尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

瀬々敬久監督の映画「護られなかった者たちへ」

2021年10月19日 22時53分47秒 | 映画 (新作日本映画)
 「護られなかった者たちへ」という映画を見た。チラシには「佐藤健(容疑者)×阿部寛(刑事)×瀬々敬久(監督)」と書かれている。佐藤健や阿部寛だけでなく、瀬々敬久(ぜぜ・たかひさ)監督もウリになるのか。時間がちょうど合って近所に見に行ったんだけど、内容が内容なので一応書いて置くことにする。何しろ「東日本大震災」「生活保護」を真っ正面から描く映画なのである。でも後味が悪い映画かなと思った。佐藤健や清原果耶目当てに見に行くと引いちゃうかもしれない。要注意の映画である。

 瀬々敬久監督はピンク映画から出発したが、一般映画を撮るようになってからの壮大な映像世界が見応えがある。4時間38分の「へヴンズストーリー」や189分の「菊とギロチン」など作家性の強い映画だけでなく、「64」「楽園」「友罪」「」など多彩な映画をヒットさせた。どれも壮大で見応えがある映像である。今年もすでに「明日の食卓」があったし(見逃し)、来年以降も公開作が控えている。要注目の監督の一人だ。
(佐藤健×阿部寛)
 宣伝からコピーすると、「東日本大震災から10年目の仙台で、全身を縛られたまま放置され“餓死”させられるという不可解な殺人事件が相次いで発生。被害者はいずれも、誰もが慕う人格者だった。捜査線上に浮かび上がったのは、別の事件で服役し、刑期を終え出所したばかりの利根(佐藤健)という男。刑事の笘篠(阿部寛)は、殺された2人の被害者から共通項を見つけ出し利根を追い詰めていくが、決定的な証拠がつかめないまま、第3の事件が起きようとしていた―― なぜ、このような無残な殺し方をしたのか? 利根の過去に何があったのか?」

 物語はミステリーとして進行する。10年前と行ったり来たりしながら、ベースは阿部寛林遣都の刑事二人組が事件を追うのが主筋。だから詳細は書けないが、発端は大震災にある。阿部寛の刑事も震災で家族を失っているが、10年前の避難所のシーンが長い。そこでは佐藤健が心を閉ざしているが、カンちゃんという子どもと遠島けい倍賞美津子)の二人が気に掛けてくれる。それぞれ誰も家族がいない3人で、助け合って生きていく。
(3人で助け合う)
 10年経ってどうなったか。利根(佐藤健)はかつて避難所で助け合ったカンちゃんを探す。大人になった丸山幹子清原果耶)は公務員になって生活保護の現場で働いている。事件の被害者も生活保護に関わる仕事をしていたことが判って、刑事は話を聞きに行く。そして幹子の仕事を描きながら、「生活保護」の問題点をあぶり出していく。そして遠因に大震災があり、避難所で知り合った三人には一体何が起こったのかを刑事が追う。阿部寛演じる笘篠刑事は相当に強引な捜査をしているが、阿部寛、佐藤健の演技合戦は見どころ。ずいぶん走っている。
(清原果耶演じる丸山幹子)
 この物語は中山七里の原作がもとになっている。仙台が舞台になっていて、映画も仙台を中心にロケされている。原作はもっと生活保護の状況を詳しく描いているらしい。映画ではロケの風景の中で大きな人間ドラマが展開される感じ。そこが「映画を見た」という満足感を与えるけれど、僕が見るところ話が図式的で納得できないのである。図式的という言葉は「イデオロギー的」といった感じで使われることが多いが、ここで言うのは作家側が意図した「物語の構図」をはみ出さないというような意味。

 「餓死」という死因の殺人事件は珍しいと思うが、そこがポイントとなる。だけど、いくら何でもこの物語はやり過ぎではないか。まあ永山則夫が言ったように、殺人は「仲間殺し」だということなのか。カンちゃんは天気予報してる方がいいよという難役。一生懸命やってるけど、僕は無理があると思った。むしろ事件の「主犯」は「生活保護を受給しにくくしている政治家」であるはずだ。それは誰なのか。ちょっとは言及されるけれど、そこはやはり弱い。コロナ禍のいま、この映画はとても重要な問題を告発している。それだけに個人の問題のように進行して「悲劇のドラマ」のように終わるのが残念だった。
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