北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

二宮尊徳と北海道について講演する

2014-11-20 23:45:01 | Weblog

 「北海道開発と二宮尊徳」の講演会が無事に終わりました。

 講演時間は45分で、報徳の全体像をかたるにはちょっと不足でしたがポイントを押さえてなんとか形にしました。

 今日の聴衆は職場や人生の先輩が多く百名ほどが集まってくれました。

 やはり皆さん、「二宮金次郎の像は見たことがあるけれど、二宮尊徳についてはついぞ話を聞いたことがありませんでした」という反応がほとんど。

 今日は二宮尊徳の生涯、報徳思想とは何か、報徳の企業人、そして北海道と報徳の人たちといった内容についてお話をしましたが、皆さん「目からウロコだったよ」とのこと。
 
「尊徳先生のリーダーシップとしての報徳仕法、公共事業を始め社会を支える推譲の精神、経済と道徳を両輪で考える経済思想などは報徳の活動が衰退したとしても今日なお精神として生きると思います」という私の言葉に納得してくれる人がたくさんいました。


 日頃は公共事業の話ばかり聞いている皆さんには今日の私の話は新鮮だったようで、「今日は全然眠たくならなかった、すごい!」という反応も。

 なかには「話を聞いていて、内容が全部自分の言葉になっているから相当勉強したんでしょうね」という感想を伝えてくれる先輩もおりました。

 後輩もたまには先輩の会合に割って入らないと名前と顔を覚えてもらえないので、今日は大変良い機会となりました。

 これが御縁となって、さらに声がかかると良いのですが(笑)

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依田勉三と開拓神社

2014-11-19 23:45:17 | Weblog

 明日の夜に私的な会合で『北海道開発と二宮尊徳』というお題で40分ほどのミニ講演をすることになっています。

「二宮尊徳って実際は何をした人なんだろう?」というところから始めて、北海道開拓から戦後の復興期における報徳の役割を語るのに40分というのはなんとも短い時間ですが、まあ仕方ありません。
 はしょるところははしょりながらゴールを目指します。

 
 北海道開拓における報徳の役割となると帯広市の礎を築いた依田勉三に触れずにはおられません。

 彼は伊豆松崎町出身で、明治14年、北海道開拓のために「晩成社」を率いて上陸します。

 しかし天候不順やイナゴの大群、ネズミや鳥の被害などによってほとんど収穫は得られず、その後羊や豚によるハム製造や馬鈴薯栽培を目論んだものの、初期の間はかなり苦しみました。

 その後も畜産や木工場、バター工場などをつくり十勝の農業の礎を築きましたが、晩成社としては経営がうまくいかず失意の中に大正十四(1925)年に息を引き取ります。

 
 北海道神宮には本宮からちょっと離れたところに北海道開拓神社というお宮がありますが、ここには創建された昭和13年当時は北海道開拓に功績のあった36人の人たちが神様として祀られていました。
 
 近藤重蔵や最上徳内、高田屋嘉兵衛、間宮林蔵、松田伝十郎など、北方の島々を探検した人たちや、島義勇や黒田清隆など明治時代の開拓使として貢献のあった人たちの名が見られます。

 しかしその後、昭和29年に時の帯広市長佐藤亀太郎らの請願によって、依田勉三は追加で合祀され、今ではこの開拓神社には37柱の神様が祀られています。

 数字の切れは良くありませんが、十勝の農聖としての功績を後世の人たちは忘れてはいなかった、という意味で良い話だなあ、と思います。

 北海道神宮へお参りに行く機会があったら、ぜひ立ち寄ってみてください。

 私たちは、この人たちの子孫です。

 

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過疎地域の公共交通はどうあるべきか

2014-11-18 22:41:35 | Weblog

 

 東北大学災害科学国際研究所の奥村誠先生をお招きしての勉強会。タイトルは、「低密度地域の交通政策の考え方」です。

 マイカーやバイク自転車で自分自身に動く能力があればよいのですが、子供やお年寄りなど自分で動くことができない人たちは、移動して学校や仕事へ行き買い物をし、病院へ行き、日々の日常を暮しています。

 人口が減って少なくなっている地域ではいろいろなビジネスが成立しなくなりますが公共交通もその一つで、人々は動けなくなると暮らし方が非常に限られてきます。

 人が少ない地域での公共交通政策としてはどのようなことが考えられるのか、というのが今日のテーマです。

 交通ということには「交通手段=乗り物」、「交通主体=使う人」、「交通路=乗り降りと走れる場所」という三つの要素がありますが、高速で高性能の乗り物は費用が高くかかり、大勢が利用して一人あたりの負担を少なくしないと実際には成立しません。

 ですから、人口がいないところで人が大勢いる都市と同じような公共交通を成立させるというのは現実には非常に困難です。

 人が少ないところでそれでも人を運ぼうとすれば、民宿の送迎バスで通学する児童を運ぶとか、「過疎地有償運送制度」といった、NPOなどが設けない範囲で優勝で人を運ぶことを認める制度などがあります。

 それ以外でもいろいろな試みはありますが、ポイントは公共輸送のために経費をかけて車を動かすというのではなく、マイカーでもなんでも、ともかく動いている車を利用するということもアイディアではないか、と奥村先生は言います。
 つまり、”社会的ヒッチハイク”とも呼べるような製作もあるのかもしれません。

 しかし現行法ではマイカーによる有償輸送は禁止されています。運んであげる対価としてお金を媒介にするのではなく、人々の「社会の役に立ちたい」という貢献意識に火をつける様な工夫があればよいのではないでしょうか。

 
      ◆ 


 つまり利用者の少ない過疎地域では、都会ならば成り立つような制度では成り立たない、という前提でものを考えなくてはなりません。

 日本全国を同じ一つの法律でしばろうとすると、人口の多寡によってできるところとできないところが出てきます。

 その出来ないところをどうするか。私は特区制度の様な地域を限って法律の枠組みを超える様な取り組みを自治体単位で積極的に認めることが良いのだと思います。

 それを奥村先生に問いただすと、先生は逆に「発想自体を逆にして、低密度だったら成り立つ法律にして、都会だったらそれができない、というような発想もあるのでは」とおっしゃいます。

 たとえば駅のホームですぐバスに乗り換えられるようなつくりだって良いのでは。いろいろな施設の作り方だって安い土地だけはあるのですからもっと自由な発想があっても良いのかもしれません。

 
       ◆  


 奥村先生は、過疎地域で人々が求めるサービスを提供する仕組みとしてはもはや「公」ではなく、地域を中心とした「共」の役割が重要になるだろうとおっしゃいます。

 もちろんIT技術の進化もそれを裏で支えています。しかし最後に力になるのは、困っている「現場」からの発想であり提案でしょう。

 地方創成が叫ばれていますが、まさに誰かが地域を助けてくれるのではなく、自分たちが自らを支えるためにやりたいことを発送して大いに声を上げてほしいものです。

 発想を変えてゆきましょう。
 

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世界を旅して分かること

2014-11-17 23:36:04 | Weblog

 

 ある先生との勉強会の後の懇親会で、世界の旅についての話題になりました。

 旅をしていると外から日本を見ることになりますが、そうすることで日本の常識と外国で出会う場面とのギャップを強く感じるのだそうです。

 一緒に飲んでいた知人は、「中東のある国では、お札を取り換えられる詐欺に会いました」と言います。

「お札を取り換えるってどういうこと?」
「例えばタクシーで、料金が3千円のところを5千円札で払うじゃないですか。そうしたらタクシーの運ちゃんが手品のように五千円札を千円札に素早く取り替えて、『これは千円だからあと2千円くれ』ってなことを言うんです」

「それほんと?犯罪じゃないですか」
「それが最初のうちはあまりに手際が良いので気が付かないんですよ。さすがに何回もやられるうちに(なんだか変だぞ…)と気が付きますよね。そこで最後にはお金を払うのに、相手の手を掴んでお札を手に握らせるところまでやったんですが、それでも札を取り換えようとしてぐにゅぐにゅやってましたからねえ。いやあ気を付けないといけません」

 ひどい話もあったもんで。

「ひどい話ついでに、イタリアの銀行では両替の時に札をカウンターの陰で何枚か落として、足りないまま渡すなんてことが当たり前ですから注意してくださいね」
「それもまたひどい。銀行でしょ!?」

「足りない札を渡してくれたら素知らぬ顔で席を離れていきますからね」
「そんなときはどうするの?」

「言葉は通じませんが、『おーい!おい!』みたいなことを叫んで『札が足りない!』と言ってやっとのことで取り返しました。いやはや大変です」

 それが当たり前とは思いたくありませんが、こういう話を聞くと、「お客さん!お釣り、お釣り!」と足りない10円玉を持って走ってくる店員さんを見ると感動するんでしょうね。


       ◆  


 大学の先生の方は、「私は技術支援でブラジルに行っていたんですが、あるプロジェクトで、『A国とB国ではこういうやり方で成功したので、それで行きましょう』と言うとまずそのやり方は採用してくれませんでした」

「なぜですか?」

「他の国でやったことがあるやり方をまねるよりは、まだやったことのないやり方でこの自分が初めて成功させるということの方に価値を感じるようなんです」

「へえ」
「こうやるとうまく行ったよ、という話が通じるのは日本と韓国くらいで、この二つだけはその結果がうまくいくということに執着しますね。でもほとんどの外国は、結果が成功することよりも、初めてのやり方をすることに意義があって、たとえ失敗したとしてもそこから教訓が得られたからいいじゃないか、というノリでしたね」

 国が違えば国民の考え方や価値観は大きく異なります。

 多くの国はおおざっぱで、自己責任の度合いが強く騙されたり失敗するのは自分が悪い、という価値観が強いようです。

 日本的な考え方に普遍的な価値があるということもありません。

 そういうことを知るのも旅と言えるでしょう。

 私は旅の経験があまりないので、旅の話が大好きです。

 旅した人には敵いませんね。
 

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ビルの谷間で化石探し

2014-11-16 22:06:25 | Weblog

 

 先日大通りで、静岡の友人がお茶を売るイベントを行っていたので会いに行きました。

 イベントを行っていたのは大通り北側の拓銀ビルの地下一階。イベントが終わって片付けるのをるのを待つ間に周辺の柱の化粧石板を検分。

「ほほー、あるある」

 
【建材が分かれても化石を合わせてありますね】


 【これも分かりやすい】

 柱の化粧石板のなかには石灰岩のものがあって、そこにはよく化石が紛れているのです。化粧板にするためには原石を薄く切るために化石も切られて分かりやすいのはアンモナイト。

 渦巻き状の化石の形は良く目立ちますし、なかには結構な大きさのものもあります。


 【柱の端っこに大きなものがありました】

 石灰岩というのは主成分が炭酸カルシウムで、温泉水中の炭酸カルシウムが沈殿して堆積し岩石となったものが多いのですが、サンゴや有孔虫など生きている間にカルシウムを生きている間に殻としてカルシウムを取り込む性質のものがあって、これがやはり堆積して石灰岩となります。

 この生物由来のものにはこれらが生きていた時代にやはり生物として海中にいたアンモナイトやフズリナなどの化石が間に入り込んでそのまま化石になるというわけです。

 このことは良く知られているので、本屋さんへ行くと「ビルの化石を探そう」というようなガイドブックが都市ごとにできていたりします。


 一緒にお茶イベントを見に来た友人は、「化粧板の化石を探すなんていうような自分の興味の赴くままに探して歩くなんて日本人っぽい生き方だと思うよ。儲かればやるけど儲からないと思えば絶対やらないような国柄の人の方世界には多いもんね」と笑っていました。


 私もそれほど詳しい訳ではありませんが、そういうことを知ってからはきれいな化粧板を見るとつい化石を探してしまいます。

 ときにはトイレで用を足している間に目の前の化粧板に化石を見つけたりすることもあります。

 ちょっと探すだけで簡単に見つかるので面白いですよ。皆さんもビルの中での待ち合わせの時など、待っている間の時間つぶしにいかがですか。

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できないことも芸のうち

2014-11-15 23:45:42 | Weblog

 好きなテレビ番組の一つが木曜深夜の「アメトーク」。今週の番組は「下ネタ下手くそ芸人」でした。

 芸能人だったら大抵は女性のあしらいも上手で、下ネタを巧みに使って親密になれるんだろうな、という予想に対して、まったく正反対のそういうことが苦手な芸人さんたちが集まって、その苦手さを笑うという趣向でした。

 芸人の中でもお笑い芸人となれば、話術などで一芸に秀でている印象があります。

 しかしそんな得意技で楽しませる芸を見せるというよりも、苦手なことで人間味を出してそこに笑いがあるという番組の作り方。

 アメトークではこれまでも、「中学生の時イケてない芸人」や「運動神経悪い芸人」など、できないことや苦手なことで笑いを作る番組を多く作ってきました。

 今回の「下ネタ下手くそ芸人」では、博多華丸・大吉や千原ジュニア、麒麟川島、ピース又吉などが登場して、できない下ネタをやらされて汗をかくシーンに笑い転げました。


       ◆  


  
 苦手なことは特に子供の時代は、"笑われる"とか、ともすると"いじめられる"というネガティブな側面もあります。

 しかし売れっ子芸人ともなれば、自分自身の過去の嫌な思い出も話題も全部カミングアウトして笑いのネタに昇華してしまうあたりが一流です。暗さを微塵も感じさせません。

 たとえ今出来ないことも、将来は人を喜ばせるネタになるかもしれないということを実際の姿として見せてくれるのは勇気が湧きますね。
 
 出来ないことを出来ないままで良いのか、出来るように直さなくて良いのか、というところでは、あきらめてしまうことを薦めてしまいそうですが、何でもかんでも頑張れば良いというものでもありますまい。

 どうしても無理ならあきらめていいんだよ、というメッセージは心に最後の安心感を与えます。

 出来ないということも、腕の良いお笑い芸人と上手なMCにかかれば、質の高い才能ということですね。

 笑いってやっぱりいいものです。 

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愛と敬には笑いを足して

2014-11-14 23:45:50 | Weblog

 

 だいぶ前に、「愛と敬の感情」というタイトルの記事を書いたことがありました。

 安岡正篤先生の「人生の五計」という本の中からの一節でしたが、「子育てのためには、母は愛の念をもち、父は子に敬の念を抱かせるという二つがあってこそ家庭は機能する」という趣旨のお話。

 男女の恋愛も、愛だけではいつしかその力が弱まって目が覚めてしまうもの。そのときに尊敬の気持ちが残っているようであればそれでも長く続く、ということもあると思いました。

  【愛と敬の感情】 2008年10月5日ブログより

 
 先日の伯母の通夜以来、(夫婦が長く続くコツって、やはり愛と敬なのかな)と改めて思い返していたのですが、我が身を振り返ると、愛と敬に加えて「笑」という要素があるということに気が付きました。

 夫婦で笑いのツボとタイミングが似ているというのはなんと幸せな事でしょうか。くだらない冗談や自虐ネタにコロコロに笑ってくれているというのは安心できる時間と空間の中にいることを実感します。

 欧米人は世渡りにはジョークのセンスが必要だ、と言いますが、ちょっと格好をつけたジョークでなくても、家庭の中に笑いがあるというのは素晴らしいこと。

 あまり下品に陥らないように気を付けていますが、ことあるごとに皆が周りを笑わせようとしている姿というのは実に良いものです。

 笑わせるということはお笑い芸人でなくても、人生を充実して生きるための立派なスキルだと思います。

 家庭や人生を充実して暮らすためには「愛と敬と笑」。これからはこれで行くことにします。

 同じ一生、楽しくいきましょう。  

 

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旅ってなんでしょう

2014-11-13 22:15:09 | Weblog

 世界中を旅した知人と一杯飲みました。

 彼は旅についての講演を頼まれたとのことだったのですが、相手はクルーズ船で豪華な旅をしている人たちでした。

「話を聞いたら、荷物を船の自分の部屋に持ち込んだらもう荷造りしたり荷を解いたりということもないままずっと旅をする人たちだって言うじゃないですか。そんなの、毎日荷物を運んで旅した僕の話でいいのかなあと思いましたが、『ままよ』と思って思い出の旅の話をしたんですよ」
「反応はどうでしたか?」

「それが、みんな身を乗り出して僕の話を真剣に聞いてくれて、こっちがびっくりでした。でも驚いたのは、世界中百数十か国を旅したという女性がいたんですが、その方はどこへ行ったかをほとんど覚えていないというんですよ。ただ連れられて行く旅だとそうなっちゃうのかなあ、とちょっと寂しく思いました」

「その人にとっての旅って何なんですかね」
「僕はやはり人に会うことだと思うんですよ。人に会って自分の知らない経験や知らない世界のことを教えてもらうこと。だから人との出会いこそが旅なんだと思いますけどね」


       ◆   


 一緒に飲んでいてそれを聞いていた友人は、「旅ですか。僕もいろいろなところを旅したけれど、印象的で覚えている思い出は、失敗したかトラブルに会ったりとにかくすんなり行かなかった旅ばかりですよ。旅ってそういうところがいいんだと思いますけどね」

 人生は旅になぞられることがありますが、人生の中でも印象的な出来事は失敗や恥ずかしい話やトラブルなどの出来事で、それを乗り越えたところに人生の妙味があると言えるでしょう。

 失敗を恐れずに人に会って話を聞く。人に会うことを恐れなくなり、それを楽しみに思うようになれることが"大人"になることだ、と思いますがいかがでしょうか。

 
       ◆   


 今日の札幌は夕方から雪が降り始め、夜には本格的な雪模様になりました。

 いよいよ北海道は冬に入ります。

 

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自分の紹介のされ方

2014-11-12 23:45:32 | Weblog

 

 

 重ねて伯母の通夜の話。

 お通夜には最近では珍しく葬儀委員長がいて、その方が伯母の生前の略歴を紹介してくれました。

 生年月日や生誕地、学歴や職歴、いつ伯父と結婚して子供を何人産み…という事実関係は資料があればそれだけのことでお知らせするのにあまり工夫の余地はありません。

 それ以上の伯母の人となりとしては、華道の指導に当たり、書を良くし、品が良くて良妻賢母だなあと、会えたときに会話を交わすだけで伝わってくるイメージが私なりにありました。

 ところが葬儀委員長として登場した方が個人の略歴として紹介してくれた内容はあまりに淡々としていて、そこに生前の生き生きとした伯母の姿をイメージすることができませんでした。

 葬儀委員長は高齢の町内会の役員だったということもあったでしょうが、話し方も木訥な感じでした。

 通夜の儀を滞りなく終えた後で、親族一同での語らいの場になったところで裏方で汗をかいていたいとこに、「あの伯母さんの略歴はTさん(いとこ)が作ったの?」と訊いたところ、「いや、基本データを穴埋めで書き込むシートがあって、そこに事実を書き込んで、あとは言って欲しいことを書き込んでおいたら、町内会の方で用意してくれたものだよ。町内会は葬儀の経験も多いからパターンができあがっているんだね」とのこと。

 「じゃあ最後にどう話すかを確認してアレンジしたりはしていないんだね」「うん、それはなかったなあ」


 町内会ならば確かに関わった事例は多いでしょうし、基本的には一つの型にはめてしまえば簡単なわけですが、聞かされる方は内容にちょっと寂しさを覚えました。

 最近の都会の葬儀社の中には女性のナレーターが上手に話を作って感情を込めた略歴紹介をしてくれるところも多くあるのを実際に見ていたことがあるだけに、なお一層寂しく感じたのだと思います。

 
        ◆   


 死んでしまえばもう何を言われようとかまわないのかもしれませんが、では自分はどのように紹介されたいと思うでしょうか。

 せめてあれとあれは紹介してほしい、ちょっと触れてほしいという願う事柄はないでしょうか。

 お通夜などという特別な日のことではなく、日頃から自分自身はどう紹介されるのか、どう評価されるのか、ということを意識すると普段の生き方が少しは変わるでしょうか。

 そんなことに気がついたときに初めて自分自身の生き方を省みるということはありそうです。

「ねえ、正明さん、そういうことってあるでしょう?」

 伯母からそんなことを教えられたような気がします。

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伯母の通夜にて

2014-11-11 23:58:43 | Weblog

 北見の伯母の葬儀に両親を連れて日帰り行ってきました。

 ちょっと大変でしたが、いろいろと優しくしてくれた伯母を見送れたことと、父を兄である伯父に会わせることができて、行って良かったと思いました。

 伯母は享年86歳で、ちょっと持病はあったものの経過観察をして良好に日々を暮していた中での突然死。

 普段から「うちのお父さん(伯父)は私がいないと何にもできないから、一分一秒、一時間でもお父さんより後に死なないと行けないのよ」と言っていたとのことで、家のきりもりを全て完璧にこなしていた伯母。

 私生活では華道の指導を長年行って、病院のナースへや地域の女子大でも指導を受けた人は多かったそう。

 今回も救急車で運ばれた先の病院にかつてお花を習ったナースがいて、「あら先生!」ということになり、亡くなった後もとっても良くしてくれたのだとか。生前のご縁はいろいろなところに跳ね返ってくるものですね。


      ◆  


 葬儀の喪主は伯父でしたが、いとこが施主として裏方で奔走。陰の苦労話を聞いて、明日は我が身だなあと思っていました。

 伯父の家はいよいよ90歳を超える伯父が一人で暮らすことになり、これまで家事をほとんどしたことのない伯父のこれからをいとこ達は思い悩んでいました。

 家庭の中で家事の役割分担をするというと聞こえは良いのですが、相手に頼る部分があると、いなくなったときにその負担は大きなものになります。

 半分くらいはとりあえずなんでもできるように、どこに何があるかくらいはわかるように、もしもの時を考えたメモを残すこと…など、いろいろと考えさせられました。

 お通夜での法話で、お坊さんから「悩みや苦しみのない人生はありません。しかし悩みや苦しみがあるからこそ、それをどう乗り越えるかという人生の営みと成長があるのです」という言葉が心にしみました。

 

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