K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

伊豆へ遠足その5 江川邸

撮影日2008年11月5日


伊豆の国市 韮山の江川邸

玄関

ご門とお玄関ですが、どこかで見たような、と、お気付きの方はいらっしゃいますか。

NHK大河歴史ドラマ『篤姫』の今泉の島津家のロケ地だそうです。

上の写真の左に篤姫の写真がありました。
拡大しますね。


江川家は韮山を拠点に江戸時代に伊豆・相模・甲斐・武蔵の幕府直轄領(天領)の代官を務めました。通常、代官は世襲ではなく数年で任地を移りますが、江川家は江戸幕府開始から幕末まで世襲の代官でした。
江川家の先祖をたどれば、清和源氏とのことですが、保元の乱(1156年・後白河天皇と崇徳上皇の争い)の敗者・崇徳上皇側だったので、伊豆に落ちのびました。その後、頼朝の挙兵に参加して鎌倉幕府に仕えました。16代英親(ひでちか)は日蓮に出会って改宗し、それ以後今日に至るまで熱心な日蓮宗の家になりました。さらに、室町幕府に仕え、北条早雲が韮山城主になると家来になりました。そして、江戸幕府を開いた家康に仕え、代官職を得ました。
ま~~~よく生き延びたお家ですこと

江戸時代、江川家の代々の当主は代官として農民の生活向上に力を入れました。その中でもとりわけ36代英龍(1801~1855)は当時(化政文化)の最高の教育を受け、農業改革や嘉永年間に種痘の技術が伝わると、領民への接種を積極的に推進しました。こうした領民を思った英龍は領民から「世直し江川大明神」と呼ばれ敬愛されました。さらに蘭学を修め西洋の砲術技術を学び幕府の海岸防衛でも働きました。1853年アメリカのペリー艦隊が来航して江戸幕府に開国を要求すると、老中阿部正弘は江川英龍にお台場建設を命じました。そのため、韮山に銃砲鋳造のための反射炉を建設しお台場に砲台を設置しました。さらに、ペリーの再来日に際して交渉に幕府側として農民からなる鉄砲隊を率いて参加しました。
江川英龍は日本のレオナルド・ダ・ヴィンチといわれるように豊富な知識で多くの活動した人物です。


敷地内の役所跡


井戸

この井戸水で江川家はお酒を作っていたそうです。早雲も家康も美酒と褒めたそうです。
江川家って江戸時代の武士の規格外のおうちだったのですね


土間のかまど


生きたケヤキをそのまま柱にしたそうです。


パン焼き釜 1842年に初めて焼いたとのこと。
長崎で試されていたオーブン型のパン窯で、軽くて、日もちのするパンを焼き 農兵の携帯食としました。
パン祖と言われています。


ボートホーウィッスル砲車 
ペリーの再来日(1854年、日米和親条約締結)の時に幕府に贈られたものです。


お玄関の中からご門の方を撮りました。


詳しくは江川邸の公式ホームページを是非ご覧ください。クリック


江川邸の受付で反射炉への道を聞くと、山を越える、とのこと。
えっ コッコーがビックリした顔をしたのか、2~30分で行けますよ、とのことでした。


いよいよ、反射炉です。


つづく
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