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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

真鍋淑郎氏のノーベル物理学賞受賞を考える

2021年10月07日 22時37分27秒 | 社会(世の中の出来事)
 2021年のノーベル物理学賞真鍋淑郎(まなべ・しゅくろう)氏ら3人に贈られることが決まった。真鍋氏は90歳だが、今も米国プリンストン大学上級研究員だという。真鍋氏とドイツのクラウス・ハッセルマン氏は「地球の気候の物理的モデリング、気候変動の定量化、地球温暖化の確実な予測」が受賞理由だった。もう一人のイタリアのジョルジュ・パリーシ氏は「原子から惑星のスケールまでの物理システムの無秩序と変動の相互作用の発見」が受賞理由である。気候などの複雑な現象を解明する理論作りに貢献したということらしい。
(真鍋淑郎氏)
 2014年に書いた「ノーベル地学賞はないのだろうか」という記事が最近読まれている。そこで僕は「地球科学そのものも物理現象で起きているわけだから、一応は物理学賞で対応できないわけではない。(たまに地学分野に近い受賞がないわけではない。)」と書いた。しかし気象学に近いような受賞は1948年のエドワード・アップルトン氏(イギリス)以来らしい。(受賞理由は「上層大気の物理的研究、特にアップルトン層の発見」となっている。)日本の高校理科の「地学」には宇宙分野が含まれているので、その意味で地学分野の受賞はあっても、今回のように気候変動がノーベル賞の対象になると予想した人は少ないだろう。

 記者会見での紹介によれば、真鍋淑郎氏は「気候変動問題のマイケル・ジョーダン」なんだそうだ。しかし僕はマイケル・ジョーダンは知っているが、真鍋淑郎は知らなかった。翌日の天気予報を見ていたら、各局の気象予報士が気象学の本には必ず載っている人だと言っていた。皆は知っていたのだろうか。1995年には朝日賞を受賞しているのだから、日本でも業績は知られていたのだ。もう25年も前だから、65歳での受賞である。その頃の朝日賞を調べてみると、野依良治氏や小林誠益川敏英氏など後にノーベル賞を受賞する人が受賞している。

 1995年の受賞者は、谷川俊太郎丸木位里・丸木俊桂米朝大林太良真鍋淑郎廣川信隆の6氏である。(他にスポーツ特別賞として青木半治氏。)大林は日本の神話学の第一人者である。丸木夫妻はもちろん「原爆の図」の画家で、廣川氏は「神経細胞骨格と細胞内の物質輪送に関する先駆的研究」で受賞している。こうしてみると、自然科学分野だけ知らないなと思う。

 それは今年(2020年)も同様で、細野晴臣森山大道蔡兆申・中村泰信望月拓郎の4件5人だが、前の二人しか知らない。1929年に始まった第1回朝日賞からして、坪内逍遥栖原豊太郎前田青邨の3人で真ん中の栖原氏だけ知らない。「特超高速活動写真撮影機の発明製作」が受賞理由になっている。これが自然科学、特に技術的な発明などにつきまとう運命なんだろう。
(ノーベル物理学賞の発表風景)
 真鍋氏はアメリカ在住でアメリカ国籍も取っている。ノーベル賞サイドの発表では、当然USAの学者となっている。記者会見での応答が興味深かったが、日本では「協調性」がないと生きていけない、自分には無理だと答えていたのが興味深かった。日本の「出る杭は打たれる」風土を「出る杭を伸ばす」社会に変えていかないといけない。それにしても真鍋氏の場合、1958年に渡米したのであって「頭脳流出」などと言う段階ではない。日本はまだまだ貧しく、東大の大学院であってもコンピュータを自由に使用するなどできないに決まってる。アメリカへ移って研究を進めて業績を上げたのは、人類の利益にかなう決断だった。

 そして近年の理系ノーベル賞受賞者が皆口にする「日本の現状」への苦言を真鍋氏も述べている。「最近の日本の研究は、以前に比べて好奇心を持って研究することが少なくなっているように思います。日本では、科学者が政策を決める人に助言する方法、つまり、両者の間のチャンネルが互いに通じ合っていないと思います。米国はもっとうまくいっていると思う。」というのは重要だ。岸田新政権は日本学術会議の会員任命拒否問題を解決する意思がないようだ。そこら辺から解決しなくてはいけないのだから、日本で生きるのはしんどい。
(若き日の真鍋氏)
 朝日新聞10月8日付に『福岡伸一さんが読み解く「地球温暖化の予測」』という解説記事が掲載されている。これが非常に興味深かった。特に日本気象学会の機関誌「天気」に載ったインタビュー(1987年)の内容が味わい深い。苦労の連続を振り返りながら、最後に「理論ばかりでは自然科学にならないし、観測をやってもモデリングをやらねばメカニズムの理解はできない。この三つが一体になって研究しなければ、グローバルな環境の研究は進みません。」を福岡氏は「至言です」と絶賛する。

 僕はこの言葉は、自然科学のみに止まるものではないと思う。理論物理学者武谷三男三段階論にも通じるかなと思う。それは量子力学のケースであるが、現象論的段階実体論的段階本質論的段階の三段階で理解するべきだという考え方である。これは何も自然科学に止まらず、歴史学においても「史料」と「理論」の中間に「モデリング」がなければ、単なる理論のあてはめか、史料の羅列になってしまう。「モデリング」にあたるものは、人文・社会科学にも必要だし、ある意味日常生活にも大事なことだと思う。この福岡氏の記事は是非探して読んで欲しいと思う。
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