K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

白バラの祈り

2006年2月8日晴れ
『白バラの祈り ゾフィー最期の日々』を日比谷のシャンテシネで観て来ました。
白バラとは、第二次世界大戦中、ドイツで作られた反戦のビラのことです。第1号から6号まで謄写版で刷られました。その文面は大変アカデミックなもので、シラーやゲーテの作品を引用していて、過激なものではありませんでした。第6号が刷り上った1943年2月17日晩に『白バラ』グループのミュンヒェン大学生ハンスとゾフィー兄妹らがビラを、今までやってきた郵送配布ではなく大学構内に配布しようと決めました。翌日、人気のない廊下に兄弟はビラを積み重ねて配置しました。最後に残った束を吹き抜け校舎の三階の手すりに置き終えると、授業終了のブザーがなり、廊下は学生であふれました。その瞬間、ゾフィーは三階のビラを階下にばら撒まいたので、学生の手に渡り始めました。兄妹は人ごみを急いで逃げ去ろうとしましたが、目撃した用務員の通報でゲシュタポに連行されてしまいました。ゾフィーは尋問当初、全身全霊で、自分はノンポリだ。関係がないと言い張りましたが、証拠を突きつけられると、「私は誇りに思う」と、尋問官と《言葉の闘争》を始めました。この場面はこの映画の圧巻でした。尋問官は偽の調書にサインをすれば助かると指示しましたが、ゾフィーは良心に従がう決意で立ち向かったため、起訴、人民法廷で死刑判決、即刻斬首となりました。ゾフィーに続き、兄のハンス、友人が斬首となりました。当時、死刑執行日まで99日の猶予があったので、即刻斬首は異例のことだったようです。死刑執行の1943年2月22日はドイツ軍のスターリングラード陥落の直後だったので、ナチス内部の動揺が即刻処刑となったのかもしれません。映画の最後は、ミュンヒェン上空から連合国軍占領のビラがマリエンプラッツ(広場)やペーターズキルヘ(教会)へ舞い落ちる光景でした。『ゾフィー、死は無駄ではなかったよ』と、やさしく語っているようでした。
東西統一の後、旧東ドイツに保管されていたゾフィーの尋問書を処刑60年の命日に公開することを新聞記事で読んだ、マルク・ローテムント監督が熟読して、「ゾフィーの最期の5日間」に絞っての映画化でした。
続きますが文字数制限で明日にします。
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