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東北大学災害科学国際研究所の奥村誠先生をお招きしての勉強会。タイトルは、「低密度地域の交通政策の考え方」です。
マイカーやバイク自転車で自分自身に動く能力があればよいのですが、子供やお年寄りなど自分で動くことができない人たちは、移動して学校や仕事へ行き買い物をし、病院へ行き、日々の日常を暮しています。
人口が減って少なくなっている地域ではいろいろなビジネスが成立しなくなりますが公共交通もその一つで、人々は動けなくなると暮らし方が非常に限られてきます。
人が少ない地域での公共交通政策としてはどのようなことが考えられるのか、というのが今日のテーマです。
交通ということには「交通手段=乗り物」、「交通主体=使う人」、「交通路=乗り降りと走れる場所」という三つの要素がありますが、高速で高性能の乗り物は費用が高くかかり、大勢が利用して一人あたりの負担を少なくしないと実際には成立しません。
ですから、人口がいないところで人が大勢いる都市と同じような公共交通を成立させるというのは現実には非常に困難です。
人が少ないところでそれでも人を運ぼうとすれば、民宿の送迎バスで通学する児童を運ぶとか、「過疎地有償運送制度」といった、NPOなどが設けない範囲で優勝で人を運ぶことを認める制度などがあります。
それ以外でもいろいろな試みはありますが、ポイントは公共輸送のために経費をかけて車を動かすというのではなく、マイカーでもなんでも、ともかく動いている車を利用するということもアイディアではないか、と奥村先生は言います。
つまり、”社会的ヒッチハイク”とも呼べるような製作もあるのかもしれません。
しかし現行法ではマイカーによる有償輸送は禁止されています。運んであげる対価としてお金を媒介にするのではなく、人々の「社会の役に立ちたい」という貢献意識に火をつける様な工夫があればよいのではないでしょうか。
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つまり利用者の少ない過疎地域では、都会ならば成り立つような制度では成り立たない、という前提でものを考えなくてはなりません。
日本全国を同じ一つの法律でしばろうとすると、人口の多寡によってできるところとできないところが出てきます。
その出来ないところをどうするか。私は特区制度の様な地域を限って法律の枠組みを超える様な取り組みを自治体単位で積極的に認めることが良いのだと思います。
それを奥村先生に問いただすと、先生は逆に「発想自体を逆にして、低密度だったら成り立つ法律にして、都会だったらそれができない、というような発想もあるのでは」とおっしゃいます。
たとえば駅のホームですぐバスに乗り換えられるようなつくりだって良いのでは。いろいろな施設の作り方だって安い土地だけはあるのですからもっと自由な発想があっても良いのかもしれません。
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奥村先生は、過疎地域で人々が求めるサービスを提供する仕組みとしてはもはや「公」ではなく、地域を中心とした「共」の役割が重要になるだろうとおっしゃいます。
もちろんIT技術の進化もそれを裏で支えています。しかし最後に力になるのは、困っている「現場」からの発想であり提案でしょう。
地方創成が叫ばれていますが、まさに誰かが地域を助けてくれるのではなく、自分たちが自らを支えるためにやりたいことを発送して大いに声を上げてほしいものです。
発想を変えてゆきましょう。