蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

長野へⅠ

2008年04月27日 | 安曇野を離れて
大阪に住んでいたらきっと行かなかった。長野県だから・・・その程度の意識ででかけて許される行為か?と、咎められそうな気はする。

聖火リレーではなく善光寺の「先の騒乱犠牲者追悼法要」への参加です。
主催はチベット問題の支援グループ。
善光寺の立場はチベットでの暴動で亡くなった人たちを、民族の違いにかかわらず名前を読み上げて弔う。出発を辞退したが、世界平和を願うという姿勢だった。


26日早朝の電車の中で「7時からの予定を前日になって8時15分からに変更となった」と”考える長野の会”の人が教えてくれた。警察からの要請だという。
つまり同時間にして混乱の分散をはかったようだ。
長野駅前はすでに気勢をあげていた

若者が多い
青い旗は新疆ウイグル自治区の旗でしょう。
同じく民族浄化の嵐にあっている国です

通りを歩くのは危険と感じたので、長野電鉄で善光寺下駅まで行き10分歩き本堂前に
本堂前で日本に住むチベット人と、支援者が犠牲者に祈りをささげていた
静かに唱和の声が響く。

500円の支援団体発行のチケットを購入して本堂へ。

関係者に混じって日本の僧侶も20名ばかりいた。読経の中で、支援団体が入手した犠牲者111名の出身地と年齢が読み上げられ、20代30代の若者が多い。
チベット族だけでなく、別に漢族の名も読み上げていた。
彼らの命が報われる日を待ちたいが、おそらく平和的な解決は望めないと思う。

支援団体が約束だから守ってとプラカードを掲げている
善光寺内ではデモンストレーションは禁止だから、中国の旗は当然ない。

大門を出たところから長野駅に向かい行進が始まった。
大通りをはさんで双方のシュプレヒコールは続く。私は直面しなかったが取っ組み合いで怪我人が出たとインドの袈裟を着た僧侶が話す。彼はインドの新興仏教団体に属し支援をしており、後藤住職のことをよく知っていた。
お互いに活動を労い別れた。
日の丸とチベット旗を重ねて持つ人もおり、信州ならではの真田氏の六文銭旗もはためく

とにかく中国は大量団体戦略である。3~4種類くらいのプリントTシャツを着て、大判の旗を揺らす。おそらく華僑からの資金援助だと思う。
アムネスティや小さな団体が固まって気勢をあげると、寄ってたかって大きな旗を眼前に振り回し、取り囲み阻止しようとする。
”愛国心”というより”上からの指示”と見てとれる。

元気な中年日本人が討論しようと話かけても、ただ大声でわめくのです。相手に隙を与えないぞ!の身構えだ。
たまたま横にいた私は思わず「長野県民は冷静だから、そんなにわめかなくてもゆっくり話したら」と言ってしまった。彼女は黙ったが、背後から襲われないか気がかりだったが、何事もなく・・・・。

再び討論の輪が出来ていた。がやっぱり口をゆがめてわめく女性。
その中で「チベットはずっと昔から中国のもの」との発言にまたしてもプツンとくる
「あなた本当に学生?」横にいた中国支援者が女性を制した。
右横の男性は根気よく話しあっていたがやっぱり噛み合わない。
上右の女性は、中国旗がはためく中で、毅然と意思表示していた

バスはいつも通りにロータリーを周回している


聖火リレーは見なかった。何のためなのか。
駅への階段上り口で、警察官が中国旗を持つ団体に「お疲れさん、旗は丸めて持って」と挨拶している。馬鹿じゃないかと思う。
コンコースでたむろするおそろいシャツ軍団が怖かった

電車の中で話しかけてきた女性は、もと学生運動で鍛えた団塊世代。
彼女曰く「だらしない日本人はいつかチベットと同じ目にあう」と嘆く。そんな深読みは思いがけなかった。
この騒動でチベット問題に目を向ける人が増えれば・・・・では甘かったか?

頭を垂れる長野行きだった
コメント (2)
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