蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

いよっ燕岳!バンザ~イ(1)

2007年10月08日 | トレッキング
念願の燕岳にエイヤッと登った
天気予報では6日~7日が決行日だ

12時20分到着直後の燕岳を、燕山荘前から


電話で燕山荘に聞いた
「一人だし初めてなんですが、どうでしょう?山荘ではツアアレンジはありませんか?」
「いいえ、初心者向きコースですから、一人でも充分大丈夫です。朝6時で出発してください」
中房温泉登山口には溢れんばかりの人人人・・・
登山記録を記入して、いざ6時10分にスタート。ゆっくりゆっくりマイペース

スタート地点は1462メートル


木立をぬけ、2200メートル富士見ベンチではかすかに富士山の右に流れる稜線が見えた
わが有明山(2268メートル)の裏側を見上げながら登ってきたが、ここらあたりで頂上と同じ目線になる
はるか下に、安曇野の稲刈りの済んだ田が黄色く見える


ここまで来るとやっと紅葉も


常念岳も連なる稜線や槍ガ岳のてっぺんもひょっこり

左:あと1段で燕山荘・・・・・この景色が飛び込んできた
右:目を移すと槍が岳も”さぁ、どうだ!”  
無事12時20分到着。6時間10分のゆっくりペースだった

荷物を置き、頂上を目指す。石のオブジェは自然石とは思えない神の創造物だ

往復1時間、頂上滞在30分。
ハイマツを抜け砂礫を登った頂上では、ベテラン達があれは鹿島槍、手前は餓鬼岳・乗鞍・カサダケ、○○・△△・□□と次々名をあげ盛り上がっている

  2763メートル

山男達は「こんな素晴らしいオブジェを見せる山は、日本でもここだけや」と満足げ。
20年ぶりに来た年配男性は、建物は綺麗になったけど、スタッフの対応が以前とちっとも変わらないと嬉しそうに話す。北アルプスの山小屋はどこも素晴らしいとも・・・

午後3時半ころには雲上がる

あとは夕食と落日を待つばかり

昨夜から雨になった。筋肉痛にうめきながらも好天だった山行に感謝である

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インド・スジャータ村

2007年10月02日 | 海外旅日記
スジャータをご存知ですね。そうコーヒーに注ぐあのミルク。
そのメーカーのHPでは、このように説明しています。
『めいらくグループは、1976年にスジャータの発売を開始しました。
「スジャータ」という名称は、長期間の修行に疲れ休息していたお釈迦さまに乳粥を差し上げた、というインドの娘の名前「スジャータ」からつけました』

9月3日~4日連れの婦人と、ブッダガヤ~スジャータ村を訪ねた。
滞在先から車で5時間、のはずが道路工事中やトラックお横転事故やらで、6時間半を要した。


左:遠くに列車が走る田園風景
右:ブッダ・ガヤ(現地ではボーダ・ガヤ)の入口到着

滞在先の日本寺住職の紹介なので、ドライバーもその助手もホテルも安心安全だった。
ブッダ・ガヤは仏陀が悟りを開いた地、旧オーム真理教で有名になったマハーボディ寺院のあるところです。勿論初めて。



左:境内には成道の時に仏陀が座っていたという金剛宝座や大木菩提樹があり
右:アジアからの巡礼団が、熱心に祈りを捧げています

左:夜の菩提樹(仏陀の時代から4代目)  
右:早朝のマハボディ大塔内で若い僧が金色の仏像を磨いていた

寺院付近には日本寺、中国寺、チベット寺、タイ寺など仏教国の寺が点在しています。仏教の大聖地です。特別信仰心が強いわけではありませんが、もう一度来ることはないだろうこの地を踏んでおいてよかったとは思いました。

左:ご飯がてんこ盛りの遅いランチを終え(4人分で487ルピー=1400円くらい)ホテルへ
右:ミネラルウォーターを買うときはキャップに注意。混ぜ物水や再利用容器があるから

大塔から車で15分のスジャータ村に向かう。ミーハーだが、ここには大浴場を持つホテルがあるという。
”ホテル スジャータ”
日本人観光客が多いのでと、10人は浸かれる大理石浴場を6年前に改装したそうです。1泊2400ルピー(7200円)から。レストランも立派でした
当日の湯沸しはないとのことで宿泊はしなかったが、見学だけはしなきゃ・・・・
左:レセプション
右:男女別の浴室入口”お~ふろ”

大理石の浴槽とイス、洗面器  日帰り入浴システムはない

その後一人の中年男性がスジャータ村を案内するよ、と近づいてきた。ホテル内1階にある現地旅行社のスタッフらしい。彼は仏教徒だという。下層カーストから抜け出すために、改宗したのだ。今は幸せと胸をはった。

  遠くに仏陀が苦行した洞窟がある山とネーランダー川

スジャータを祀る寺

左:乳かゆを差し出す娘スジャータ(黄色の壊れた木象)
右:長い苦行で川を渡ってきた後、この井戸に伸びた髪を切手捨てたと伝えられている
らしいが、本当かどうか? 数人の男が寄ってきて、清掃など維持管理に寄付をせよと迫る

観光ツアでは行かない奥まで案内してくれたが、その夜の大塔見学には現れるし、翌朝の再訪時にもどこからともなく現れる。喜捨やリベートを要求しない人だったが、何故私の行動を先まわりするのか、後で少々気味が悪かった。
スジャータ村にはかつて日本人が学校を建設したり、日本語学校の看板などが見えるが、現地の若者や子供が寄付を要求してくる。どうも当時のボランティア団体などは、今存在しないようだ。帰国後、元関係者をNet検索したが見当たらなかった。

夕刻、頼まれたお土産を探しに露店をうろつく
菩提樹の葉10枚入りパックを10個、が指示された商品だが見つからない。
店のオヤジさんは、指定品を取ってくるから待ってて!とどこかへ消え、大きな袋を提げて戻ってきた。
だが菩提樹の葉50枚(数えたら48枚)入りパッケージだったので断る。
依頼品にはならない、と談判している横からスーと手が伸びてきて「これだろ?」の表情。
 
10日間くらい水に漬けて葉脈だけにし、乾燥させたものがこれ!

本命現る!とばかり値段交渉に入ると露天のオヤジが、烈火の如く喚いた。
たぶん「俺の客を横取りするな!」だ
しかし本命は本命。我らは新登場のおじさんと交渉開始するが、黒山の人だかりとなってしまった。結局本命菩提樹を10枚入り10ルピーを10個無事ゲットできた

怒りおさまらないオヤジの店で、不要だが48枚入りの菩提樹の葉と絵葉書を買う。
解決後、別の男性が”沈静化を計るべく割って入って終了させた”と自店の土産物屋へ誘導しようとする。
ったく、頼んだ覚えはないぞ。
この時期観光客がすくないので目立つし、争奪戦になる。

往復の道路には派手なトラックや路線バスが行き来する。渋滞で大行列だ
帰路やっと辿り着いたバラナシのレストラン「アンナプルナ」で食事していると、オーナーがおごそかに近づき、丁寧な言葉で
「日本のガイドブックはお持ちではありませんか?」
用件は直感でわかった。『私のレストランは紹介されているか?』
残念ながら持ち合わせはない

4人で600ルピー(約1800円)の豪華食事でガヤの旅を終えた

おまけ
時間に余裕ある方はサールナート滞在記をご笑覧ください

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