この頼朝さまが歴史の流れに大きく関係しますのは1180年の以仁王の令旨を受け取ってからです。
すこし歴史をさかのぼりますと、1159年の平治の乱で源氏の勢力を一掃することになった平清盛さまは太政大臣にまでご出世なさいました。「平氏にあらずんばひとにあらず(平家物語)」と言われるほど、平氏一門は勢いづいていました。清盛さまは娘徳子を高倉天皇と結婚させ、その皇子(安徳天皇)を1180年5月に天皇に即位させました。
後白河院は清盛さまの勢いを苦々しくお思いになり、密かに平氏打倒をお考えでした。院にとっては武士はガードマン程度でよいとのお考えですから、清盛さまの繁栄は我慢できるはずがありません。しかし、院自身は兵力を動かす力も能力もないので武士頼みです。そこで、全国にひっそり身を隠している源氏を頼らざるをえなくなりました。後白河院の皇子である以仁王を動かし、平氏打倒を呼びかける令旨を全国の源氏に発しました(1180年4月)。この動きを清盛さまに知られてしまったので、以仁王さまは源氏の中でただ一人都でお役を頂いていた70歳になる源頼政さまと挙兵しました、が、両名とも5月に打たれてしまいました。ですが、以仁王の令旨に呼応して8月に伊豆の頼朝さまが、9月に木曾の義仲さまが挙兵しました。
北条氏の館で源行家さまから以仁王の令旨を受け取った頼朝さまは北条氏の家子・郎党と各地から数名集まった武士の力を得て1180年8月17日に山木の目代平兼隆の夜討ちを決行することになりました。これが、頼朝さま挙兵のあらましです。挙兵は成功したものの、直後の石橋山の合戦で破れてしまい、頼朝さまは真鶴から舟で安房に逃亡することになります。
☆平安時代末期は知行国制度が広がっていました。この時期のこの制度は朝廷、といっても実質上は院に働きがあったものへのご褒美として国を知行(治める)する権力を与えました。知行主はその国の国司を任命できました。伊豆国は保元の乱(1156年)以降、源頼政が知行主でしたが、1180年5月に謀反人として討死したので、伊豆国の知行主は平時忠となり、その時、山木郷の目代に平兼隆が就きました。
ご参考までに、この話の史料として義経記・源平盛衰記をあげておきます。
義経記ぎけいき(日本古典文学大系・岩波書店)から一部抜粋
頼朝謀反の事
治承四年八月十七日に頼朝謀反起こし給いて、和泉の判官兼隆を夜討ちにして、同十九日相模国の小早川の合戦に打負けて、土肥の杉山に引籠もり給ふ。大庭三郎、股野五郎、土肥の杉山を攻むる。二十六日の曙に伊豆国真鶴崎より舟に乗りて、三浦を志して押出す。折節風激しくて、岬へ船を寄せかねて、二十八日の夕暮れに安房国洲の崎というところに御舟を馳せあげて、その夜は瀧口の大明神に通夜ありて、夜と共に祈誓をぞ申されけるに、明神の示し給ふぞと覚しくて、御寳殿の御戸を美しき御手にて押開き、一首の歌をぞあそばしける。
源は同じ流れぞ岩清水たれ堰きあげよ雲の上まで
兵衛佐殿夢打覚めて、明神を三度拝し奉りて、
源は同じ流れぞ岩清水堰きあげて賜べ雲の上まで
と申して、明くれば洲の崎を立ちて坂東、板西にかかり、真野の館を出、小湊を渡して、・・・・・
源平盛衰記(国民文庫)から一部抜粋
八牧夜討事
・・・・・・(略)・・・・・・・同八月十五日国々八幡の放生会も過ぬ。十六日に北条を招て、和泉判官兼隆と云は、平家の傍親和泉守信兼が嫡男也。(有朋上P660)八牧の館にあれば、八牧判官と云。院宣を給る上は、先兼隆を夜討にすべし、急ぎ相計と宣けり。北条尤然べく候、但今夜は三島社御神事にて、国中には弓矢をとる事候はず、明日十七日の夜討也、内々人々可被仰含とて出にけり。十七日の午刻に佐々木太郎定綱を召て、額を合て被仰けるは、頼朝謀叛を起すべきよしを、京都既に披露有なれば、定て兼隆景親等に仰て、其沙汰有ぬと覚ゆ。されば先試に兼隆を可誅、我天下を取べくは可討得、運命限あらば、討得事難かるべし、吉凶唯此の事にあらん、今夜則夜討を入べし、・・・・・・・・
・・・(略)・・佐殿景廉を呼返して、火威の鎧に白星の甲取具して、其上に夜討には太刀より柄長物よかるべし、是にて敵の首を取て進よとて、小長刀を給ふ。是は故左馬頭義朝の秘蔵の物也けるを、流罪の時父が形見にも見んとて、池尼御前に申請て下給ひたりける也。銀の小蛭巻に目貫には法螺を透して、義朝身を不放持れたりし宝物なれ共、且は軍を進んが為、且は事の始を祝はんとおぼして給にけり。景廉是を給て、佐殿の雑色一人州前三郎下人二人、已上五騎にて八牧城に推寄す。見れば時政南表に引退て扣へたり。景廉を見て、いかに御辺は、当時御勘当にて御座するにと問へば、俄に召て八牧が首貫進よとて、御長刀を給れり、是を見給へとて指出。抑北条殿宵より寄給たれば、城の案内知給たるらん、有の儘に語給へ、私の軍に非ず、君の御大事也と云。時政城の内の構様をば知ず、門より外に櫓あり、(有朋上P664)兵共櫓より下し矢に射る、櫓の前は大堀也二人あり、関屋が音のしつるは落ぬるか、返合て組や/\とぞ呼びける。関屋是を聞て、敵のたばかるを不知して、矢を放ける本意なさよ、人に詞を懸られて、さて有るべきに非ずとて、甲の緒を強くしめ、三尺五寸の太刀を抜、いづくへか落べき、関屋爰に在とて、にこと笑て出合たり。(有朋上P666)互に打物の上手にて、切たり請たり大庭を二度三度ぞ廻たる。加藤次は、角ては勝負急度あらじと思ひて、態と請け、其隙を伺て吾太刀をば投捨てつと寄り、鎧草摺引寄て、得たりやおうとぞ組だりける。上に成下になりころびける程に、雨打際のくぼかりける所にて、関屋下に成、加藤次上に乗係て、押へて首を掻てけり。首を太刀のさきに貫て、
鬼神の様に云つる関屋が頸、景廉分捕にしたりやと云て、抛出す。下部是を取て持たりけるを、北条乞取つて、鞍のしほでにぞ付たりける。去程に景廉は太刀をば投捨て、下人に持せたる長刀を取、甲をしめしころを傾て、縁の上へつと上り侍を見入たれば、高燈台に火白掻立たり。さしも人有とも見えず。景廉進入処に、狩衣の上に腹巻著たる男の、大の長刀の鞘はづして立向たりけるを、景廉走違様にして、弓手の脇より妻手脇へ差貫て投臥たり。京家の者と覚えたり。軈て内へ攻入りて、寝殿をさしのぞいて見れば額突あり。燈白く掻立て、障子を細目に開て、太刀の帯取五寸計引残せり。見れば兼隆紺の小袖に上腹巻著て、太刀を額に当て、膝付居て、敵つと入らば、はたと切らんと覚しくて待懸たり。加藤次過せじとて、左右なくは不入、甲を脱いで長刀のさきに懸て、内へつと指入たり。待儲たる兼隆なれば、敵の入るぞと心得て、太刀を入て、はたと切る。余に強打程(有朋上P667)に、甲の星二並三並切削、鴨居に鋒打立て、ぬかん/\とする処に、傍の障子を蹈倒し、長刀の柄を取直して、腹巻かけに胸より背へ差貫、軈てとらへて頸を掻く。こゝに八牧を憑て筆執して有ける、古山法師に某の注記と云けるが、萌黄糸威の腹巻に、三尺二寸の太刀を抜て飛で係ければ、景廉走違て長刀をしたゝかに打懸たり。左の肩より右の乳の間へ打さかれて、其儘軈て死にける。即兼隆が頸片手に提、障子に火吹付て、暫、待て躍出。北条に向て仕たりとて、敵の首を捧たり。佐殿は遥に焼亡を見給ひて、景廉はや兼隆をば打てけり、門出能と独言して悦び給ける処に、北条使を立て、八牧の判官は景廉に討れ候ひぬ、高名ゆゝしくこそと申たれば、神妙神妙と感じ給へり。北条兼隆が頸を見て、
法華経の序品をだにもしらぬみに八牧が末を見るぞ嬉しき K113
と、景廉は宵よりの仰也ければ、頸をば給たりける長刀に指貫、高らかに指上て参たり。ゆゝしくこそ見えけれ。佐殿大に悦びて、八牧が首を谷川の水にすゝがせて、長櫃のふたに置れて、一時是をぞ見給ける。謀叛の門出に、さこそ嬉しく御座けめ。・・・・
頼朝挙兵の第一弾、山木の目代屋敷跡の石碑を発見
道幅2Mもないような小道に看板がありました。実は、この看板・平兼隆だったので御内人の誰かなのかなと思ってしまい通り過ぎて山木目代屋敷跡を探しました。
見つからないので引き返し、この看板の高台に上ってみようかと・・・・・。帰宅して調べてみると、確かにこれが山木の目代屋敷跡だったのです。
山木郷を見渡せる高台でした。このとき分かっていれば、上から人家を見下ろした写真を撮ったのに
山木目代館跡出なければ分からないわ
半信半疑で登り、どなたかのお住まいの敷地に入ってしまいました
跡館隆兼
このあと、少し引き返して、江川邸に行きます。
つづく
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