される物が自然と研ぎ澄まされていく。

 でもその競争は、敵対的なものではなく、お互いを尊敬しあいながら、静かに深く進行していく。

 そしてある日、偶然目撃した異文化出身の人間(外国人)から、それがすごいものであることを知らされる。
 ほとんどの日本人はその日が来るまで、自分たちが作り上げた物がすごいものとは知らない。

 もろもろの伝統文化、芸能、電化製品、アニメ、他、みんな同じパターンで世界に広まっていった。

 だから、日本がここまで発展してきたのも必然的なものだし、この精神が衰えない限り、これからも日本は誰に頼まれることもなく、知らないうちに勝手に世界にインパクトを与え続けていくだろうと。


* * * 【引用終わり】 * * *

 戦後日本は焼け野原から立ち直り、世界に追いつけ追い越せという経済での発展をひたすら目指してきたが、いざ世界に追いついてみたら目標を失って漂流し始めている(…らしい)と、なんとなく刷り込まれてきたような気がします。

 しかし室町時代から江戸時代など、日本らしい文化が誕生して爛熟した頃には日本が世界に追いつこうなどいう野心など全くなかったわけで、そんななかで日本独自の文化を生み出して楽しんできたという歴史をもう一度味わいたいもの。

 経済発展だって、本当に世界に追いつこうとしてやっていたのでしょうか?職人気質を持った日本の工業人たちは、ただ目の前の製品をより便利にするにはどうしたらよいか、というオタク的精神を発揮していたに過ぎなかったのかも知れません。

 そうして自分たちが満足できて楽しめる商品はやっぱり次代をリードするものになってきたという知らず知らずの実績。これこそが日本らしい結果とも言えそうです。

 日本人は自分たちの生き方にどこか自信がなくて、困ったときには世界を見渡して良さそうなものをまず取り入れてみますが、そのままではうまくいくはずもなく、すぐに日本流にアレンジして、より快適なものを生み出してしまいます。
 
 しかしそのときの快適の基準は、案外身近な人たちの「いいんじゃない、それ~」という感覚であるのかも知れません。近所の若者からお爺さんお婆さんまでの好みこそが世界の好みなのかも。
 
 やっぱり青い鳥は遠い国ではなく、身近なところにいるのかもね。
 
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日展~日本の文化的底力

2008-11-09 23:46:13 | Weblog
 だいぶ寒くなりました。小雨が降りそうで天気が悪いので今日も自転車はなし。替わりに電車で日展を見てきました。

 日展は今年が第40回目だそうですが、東京で見るのは初めてです。会場は乃木坂の国立新美術館で、地下鉄ならば雨に当たらずに直接入館することが出来ますよ。



 この展覧会は、海外経験で国としての美術振興の重要性を痛切に感じていた牧野伸顕が文部大臣になった明治40年に、第1回文部省美術展覧会(略して文展)として開催されたのが嚆矢です。

「我が国も公設の展覧会を開き、文明国として世界に誇れるような芸術文化を育成しようではないか」牧野は日本の美術の水準をもっと高めたいという夢を抱いていました。

 この夢が実現するのが明治39年です。文部大臣になった牧野はかねてより念願の公設展開催を決め、明治40年に第1回文部省美術展覧会(略して文展)が盛大に開催されました。

 この流れは「帝展」「新文展」「日展」と名前を変えながら日本の美術界をリードする展覧会として歴史を刻んでいます。そして100年目を迎える昨年から、会場を黒川紀章設計の国立新美術館に移して行われることとなりました。まさに日本を代表する美術展覧会です。



    ※    ※    ※    ※



 展覧会は質の高い作品が多数出品されていて見応えは充分。いや素晴らしいものです。

 出品ジャンルは、洋画、日本画、工芸、書という4分野で、版画も洋画に分類されて出品されています。歌手のジュディ・オングさんの多色刷り版画も入選していましたが上手だったなあ。

 これが日本国民の美術文化の最高峰かと思うと実に嬉しくなります。これだけの美術作品を文化として味わえる国の力なんですねえ。

    ※    ※    ※    ※

 私が愛読する「新世紀のビッグブラザーblog」の昨日の記事は「世界で最もイノベーティブな国は」というものでした。

 http://blogs.yahoo.co.jp/takaakimitsuhashi/19852656.html

 ここで言う「最もイノベーティブな国」とは、アメリカのビジネススクールでの調査結果で、「世界で最も迅速に革新的な製品が普及している国」という意味で言っているもの。

 つまり、次々に新しい技術を取り入れた製品が登場してはそれを難なく受け入れている国ということになります。そして世界で最もイノベーティブな国が日本だというのです。

 新しい機能の自動車、デジカメ、携帯電話、ウォシュレットなどなど、日本人が生活改善をしようとするときの知恵と製品化力、さらにそれを1億人以上もの人口を有しながらすんなりと受け入れる国民性は、世界でも特殊な地位にあるようです。他の上位国はアメリカを除けば、北欧などの人口の少ない国が多いのです。

 しかし実はそれを支えているのも、国中に巡らされたインフラの力であることが大事なこと。ウォシュレットなどは、飲めるだけのきれいな水質の水道だからこそ実現可能な技術なのですから。

 世界中が金融恐慌や経済破綻に苦しんでいますが、日展といい、イノベーティブな国ランキングといい、日本の底力をまざまざと見せつけられるものでした。既存のメディアは、こういう明るい話をあまり伝えてくれずに、不安ばかりを煽るようで困りものです。

 ちなみに、国立新美術館三階のポール・ボキューズのレストランも満席でした。 

  
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議論のあり方に注目

2008-11-08 23:13:56 | Weblog
 田母神前航空幕僚長の論文が議論を呼んでいます。

 既存のメディアには、この論文を批判する論調もあれば賛意を示す論調もあり、論文の中身と言うよりは自衛隊幹部として政府見解と違うことを表明してはいかんのだ、という論調で批判したりで、そもそも一体何が問題なのかが随分ぶれています。

 実際に論文の原文を読まないままに人の論調に乗っかるというのはネット時代には恥ずかしいことなので、まずはお読みなってみてはいかがでしょう?
 ありかはここ →   http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

 内容は各種の本や文献などを引用しつつ、日本は侵略国家ではないという持論を導き出しているものです。

 思想信条は憲法が保障する自由ですが、思想と職務との間には、思想を持つ、思想を語る、思想を他の人に伝える、思想に基づいて職務に従わない…、といういくつかの段階がありそう。

 問題だとマスコミをにぎわせていますが、どこに問題があるのかがなんとなくぼやけている印象で、私にはなんとなく分かりづらく思います。

 もちろん批判をするのも言論の自由ですが、それならば何に対して、どのような根拠によるのかを示すことが必要になるでしょう。「いやだ」「きらい」だからという思いが先行して感情的に批判をするような本質的でない議論にならないように、議論のあり方に注目したいものです。

 それにしても、現代史って新しい資料がまだまだ出てくるんですね。 
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住民力の強化による安全安心まちづくり

2008-11-07 23:57:49 | Weblog
 新潟市が主催する委員会に出席しました。

 この調査は新潟市が発案をして、浜松市と仙台市も参加するという形で国から予算をいただいて実施する調査で、テーマは「犠牲者ゼロを目指した住民力の強化による安全安心なまちづくり方策検討委員会」というものです。

 その背景は、近年自然災害や地域での犯罪、子育て、介護など市民生活を取り巻く様々な不安が広がっており、人々が安全で安心に暮らせる社会の構築が課題となっていること。

 特に、自然災害が発生した場合には、人と人が助け合い支え合うコミュニティが果たす役割は重要だという指摘があるものの、伝統的な地域コミュニティは急速に空洞化が進んでいます。

 しかしその一方で、社会の成熟化に伴って、人々の社会貢献意識は高まりつつあり、NPO、企業、住民団体などの多様な形でボランティア活動などは拡がっていて、災害時の自助、共助や防災活動に向けた取り組みを広げて行くことが期待されているというわけ。

 そこで新潟市では、防災をテーマとした新たなコミュニティとはどういうものか、ということや、その実戦に向けた調査を行おうというものです。

 なかなか面白そうなテーマですね。

    ※    ※    ※    ※

 委員は全部で10人いるのですが、今日は7人が参加。いろいろな立場から様々な意見が出されて、それを聞いているだけでもためになるものが多くて参考になります。

 私からの意見は、「ここで言うところの、強化すべき住民力とは何か?」というもの。住民力をどう定義するか、という問題です。

 私としてはこの住民力を細かく分けて、住民の「意志の力」と「能力」に分けて考えることが必要ではないか、と思います。

 「意志の力」とは、やる気であったり、やらなくちゃという思いで、それを上手に導き出したり、気づいてもらうと言うことがなければ、形は出来ても真にその活動を継続することは難しいだろうというもの。

 そして「能力」とは、コミュニケーションをする力や、ネットを使う能力などを育成することで、その両面の力をどうやって育てるか、という点を考えてみることが必要だと思うのです。

    ※    ※    ※    ※

 いろいろな調査で、なすべき形を提案することは出来るものの、「それが大事だ」、「やらなくては!」と思ってもらって実践することは全くの別物。まさに自治体の力が問われます。

 しかしここ新潟市の場合は、今の市長さんの提案で、小学校を単位とした地域の、自治会・町内会、PTA、NPO、老人クラブ、民生・児童委員会などの多くの団体に参加してもらって地域を束ねる「地域コミュニティ協議会」を組織しているのだそう。

 こうすることにより町内会だけ、NPOだけの単体の活動よりも、地域での活動をより連携したり相互のコミュニケーションを図ることが出来るというものです。

 新潟市ならば面白い成果が期待出来そう。ですし、実際に新潟市も訪問してみたいものですね。
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「すべての経済はバブルに通じる」を読む

2008-11-06 23:28:40 | 本の感想
 知人から「今霞ヶ関で一番話題になっている本らしいですよ」と紹介されたのが、「すべての経済はバブルに通じる(小幡績著 光文社新書)」。

 昨年のサブプライムローンの破綻に端を発したアメリカ金融資本の急速な劣化と世界恐慌の仕組みを端的に説明してくれる非常に面白い本でした。



 著者の小幡さんは東大経済学部を首席で卒業し、当時の大蔵省に入省、その後同省を退職して現在は慶応大学大学院の准教授という肩書きですが、本人自身も個人投資家として積極的に投資し続ける行動派経済学者とも自称しています。

 著者は本の冒頭でクイズを出しています。曰く、
①お金はなぜ増えるのだろう?
②経済はどうやって成長し続けるのだろう?
③資本主義とは何だろう?

 ①は高校生用、②は大学生用、③は大学院生用の問題だそうですが、その答えは総て一つに収斂します。その答えとはなんと「ねずみ講」なのだそう。

 ねずみ講とは、次に入会した人からの上納金の一部が先に入会した人に渡るシステムで最初の人ほど儲かり、結局は破綻するという違法行為ですが、経済活動とはまさにそれと同様の心理状態で行われいるのだ、というのが著者の主張です。
 そしてそれが巨大になったグローバルな金融資本の世界で起こったのが今回の金融恐慌なのだというのです。

 これは興味津々です。

    ※    ※    ※    ※

 もう少し詳しく説明をしましょう。

 世の中の資産には現金、不動産、宝石、金塊などいろいろな形がありますが、決定的な差はその「流動性」、つまり買いやすい、売れやすい、他のものと交換しやすい性質です。

 もちろん一番流動性の高い資産は現金。現金ならばそれで買い物をしたりレストランの食事の支払いにも使えますが、レストランで呑んで食べて支払いを宝石で…、というわけにはいきません。つまりその価値が分かりづらくすぐに他の資産と交換できるとみんなが思わないからです。

 家や土地などの不動産もその典型なのですが、その流動性を金融工学を駆使して高めたのが「証券化」というテクニックです。証券会社が3000万円の家の家賃権利を一口1万円で3千口の不動産証券にすることで、「値上がりするなら一口乗ってみよう」という投資家はいるわけで、買い手がたくさん出てきます。

 現物の実態量よりも買いたい人が多くなれば当然価値は上がるので、先に買った人の証券は次の人により高い値で売ることが出来、値上がりをして投資をした人は儲かります。儲かると思うと、投資したい人はどんどん出てきます。

 実は不動産証券にはリスクがつきまといます。家賃の証券化であれば、家を借りて家賃を払っている人が破産をして家賃を払えなくなるとその証券は価値がなくなるからです。

 ところがここで証券会社が金融工学をさらに駆使して、家賃を払う家を20軒まとめた上で証券化するというテクニックを使います。すると、20軒あれば全部が破綻する確率は下がるので、証券のリスクが下がりリターン率が向上します。
 こうした金融工学を使うことで、価値が分からない、買いにくい不動産資産が買いやすくて売りやすく、リスクが限りなくゼロになり安定したリターンが期待出来るという、投資家たちにとって魔法のような商品に早変わりしたのです。

 こうなると低い利率で借金をしてでも高い利息の投資をする人がどんどん出てきます。現物のマネーよりもたくさんの金が世界中を回り始める理屈がここにあります。まさにバブル経済のはじまりです。

 アメリカでは、低所得者層に対して家を持つことが出来るローン(サブプライムローン)を売り出しました。最初の数年は低率の支払い、そしてやがて高率になる借金ですが、家を低所得者が多く参入してきたため購入した家の値段が上がり、そこで高くなった家を担保にローンを借り換えて、支払額が増えないというサイクルを回し続けることができました。

 これらは参入する人がいつか減ったときに破綻するしかない運命だったのです。

    ※    ※    ※    ※

 著者は一般的なバブルの認識として、
①バブルの最中には、皆、熱狂してしまって、誰もがバブルであることに気づかず投資してしまう。

②バブルに投資することは明らかに失敗で、後で振り返って、バブルであることに気づいていれば投資しなかったのに、と後悔する。

③バブルは危険なものであり、賢明なプロの投資家は近づかず、素人が下手に手を出して失敗するケースばかりである。従って、バブルの疑いがあるものには決して近づいては行けない。

④バブルは危険で、経済に大きな被害をもたらすものであるから、社会としても、政府としても、バブルつぶし、再発防止に取り組む必要がある。これは金融市場が発達して金融知識が広がれば、制御することも徐々に可能になってくる…、などということがあるでしょう、と言います。

 しかしこれらは総て誤りなのです。実際は最も有能なトレーダーたちが、バブルであることを十分に認識しながらも、他のトレーダーたちよりも良い成績を上げるために、恐怖に耐えながらぎりぎりの投資活動を続けているのです。

 だから、何かのきっかけに「バブルが弾けた!」という徴候をかぎ取った瞬間に恐怖に駆られて資産の投げ売りを始めます。それがバブルの破綻であり、借りまくって巨大になった金融資本が急速に縮み上がると、値上がりが期待できないお金は動かなくなり恐慌が発生します。現在起きているのは、かつての時代よりも遙かに巨大になり、しかもグローバルに動き回る金融資本の影響があまりにも大きくなった後遺症なのです。

    ※    ※    ※    ※

 著者はこうした経済をキャンサーキャピタリズム(癌化した資本主義)と名付けています。健全であるはずの期待と成長が望まない形で自己増殖を始めた結果です。

 しかしいつかまた冬の時期を過ぎて春がやってきます。そしてまたバブルになり破綻をするということが繰り返されるでしょう。その恩恵もまた大きいからです。

 将来に向けて、お守りを買うよりは役に立つお勧めの一冊です。
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報徳二宮神社 ~ 報徳先生のお墓参り

2008-11-05 23:43:27 | Weblog
 日光の余韻をもう少し。

 日光市のイベントといいながらも、会場のオートキャンプ場は、市町村合併をする前は今市(いまいち)市というところでした。最初に降り立った駅も東武線の下今市駅。

 そして今市といえば、私の敬愛する二宮尊徳先生の終焉の地であるわけです。

 イベントに向かうときには、蕎麦イベントが最終日に早じまいをするようなら日光観光でもしようか、などと思っていたのですが、実際には最終日も夕方まで後かたづけ作業があって、観光などしている余裕はまったくありませんでした。

 (尊徳先生のお墓参りくらいしたかったものだ)と思いながら、来たときと同じ、東武日光線の下今市駅まで送ってもらい、ふと駅の横を見やると、そこには「栃木県史跡 二宮尊徳先生之墓」「報徳二宮神社東参道」と書かれた標柱が立っていました。
 なんと行きたかった尊徳先生のお墓は、このイベントに一番近い駅のすぐそばだったのです。



 迷わず報徳二宮神社へと向かいましたがその距離は徒歩三分。なんと近いことでしょう!

    ※    ※    ※    ※

 報徳二宮神社は二宮尊徳先生を御祭神として祀った神社です。日本では本当に偉大な人を神として祀ることが良くあります。ちょっと意味は違って怨念を鎮撫する御霊信仰に基づく菅原道真の天満宮神社があったり、日露戦争最大の功績者東郷平八郎を東郷神社として祀ったりもしています。
 ここ報徳二宮神社もそのならいの一つでしょう。



 神社の裏には尊徳先生のお墓もありました。

 尊徳先生自身は死を予感した際の遺言で「我が死応に近きあらん 我を葬るに分を超ゆること勿れ 墓を建つること勿れ 碑を建つること勿れ 只土を盛り上げその傍らに松か杉を一本植え置けばそれにて可なり 必ず我が言に違ふ勿れ」と言ったと伝えられています。

 分際を超えず、墓も石碑も建ててはならない、土まんじゅうを一つ作って傍らに松か杉を植えておけばそれでよい、というのです。

 しかしそれでは大恩を受けた村民たちには申し訳ない気持ちが収まりません。尊徳先生の逝去は安政3(1856)年のことですが、喪が明けた翌年に墓碑建立の動きが澎湃としてわき上がり、ついに未亡人を説得して建立を果たしたのだとか。



 その後明治31年になって、この墓所を神社として祀ることとなり報徳二宮神社が創建され今日に至っているというわけです。

 そばまつりを楽しむつもりが実はこの場所に導かれていたとは、どこの観光よりも心に残る場所が最後に用意されていました。

 ありがたい思いで手を合わせました。  合掌  
 
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ビジネストーク

2008-11-03 23:54:07 | Weblog
 日光そばまつりで感じたビジネスのコツのお話。

 全国から27店もが出展するこれくらいのイベントになると、「われこそは」という人から、「あの人も来るんだ」と誰もが憧れる名人まで、たくさんの打ち手が揃います。

 ある名人が主催するブースでは、名人がずっと打ち続けているとその蕎麦打ちの技が見たくて、見る見るうちに人だかりができます。

 さんざん打ったころに、後ろから若手が名人に声をかけます。
「名人、お疲れ様です。私変わります」

 すると名人と呼ばれた人が返します。「ばかだな、こんだけお客さんが来てくださっているのに、変わってなんかいられるか!」

 見ている人達は、そんなにお客さんのためにがんばって打ってくれているんだ~、と大感動。楽しみな蕎麦が余計に美味しく感じられます。

   *    *    *    *    *

 あるブースは有名なお店の出店です。

 若い衆が親方に声をかけます。
「しかしお店なら千円いただけるこの蕎麦が7百円じゃ安いですよね」
「ばかだな、イベントなんだからいいんだよ。たくさん食べていただくイベントなんだから」

 その会話を聞いたお客さんのほうが驚きます。
「この蕎麦はお店では千円するんですか?」
「はい、でも今日イベントですからね。安くしてますからたくさん食べて行ってください」

 安いからといってもう一杯余計に食べることはないでしょう。けれど、同じ蕎麦でも安く食べられたのかと思うとちょっと幸せになります。

 商売には笑顔とちょっとした一言があると、お金をかけなくても感動と幸せを膨らませることができるのです。

 
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裏方さんの力

2008-11-02 23:20:33 | Weblog
 日光そばまつりの私の二日目(イベントは金曜日からやっているので三日目)。

 起床は朝の4時半。5時に宇都宮にとった宿を出発して、5時半に現地に到着。早速テーブルといすを並べたり、前夜に作っておいた汁を温めたり、てんぷらのための野菜を切ったりと下準備が始まります。

 

 私自身、蕎麦を打つことが面白そうだったので始めた蕎麦打ちですが、こうして蕎麦を食べてもらうイベントに参加するようになると、『蕎麦打ち』自体がイベント全体に占める役割は、5%くらいという印象です。

 残りの95%は、人をそろえて材料や道具を整えて、現地でセッティングを行い、汁を作ったり種物を作るなどの事前準備と、イベントが始まってからは注文をとり、茹でては洗って盛り付け、食器を洗って回す、ということに費やされているのです。

 特にここ日光のイベントでは、主催者の意向により使い捨ての容器は使わないという申し合わせになっているので、食べ終わった器を洗って拭くという作業だけで大変で、裏方の作業も膨大。

 北海道からの部隊だけではとても手が回らないので、今回も地元から5人の奥さんたちにお手伝いをお願いして、てんぷら材料の用意や洗い物など、裏方のお仕事に大活躍なのです。

   *    *    *    *    *

 このイベントを担当するガス屋のお兄ちゃんがいます。イベントが始まる前は大忙しですが、イベントの真っ最中は本部の建物で所在なさげにしているのだそう。わがチームのスタッフはこういう人を見逃しません。
 朝の巡回点検の際は、「今日もよろしくね。朝飯食べてって」と、まかない食を振舞います。

 まかないの担当が作ってくれる今日のメニューは特性の天丼。イベント用のてんぷらを揚げる鍋で、エビ、ナス、かぼちゃ、キス、たまねぎなどを揚げてくれるのですが、これを好きなだけとって、とろみをつけた汁をかけて出来上がり。こりゃ絶品です。

 

 

「いつもすいません」
「いいよいいよ、蕎麦も食べる?」「いいんですか、すみません」

 世話になる裏方さんへの心遣いは、皆が明るくイベントを楽しむための準備の一環です。
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日光そばまつりへ参加する

2008-11-01 23:29:28 | Weblog
 いよいよ今日から日光そばまつりのお手伝いに参加です。

 朝七時過ぎに電車に乗り、千代田線から東武日光線で下今市へと向かいます。特急に乗っても2時間以上かかりますから、やはり日光となると結構遠いのです。

 下今市駅からは会場のだいや川公園オートキャンプ場へ無料のシャトルバスが運行されていてそれに乗り込みます。ピストン輸送をするバスの車中は蕎麦を楽しみにする人たちで賑わっています。かなり人気のあるイベントのようですね。



 入り口で、日光市のブログ仲間でこのイベントの裏方をしているAさんと再会。「私の参加しているブースに来てくださいね」と念押しです。

    ※    ※    ※    ※

 日光そばまつりには、全国から蕎麦を振る舞う蕎麦打ち愛好会やプロのお店がそれぞれ手勢を引き連れて参加します。その数27軒、名うてのお店が目白押し。この中で差別化を図るのはなかなか大変です。

 今回私が参加参加するのは北海道そば研究会のブース。北海道からは8人が参加していて、それに現地で合流したのでした。皆に会うのは2年ぶりかな。懐かしいです。



 こちらの蕎麦は、は蕎麦粉が牡丹種という今や珍しい品種を打った味わい深い蕎麦が特徴。汁は業者さんの汁を使うところもある中で、自家製の美味しい汁も自慢です。
 おまけに今回はほたてやズワイガニを使った北海道天ぷらを、種物としてオプションでつけて、天ぷら蕎麦も売りの一つにしました。試食をさせてもらいましたが、旨い!絶品です。



    ※    ※    ※    ※

 さて私自身はというと、この日も蕎麦も打ちましたが、一日に1000食も売るという、これほどのイベントとなると蕎麦を打つのもさることながら、蕎麦を茹でたり洗ったり盛りつけたりという、裏方的な役回りを何人かで交代しながら続けて行くことの方が重要になってきます。

 うちのチームには北海道名人にもなった渡辺さんという大玉打ちの名人がいるので、蕎麦打ちはお任せ状態でも構いません。渡辺さんは一度に4kgの玉を一人黙々と打ち続けています。

 この日は700食を売り上げて終了。肉体的にはハードな一日でした。


 
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