「93年政局」とは直接関係ないとも言えるけれど、「1993年衆議院選挙初当選議員」の顔ぶれがあまりに凄いので、そのことを紹介して考えてみたい。そのことは政界ウォッチャーにはよく知られていることだが、一般には意識していない人が多いかもしれない。何しろ、あの人も、あの人も、この人も…与野党越えて「93年初当選組」なのである。例えば、現在の首相である岸田文雄がそうだし、憲政史上最長の総理大臣となった安倍晋三もそうである。野党を見れば立憲民主党代表枝野幸男や共産党委員長の志位和夫もそうなのである。
(93年当選直後の岸田首相)
民主党政権で総理大臣を務めた野田佳彦もそうだし、そもそも日本新党から当選一期で連立政権の首相となった細川護熙も(参院議員の経験はあるが)衆議院には初当選だった。だから「93年初当選組」は現在までに4人の総理大臣を生んだ「栄光の初当選組」なのである。他にも現在の東京都知事である小池百合子や名古屋市長の河村たかしもこの時衆議院に当選していた。先の自民党総裁選候補4人の中で岸田以外でも、高市早苗、野田聖子は93年組である。現在の外務大臣茂木敏充もいるから、93年組総理の人数はもっと増える可能性がある。
何で「93年初当選組」に多くの人材が集中したのだろうか。それにはいくつかの理由が考えられる。昭和天皇が1989年に亡くなり、長かった「昭和」が「平成」になったばかり。同じ頃にバブル崩壊、冷戦終結が重なり、新しさを求めるような時代だった。だから「新」が付く政党がこの時にはブームを呼んだ。「新生党」「日本新党」「新党さきがけ」である。新党ブームで当選した議員が後に重要な役を果たすわけである。日本新党で当選した野田佳彦、前原誠司、枝野幸男などが代表例である。
(当時の枝野幸男)
また保守政界の代替わりもこの時期に集中した。安倍晋太郎没後に安倍晋三が当選したのが代表である。田中角栄は1990年に引退し、長女の田中真紀子が1993年に初当選した。福田赳夫も1990年に引退し、福田康夫は90年に初当選した。渡辺美智雄は1995年に死去し、96年に渡辺喜美が当選する。70年代以後の保守政治を担った政治家たちが引退、死亡の時期を迎え、議席は「世襲」されたのである。岸田文雄(岸田文武)、塩崎恭久(塩崎潤)、林幹雄(林大幹)、浜田靖一(浜田幸一)、小此木八郎(小此木彦三郎)、栗原裕康(栗原裕幸)、稲葉大和(稲葉修)などが93年に世襲で当選している。カッコ内は父親。
もう一つ隠れた理由として社会党の凋落が挙げられる。新党ブームの直前には社会党ブームがあった。1986年に土井たか子が社会党委員長に就任したためである。89年参院選、90年衆院選では女性候補が「マドンナブーム」と話題になった。90年に社会党は83議席から136議席へ53議席増になった。(自民も20議席減らしたものの過半数を確保した。社会党の議席増は公明、民社、共産の議席減をもたらしたのである。)社会党は90年衆院選で56名(推薦を入れると59名)の新人議員が当選した。その中には輿石東、赤松広隆、仙谷由人らも含まれるが、多くは93年に落選した。社会党から日本新党などにブームが移り変わったためである。
しかし、93年当選組の政治遍歴も厳しいものがあった。96年には選挙制度が変わって小選挙区比例代表並立制となった。日本新党から新進党に所属した野田佳彦は96年には落選した。新進党は小選挙区と比例の重複を認めなかったため、自民の田中昭一にわずか105票差で敗北したために比例で復活できなかったのである。また2005年には郵政解散、2009年の民主党政権誕生、2012年の自民党政権復帰と21世紀には大きな政治ドラマが続き、それを生き延びるのは政治家にとって大変なことだった。オセロゲームのように勝者敗者が入れ替わり、政治家が育たなかった時代を生き抜いたのが93年初当選組に多かったのである。
それでも中央政界から転じて地方自治体の首長に転じた政治家が多いのも特徴だ。現職では小池百合子(東京都知事)、中村時広(愛媛県知事、元松山市長)、河村たかし(名古屋市長)、西川太一郎(東京都荒川区長)がいる。元職としては上田清司(埼玉県知事)、松沢成文(神奈川県知事)、横内正明(山梨県知事)、中田宏(横浜市長)、山崎広太郎(福岡市長)、山田宏(東京都杉並区長)など多彩な顔ぶれがいた。
(初当選時の小池百合子)
党首級では公明党代表を務めた太田昭宏、民主党代表を務めた海江田万里もいる。公明党では2012年以後に連立政権で国土交通相として入閣した太田昭宏、石井啓一、赤羽一嘉、斉藤鉄夫はいずれも93年組。また21世紀の外務大臣には田中真紀子、前原誠司、玄葉光一郎、岸田文雄、茂木俊充と93年初当選組が多いのも特徴だ。他にも93年初当選組には様々な議員がいるが、全員を書いていても長くなりすぎるからもうオシマイ。
時代の変化の中で、最後の選挙制度で実に多様な議員が誕生した。それが幾多の政治ドラマを産んだ。ここでは評価を抜きに書いてきたけれど、改めて名前を確認すれば、どうも日本を悪くした政治家が多い感じもする。パフォーマンス優先のポピュリスト的政治家を大量に生み出したのが、1993年の衆議院選挙だったかもしれない。
(93年当選直後の岸田首相)
民主党政権で総理大臣を務めた野田佳彦もそうだし、そもそも日本新党から当選一期で連立政権の首相となった細川護熙も(参院議員の経験はあるが)衆議院には初当選だった。だから「93年初当選組」は現在までに4人の総理大臣を生んだ「栄光の初当選組」なのである。他にも現在の東京都知事である小池百合子や名古屋市長の河村たかしもこの時衆議院に当選していた。先の自民党総裁選候補4人の中で岸田以外でも、高市早苗、野田聖子は93年組である。現在の外務大臣茂木敏充もいるから、93年組総理の人数はもっと増える可能性がある。
何で「93年初当選組」に多くの人材が集中したのだろうか。それにはいくつかの理由が考えられる。昭和天皇が1989年に亡くなり、長かった「昭和」が「平成」になったばかり。同じ頃にバブル崩壊、冷戦終結が重なり、新しさを求めるような時代だった。だから「新」が付く政党がこの時にはブームを呼んだ。「新生党」「日本新党」「新党さきがけ」である。新党ブームで当選した議員が後に重要な役を果たすわけである。日本新党で当選した野田佳彦、前原誠司、枝野幸男などが代表例である。
(当時の枝野幸男)
また保守政界の代替わりもこの時期に集中した。安倍晋太郎没後に安倍晋三が当選したのが代表である。田中角栄は1990年に引退し、長女の田中真紀子が1993年に初当選した。福田赳夫も1990年に引退し、福田康夫は90年に初当選した。渡辺美智雄は1995年に死去し、96年に渡辺喜美が当選する。70年代以後の保守政治を担った政治家たちが引退、死亡の時期を迎え、議席は「世襲」されたのである。岸田文雄(岸田文武)、塩崎恭久(塩崎潤)、林幹雄(林大幹)、浜田靖一(浜田幸一)、小此木八郎(小此木彦三郎)、栗原裕康(栗原裕幸)、稲葉大和(稲葉修)などが93年に世襲で当選している。カッコ内は父親。
もう一つ隠れた理由として社会党の凋落が挙げられる。新党ブームの直前には社会党ブームがあった。1986年に土井たか子が社会党委員長に就任したためである。89年参院選、90年衆院選では女性候補が「マドンナブーム」と話題になった。90年に社会党は83議席から136議席へ53議席増になった。(自民も20議席減らしたものの過半数を確保した。社会党の議席増は公明、民社、共産の議席減をもたらしたのである。)社会党は90年衆院選で56名(推薦を入れると59名)の新人議員が当選した。その中には輿石東、赤松広隆、仙谷由人らも含まれるが、多くは93年に落選した。社会党から日本新党などにブームが移り変わったためである。
しかし、93年当選組の政治遍歴も厳しいものがあった。96年には選挙制度が変わって小選挙区比例代表並立制となった。日本新党から新進党に所属した野田佳彦は96年には落選した。新進党は小選挙区と比例の重複を認めなかったため、自民の田中昭一にわずか105票差で敗北したために比例で復活できなかったのである。また2005年には郵政解散、2009年の民主党政権誕生、2012年の自民党政権復帰と21世紀には大きな政治ドラマが続き、それを生き延びるのは政治家にとって大変なことだった。オセロゲームのように勝者敗者が入れ替わり、政治家が育たなかった時代を生き抜いたのが93年初当選組に多かったのである。
それでも中央政界から転じて地方自治体の首長に転じた政治家が多いのも特徴だ。現職では小池百合子(東京都知事)、中村時広(愛媛県知事、元松山市長)、河村たかし(名古屋市長)、西川太一郎(東京都荒川区長)がいる。元職としては上田清司(埼玉県知事)、松沢成文(神奈川県知事)、横内正明(山梨県知事)、中田宏(横浜市長)、山崎広太郎(福岡市長)、山田宏(東京都杉並区長)など多彩な顔ぶれがいた。
(初当選時の小池百合子)
党首級では公明党代表を務めた太田昭宏、民主党代表を務めた海江田万里もいる。公明党では2012年以後に連立政権で国土交通相として入閣した太田昭宏、石井啓一、赤羽一嘉、斉藤鉄夫はいずれも93年組。また21世紀の外務大臣には田中真紀子、前原誠司、玄葉光一郎、岸田文雄、茂木俊充と93年初当選組が多いのも特徴だ。他にも93年初当選組には様々な議員がいるが、全員を書いていても長くなりすぎるからもうオシマイ。
時代の変化の中で、最後の選挙制度で実に多様な議員が誕生した。それが幾多の政治ドラマを産んだ。ここでは評価を抜きに書いてきたけれど、改めて名前を確認すれば、どうも日本を悪くした政治家が多い感じもする。パフォーマンス優先のポピュリスト的政治家を大量に生み出したのが、1993年の衆議院選挙だったかもしれない。