尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

澤井信一郎、さいとう・たかを、内橋克人等ー2021年9月の訃報

2021年10月06日 22時32分08秒 | 追悼
 2021年9月の訃報特集。9月の訃報ではジャン=ポール・ベルモンド色川大吉を別に書いた。
 映画監督の澤井信一郎が9月3日死去、83歳。1984年に公開された薬師丸ひろ子主演の「Wの悲劇」には驚かされた。そもそもの原作は夏樹静子のミステリーだが、それは劇中劇になっていて蜷川幸雄が演出している。主筋はその周辺という脚本の工夫がすごい(澤井と荒井晴彦の共同)。松田聖子主演の「野菊の墓」(1980)がデビュー。1985年の「早春物語」は原田知世主演だから、僕はついアイドル映画の監督と思って当時はあまり見てなかった。その後の作品に「ラブ・ストーリーを君に」「福沢諭吉」「わが愛の譜 滝廉太郎物語」「時雨の記」などがある。東映出身で「昭和残侠伝 死んで貰います」などの助監督をしたし、トラック野郎シリーズや「麻雀放浪記」などの脚本を書いたことも忘れられない。
(澤井信一郎)
 「ゴルゴ13」で知られる漫画家さいとう・たかをが9月24日死去、84歳。本名斉藤隆夫。貸本漫画からのスタートで、「劇画」というジャンルを確立した世代になる。「ゴルゴ13」は1968年から連載が開始され、ギネス記録になっている。冷戦終結を生き延びたのに、コロナ禍で休載したという。死後も連載が続くというが、プロダクションで分業するシステムが完成している。他に「無用ノ介」「鬼平犯科帳」など。名誉都民だった。
(さいとうたかを)
 虫プロのアニメ映画の中心だった山本暎一が9月7日死去、88歳。1961年に設立された手塚治虫の虫プロに参加。アニメ映画「ある街角の物語」制作の中心となった。テレビの「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」などに関わったが、それ以上に虫プロが大人向けアニメとして作った「千夜一夜物語」「クレオパトラ」「哀しみのベラドンナ」の監督を務めたことで知られる。当時は不評だったが今見るとどうなんだろう。虫プロ倒産後は「宇宙戦艦ヤマト」製作に参加した。1989年に「虫プロ興亡記 安仁明太の青春」を書いている。
(山本暎一)
 経済評論家の内橋克人が1日死去。89歳。神戸新聞社記者を辞めて、フリーとなって「匠の時代」シリーズで知られた。高度成長を支えた現場技術者を描くというが、サンケイ出版から出ていたこともあり僕は高度成長ヨイショ本かと思って敬遠していた。しかし、その後の内橋氏は市場原理主義、構造改革批判の立場を強めていった。21世紀には「共生経済」を展望した。しかし、全然読んでないのでちゃんと評価することができない。
(内橋克人)
 漫才コンビ「正司敏江・玲児」で人気だった正司敏江が9月18日死去、80歳。夫の玲児と組んで「どつき漫才」で人気を得た。離婚後もコンビを継続し、玲児が2010年に死去後も一人で芸能活動を続けていた。
(正司敏江、右=玲児)
 1975年から79年に活動したフォークデュオ「」のメンバーだった大久保一久が9月12日死去、71歳。それ以前に「」に所属していたが、1975年に「かぐや姫」の伊勢正三と「」を結成した。最初に出した「22才の別れ」が大ヒットした。「風」解散後はソロ活動をしていたが、1983年に休止して薬剤師として勤務した。
(大久保一久、若い頃)
 自民党衆議院議員で、元復興相、自民党総務会長の竹下亘(わたる)が9月17日死去、74歳。元首相の竹下登の弟で、秘書を経て2000年の竹下登引退を受けて立候補して7回連続当選。旧竹下派につながる「平成研究会」に所属、2018年から会長をしていた。2019年から食道ガンを公表していた。
(竹下亘)
 スイスの指揮者ミシェル・コルボ(Michel Corboz)が9月2日死去、87歳。特に合唱曲や主教曲で知られる。61年にローザンヌ声楽・器楽アンサンブルを創設し、合唱音楽の復興に尽力した。特にフォーレやモーツァルトの「レクイエム」で多くの名盤を残した。僕は「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」でフォーレの「レクイエム」を聴いている。レコードも持っている。
(ミシェル・コルボ)
 ギリシャで20世紀最大の作曲家と言われるミキス・テオドラキスが9月2日死去、96歳。交響曲も有名らしいが、世界的には映画「その男ゾルバ」で知られた。ギリシャを舞台にしたコスタ=ガヴラス監督の「」でも知られる。他の映画音楽に「エレクトラ」「戒厳令」など。第二次大戦中のレジスタンス以来、左派系活動家でも知られ、1967年の軍政クーデターではパリに逃れた。民政復帰後は国会議員にもなり大臣も務めた。
(ミキス・テオドラキス)
 アメリカの映画監督、メルヴィン・ヴァン・ピーブルズ(Melvin Van Peebles)が9月21日死去、89歳。アメリカのアフリカ系映画で初めて商業的な成功を収めた低予算映画「スウィート・スウィートバック」(1971)で知られている。日本では93年に公開され、また2014年にはフィルムセンターでMoMA修復版が上映されたが見ていない。監督作は数作あり、俳優、歌手、作家でもあるが、ほとんどその一作で記憶されている。
(メルヴィン・ヴァン・ピープルズ)
 アルジェリアの前大統領、アブデルアジズ・ブーテフリカが9月17日死去、84歳。アルジェリアの独立戦争に参加し、独立後の1962年にベンベラ政権の青年・スポーツ・観光相に25歳で就任した。翌1963年には26歳で外務大臣に就任して話題となった。その後解任されたが、1965年のクーデタでブーメディエンが大統領になると復活した。通算16年外相を務め、大統領後継を取り沙汰されたが1979年に失脚。90年代のイスラム過激派との悲惨な内戦を経て、1999年の民政復帰で大統領に当選した。治安の回復と豊富な天然ガスで一定の成果を挙げたが、2期までと言う憲法を改正して4期務めて独裁者と批判されるようになった。2019年に5選を目指すと表明して反対デモが噴出し辞職した。60年代の「アフリカ独立の10年」から活動した最後の政治家の一人。
(ブーテフリカ)
山田康之、8月15日死去、89歳。農学者で植物バイオテクノロジー分野の第一人者。稲の培養細胞から稲の個体を再生させることに世界で初めて成功した。奈良先端科学技術大学院大学長時代に、山中伸弥氏がiPS細胞につながる研究を始めた。文化勲章受章。
深沢弘、8日死去、85歳。ニッポン放送アナウンサー。野球中継の実況を務め、長嶋茂雄引退試合を担当したことで知られた。
和泉正敏、13日死去、82歳。彫刻家。イサム・ノグチの制作パートナーとして支えて、イサム・ノグチ日本財団理事長。
桜井順、25日死去、87歳。作曲家。富士フイルムの「お正月を写そう」などのCMの他、「黒の舟唄」「マリリン・モンロー・ノー・リターン」「バージン・ブルース」を作曲した。
石水勲、26日死去、77歳。石屋製菓名誉会長。1976年に「白い恋人」を発売したことで知られる。
藤木高嶺、29日死去、95歳。朝日新聞写真部記者として本多勝一のイヌイット、ニューギニア高地、ヴェトナム戦争などの取材を行った。
ロジャー・ミッシェル、22日死去、65歳。イギリスの映画監督。「ノッティング・ヒルの恋人」(99)が世界的にヒットした。
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