尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

誰が6人を除外したのかー学術会議問題④

2020年10月15日 22時54分15秒 | 政治
 本や映画の話を書いてる間に「学術会議問題」で少しずつ新事実が出てきた。菅首相は国会の閉会中審査にも出ず、記者会見も開かない。その代わりにマスコミ各社の「インタビュー」に応じるというおかしな事態が起こっている。1回目が10月5日で、内閣記者会当番幹事社の北海道新聞読売新聞日本経済新聞だった。他社は質問は出来ないが傍聴を認められた。他社もインタビューを申し込み、9日に朝日新聞毎日新聞時事通信社の3社のインタビューに応じた。(申し込み順だという。)しかし、このやり方自体に違和感がある。

 それはさておき、この9日のインタビューで「除外前の名簿は見ていない」という発言があったのである。さらに「任命に学者個人の思想信条が影響するか」との質問に「それはありません」と明白に否定した。これはにわかには信じられないが、とにかくそう言っている。これが大きな波紋を呼んだわけである。それまで理由は言わないが「総合的、俯瞰的に」判断したとしていた。そうなると法律で明確に総理大臣が任命するとなっているのに、総理大臣の権限を持たない何者かが「総合的、俯瞰的に」判断したということになってしまう。
(任命拒否をめぐる問題点=東京新聞13日)
 この答えが正しいのなら上の画像にあるように、「首相が推薦リストを見ていない」ならば、「推薦に基づいて」任命するという法律の規定に違反する。「首相が見たリストに当初から6人が除外されていた」とするならば、「内閣総理大臣が任命する」という法律の規定に違反する。そこで加藤官房長官がその後「微調整」を行って、「見てない」というのは「詳しくは見ていないということ」だとし、推薦リストから(99人を)任命しているから適法だと説明した。

 しかし、詳しく見てないのに6人を除外出来る理由がわからない。それも「思想信条は関係なく」「総合的・俯瞰的に」判断して「除外者」があったが、理由は人事だから言えない。これはさすがに安倍政権を「踏襲」するというだけあると思う。「桜を見る会」と同じような詭弁の連続だ。「首相と考え方が共有され、それにのっとり内閣府が99人の決済文書を起案した」ということだが、実際のプロセスでは今までの似たような人事案件と同じく、杉田和博官房副長官の関与が大きいらしい。「公安警察」出身の杉田氏の「恐怖支配」が菅内閣でも続いている。
(「インタビュー」に答える菅首相)
 野党側は杉田副長官の国会招致を求めている。当然のことだが、証人喚問でもなければ真実を語ることはないだろう。「人事」を理由にして国会に出てきても何も答えないと思う。しかし、「除外した理由」を何一つ示さずに、首相の権限だ、特別公務員だから首相が判断していいんだの一辺倒では誰も納得できないだろう。だからと言って「思想信条ではない理由」を6人すべてに説明出来るはずがない。僕は政権側は「もう詰んでいる」と思う。「学術会議のあり方について認識の行き違いがあった」とでも言って、「補充」として改めて6人を任命するしかないと思う。

 今回、大西隆元会長が盛んに発言をして政府を批判している。先に書いたように、大西氏は会長時代に軍事研究をめぐって「自衛ならいいのではないか」という方向でまとめようとしていた人物だ。今回乱暴な任命拒否を強行したことで、そういう人まで「学術会議擁護」の立場に追いやってしまった。文系学会だけでなく、自然科学系の93学会も「任命されなかったことを憂慮する」という緊急声明を発表した。これでは政権側からしても逆効果でしかないだろう。

 もっとも今までも補充人事について、内閣と対立して補充できなかったことがあったという。甘利明衆議院議員がブログで「学術会議は中国の『千人計画』に協力している」などというデマ記事を書いたのは8月6日だったという。(これは記述を秘かに修正していたと言うことだが。なお、広島への原爆投下の日に、こういうことを書いていたのである。)つまり、自民党あげての「反学術会議プロパガンダ」が進められていたのかもしれない。そういうプログラムがあったかどうか判らないけど、菅内閣の本質的な問題が現れている感じがする。今後も折に触れて書いていきたい。
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深田晃司監督「本気のしるし 劇場版」、圧倒的に面白いけど…

2020年10月14日 20時58分11秒 | 映画 (新作日本映画)
 「淵に立つ」「よこがお」等で現代日本を代表する若手映画監督となった深田晃司監督の「本気のしるし 劇場版」が公開された。名古屋テレビ放送(メーテレ)の深夜枠で2019年に全10回放送されたドラマを再編集したもので、開催されなかったカンヌ映画祭の公式選定作品に選ばれた。途中休憩を入れて全4時間を超えるが、全く退屈しないで見続けてしまう。どこにでもいるような人たちを描いているにもかかわらず、かつて見たことがないようなドラマだ。

 星里もちるの漫画が原作で、2000年から2002年に連載されたという。監督はその時から映像化したかったということだ。東京のおもちゃ商社に勤める辻一路森崎ウィン)は、会社でもしっかりしているように見えるが、実は本気になったことがない。今も恋愛禁止の職場で「二股」中である。職場で煙たがられている細川先輩とちょっとカワイイと人気のみっちゃんと。

 そんな彼がある夜、コンビニで地図をいつまでも見ている不思議な女性と出会う。車で来ていて、その車が近所の踏切で立ち往生している。電車が近づいてきて、何とか辻が救出する。警官が来るが、その時に女は「運転していたのはこの人」と辻を指さす。以後、彼女に振り回されてゆくのである。その女性が葉山浮世土村芳=つちむら・かほ)だった。土村芳はとても不思議な、迷惑だけど放っておけない、何となく気になってしまう女性を好演している。どこかで見たようだと思うと、「Mother」で長澤まさみの妹役だった人だった。
(コンビニで出会った浮世)
 その後レンタカー会社から電話がある。車の中に辻の名刺があったという。お金を少し貸したので、浮世の免許をスマホで写真に撮ってから名刺を渡していた。それも迷惑だが、少しすると今度はヤクザらしき金貸しからも電話がある。借金を返せないと言うので売り飛ばすことになるが、たった120万だから肩代わりする気はあるかというのだ。辻は浮世と何の関係もないけれど、何となく気になるので払ってしまう。相手組織の脇田北村有起哉)は何度も出てくるキーパーソンだが、辻の心の奥を言い当てる。浮世につい関わってしまうのは、破滅願望だと。

 浮世と関わって、辻は細川先輩もみっちゃんも失うことになる。しかし浮世には謎の奥に謎、嘘の奥に嘘が隠されていて、一体何者なのだろうか。愛してしまったのか、親切心なのか、何だか自分でも判らないうちに、どうしようもなく関わっている。仕事もうまく行かなくなるが、何故か最近話題のIT企業からヘッドハンティングの話も…。それもまた浮世絡みだったとは…。一体浮世とは何者か、脇田も興味を持って自動車教習所で一緒だった友人を見つけてくる。その女性と浮世は、技能も学科も不得意で、そこをある男性につけ込まれたのだという。

 美しい風景が見られるとか、驚くような映像や編集で見せるわけではなく、ただひたすら浮世をめぐる人間関係だけである。それが面白いから、延々と見飽きない。だが納得できるかというと、どうも今ひとつ納得できない感じがする。現実にいればはた迷惑なだけだと思うが、確かに会社の仕事や女性関係も充実していたわけでもないのだろう。辻の家族関係や履歴が一切出て来ないが、だからこそ成立する物語だ。浮世という女性に惹かれる理由も判らないではないけれど、自分だったら切るかもしれないなと思った。いいのか悪いのか、よく判らないけど。

 ついでに書いておくと主演の「土村芳」の名前、「かほ」と読ませるのはきつい。「」には「芳しい、良い香りがする」という意味がある。その「香り」から取っているんだと思われるが、「香り」の歴史的仮名遣いは「かをり」である。「シクラメンのかほり」という歌があったが、それも間違い。香りだったら「シクラメンのかをり」でなくてはおかしい。(だから「眞鍋かをり」は正しい。)以上、「かほ」という名前ではなくて、「芳」の訓読みとしてはおかしいなという話である。
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「レールの向こう」と「あなた」ー大城立裕を読む③

2020年10月13日 20時20分03秒 | 本 (日本文学)
 現代沖縄を代表する作家大城立裕が齢90歳を超えてまだ健在なので、少しずつ読んでみるシリーズ3回目。今回は地元の図書館で借りた最新の2冊。「レールの向こう」は2015年に第41回川端康成賞を受賞した。川端賞は短編に贈られる賞で、2018年まで44年間にわたって存続した。大城氏は1925年9月生まれだから、なんと89歳での受賞だ。短編という性格から、これまで70代の受賞者は何人もいるが、もう90歳に近い受賞というのはすごい。
(「レールの向こう」)
 表題作は著者初めての「私小説」という。妻が脳梗塞で入院した日々を描いている。「レールの向こう」のレールとは、現在の沖縄には一つしかない鉄道である「ゆいレール」のこと。空港と首里方面を結ぶモノレールで、首里の二つ手前が「市民病院前」。そこに入院して窓からレールが見えるのである。妻のこと、二人の息子のことなどが病状とともに語られていくが、途中で別の知人の話に飛ぶ。毎回のように沖縄の文学賞に船をテーマにした作品を送っていたが、訃報が届き追悼文を求められる。書く余裕がない中で、何かと思い出してゆく。

 続く「病棟の窓」では今度は自分が転倒して入院する。一体どうなるのかと思うが、それでも頭がしっかりしていて小説化出来るんだからすごい。どっちも「私小説」でありながら、現代沖縄の生活がやはり反映されている名篇。全部私小説かと思ったら、残りは現実をベースにしながらも、フィクションになっている。「エントゥリアム」はハワイで苦労した親戚を訪ねる。題名は花のアンスリウムのこと。「天女の幽霊」はユタ(沖縄の民間霊媒師)が生きている沖縄の民俗を描いている。開発にあたって「ユタ」のお告げを悪用することもあるのか。沖縄(本島)を理解するには実に面白い短編だった。他に「まだか」「四十九日のアカバナー」収録。
(「あなた」)
 次の「あなた」(2018年)になると、3年経って妻は亡くなった。亡妻の追憶だけで成り立った私小説である。「亡妻記」というのは日本文学では少ない。これからは増えてくるかもしれないが、単純に年長の夫から先に死ぬというのが多くの男性作家に起きることだ。その後に残された妻や娘が、亡くなった作家の回想記を書くというのが普通のパターンである。さて大城立裕の場合、もちろん米軍統治下に結婚し子どもも生まれて、大城は公務員と作家の二足のわらじで活躍した。支えた妻の苦労を今になって推し量るわけだが、中でも若い頃に膵臓炎で福岡県久留米の病院で手術したことが妻の記憶に残り続けた。「久留米の雪」を最後まで覚えていた亡妻が哀切だ。

 90歳を完全に超えて書かれた今度の作品は、もう回想エッセイみたいな文章ばかりである。「辺野古遠望」は半世紀近く前に兄とドライブして辺野古周辺に迷い込んだ話。そこに建設会社を営む兄や甥の(基地の仕事をどう請けるかなどの)苦労が折々に語られる。「B組会始末」「消息たち」は自分の学校時代の友人を振り返る。B組会は沖縄県立二中、「消息」は上海にあった東亜同文書院の同窓生の話。著者が余裕がない暮らしの中、東亜同文書院に行ったのは沖縄県の援助制度があったからだ。その結果、中国で召集されたため、中国戦線は知ってるけど沖縄戦は経験しなかった。知人が沖縄を超えて全国にいるのも、そこへ進学したから。

 「拈華微笑」(ねんげみしょう)は仏教用語で一発変換できた。「以心伝心」みたいな意味だという。不可思議な父の追憶である。父は母を置き去りにして、首里で女性と暮らしていた。子どもたちは「おばさん」と呼んでいたが、父は「おばさん」にも見放されてしまう。それなりの仕事をしているのに、節約生活が出来ずに苦労が絶えない。そんな父の思い出を語っていく。「御嶽(うたき)の少年」は子ども時代に夏休みに村の祖母宅で過ごした日々の思い出。いずれも好短編で読みやすいけれど、さすがに年齢的にもピークを過ぎている感は否めない。

 大城立裕を読んでいるのは、沖縄を理解するためという目的が大きい。だがそれだけなら歴史や基地問題などを読む方がいいかもしれない。今回紹介した2冊は、沖縄を理解するという意味は大きくない。大城立裕を読んでいる人にしか意味がないとは思うが、日本語で創作を行う作家の最長老の一人の晩年の仕事に触れたかった。それでも前近代から現在まで、沖縄から日本、ハワイまで、身辺雑記を中心にしながらも、やはり広がりがある。沖縄独特の民俗習慣も出てくる。「本土」とはやはり相当異なった暮らしがある。今後も時々続ける予定。
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映画「糸」(瀬々敬久監督)、上出来のメロドラマ

2020年10月12日 20時38分53秒 | 映画 (新作日本映画)
 「」のような大ヒット作品は、まあ見てもいいけど見なくてもいいかなと思っていた。でも「悪党」を見て瀬々敬久監督の並々ならぬ演出手腕を改めて実感して、「糸」も見ておこうと思った。4月公開予定が8月に延期され、それももう終盤に近づいている。この映画を菅田将暉小松菜奈じゃなくて、(あるいは中島みゆきの主題歌でもなく)監督の瀬々敬久目的で見る人はほとんどいないと思うが、やはり演出や編集の素晴らしさを心から満喫できるメロドラマだった。

 中島みゆき」をモチーフにオリジナルストーリーを作ったもので、ちょうど「平成元年」に生まれた高橋蓮菅田将暉)と園田葵小松菜奈)の出会いと別れを描いている。北海道で出会い、東京で再会し、沖縄、シンガポールとさすらいながら、北海道で再会できるのか。「観光映画」でもあるような美しく壮大な映像を背景に、現代の「君の名は」が展開される。(この「君の名は」は菊田一夫原作のすれ違いメロドラマである。)

 中学1年生のとき、美瑛の花火大会で出会う。蓮は「サッカー日本代表になって世界で活躍する」というが葵は「平凡な人生を送りたい」と答える。それによって、エンタメ作品の文法により、二人の人生が逆になるだろうことが示される。以後、ストーリーに触れることになるが、まあファンだから見る人はもう見ただろうし、文法通りだからネタを書いても許されるだろう。葵は家庭的に恵まれないが、東京でキャバクラ嬢をしているときに救ってくれる人が現れる。(美人は得なのである。)しかし、社長の彼はリーマンショックでお約束の運命をたどる。

 友人の結婚式で再会した二人は、葵に彼がいて別れていく。蓮はサッカーを諦めて地元のチーズ工房に勤めていて、先輩の桐野薫榮倉奈々)と親しくなる。やがて結婚して子どもが出来るが、薫には腫瘍が見つかる。何としても子を産むと頑張るが、やがて薫の病気は再発する。果たして助かるのだろうかなどと心配する意味はなく、葵と奇跡の再会をするために薫は消える運命にある。しかし、二人の子どもはとても「いい子」に育つ。薫は娘に「泣いている人を見たら抱きしめてあげるんだよ」と語り、スーパーで買い物中に悲しみがいっぱいになった蓮を娘が抱きしめる感動シーンにつながる。
(父親を抱きしめる幼い娘)
 葵は友人に誘われてシンガポールでネイリストになる。挫折を超えて成功をつかむが、今度は裏切られる。挫折して日本へ帰る前、日本食堂でまずいカツ丼を食べる小松菜奈をカメラがずっと見つめ続ける。店内には「糸」が流れている。(映画の中で4回流れるうち3回目。)多くの人が書いているが、このカツ丼シーンはそれだけでも見る価値がある名シーンだ。

 一方で、その後の蓮はチーズ作りに賭けるが、なかなか成功しない。しかし娘の何気ない一言で美味しいチーズが出来て東京のレストランで採用される。東京に来た蓮、日本に帰った葵。二人は同じ時に新宿にいるけれど、新宿駅西口の中央公園の歩道橋の上と下で出会えない。一つのフレームに二人をとらえた名場面である。

 こういう風にお約束的に進行するが、お涙頂戴の一歩手前で立ち止まる。その節度あるセンチメンタリズムがなかなか快い。それが演出の手腕というもので、菅田将暉と小松菜奈だから当然クローズアップも多いんだけど、時々驚くようなロングショットに切り替わる。その編集リズムが気持ちいいのである。寄せと引きのリズムが北海道やシンガポールで展開されるとき、とても上質のメロドラマが成立するのである。カツ丼シーンと同じくらいの名シーンが函館空港の「もしもしコーナー」。実際にあるものだそうで、搭乗手続きを経た後で両方で話すことが出来る。
(函館空港の「もしもしコーナー」)
 上出来のメロドラマは世の中に必要で、こういう映画を通して若い世代がいろいろと感じていけばいいと思う。虐待や貧困の問題とか、アジアで働く意味とか、子ども食堂とか、悲しみを抱えて生きていくことなどについて。それらはナマで語っても、上手には伝わらない。プロの技術で、巧みに構成されたときに初めて多くの人の心を打つ。その意味で瀬々敬久が時たまこういうのを作るのは意味があると思う。小松菜奈は若い時期の代表作になると思う。(しかし今年の女優賞は長澤まさみにあげたい。)僕は榮倉奈々は助演女優賞の有力候補だと思った。

 最後に書いておくが、この映画は発想に大きな問題がある。中島みゆき「糸」はいいけど、それを「平成史」に重ねると言われても、元号の問題性もあるが、僕なんか年代が全然判らないのだ。「昭和」はもちろん判る。しかし、「平成」は西暦でしか認識してないから、それが一体何年のことなのか、映画を見ていて混乱してしまうのである。特に21世紀になって起こった「同時多発テロ」「リーマンショック」「東日本大震災」など、平成何年の出来事かすぐには言えない人は多いんじゃないか。それに「平成元年」生まれの設定だから、実質18年ほどの物語なのである。
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「ピストルズ」、宿命のラビリンスー阿部和重を読む⑤

2020年10月11日 20時54分33秒 | 本 (日本文学)
 阿部和重の「ピストルズ」(2010)は、大傑作「シンセミア」(2003)に続く「神町トリロジー」の第2作である。山形県東根市神町(じんまち)は著者の故郷でもあるが、阿部和重ワールドでは独特の歴史が刻まれている。戦前に海軍基地があったため空襲で大被害を受け、戦後に米軍が駐留した。その頃も町を分断する自警団が生まれたが、最近では2000年に大洪水が襲い町は大混乱に陥り一晩に10名が死亡することになった。(それを書いたのが「シンセミア」。)

 それから5年、2005年の神町では再び不穏な情勢が生じていく。しかし、この上下2冊の大長編の「語りの構造」はなかなか複雑だ。神町東方(現在は陸上自衛隊駐屯地の近く)に若木山(おさなぎやま)という丘のような低山があり、そこに古くから若木神社があった。それは以前から神町ものには出ているのだが、調べてみると実在する神社である。戦時中に山に防空壕がたくさん作られたのも事実。その神社の麓には神社とともに1200年も続いてきた「菖蒲(あやめ)一族」が存在した。ハーブやキノコの幻覚効果を利用して人々の心を支配し続けてきたのだ。

 その効能は著しく、戦後の米軍も偶然にその効果を知ることになった。米軍の心理作戦を研究する部門では、日本の「アヤメ・メソッド」に注目し続けている。テロを未然に防いだり、今も知られざる活躍をしているのである。菖蒲一族は若木山麓で果樹園を営みながら、同時に日本中から悩める人が集まってきた。今は「ヒーリングサロン・アヤメ」として開業もしている。60年代、70年代には一種のコミューンのように多くの若者が共同生活をしていた。

 菖蒲一族は一子相伝で秘術を伝承してきたが、当代の当主菖蒲水樹(あやめ・みずき)はその父から子孫をもうける呪術を掛けられ、子を産んでくれる女性を求め続ける。その結果、いくつもの悲劇を生みながら、母の違う4人の女子が生まれることになった。上から、そらみあおばあいこみずきである。さらにあいこの異父兄カイトもいるが、母親はいずれもいない。これまで代々男子が継承してきた菖蒲家の秘事だが、父は4人目の女子が生まれたのを見て当主の名「みずき」を娘に与えて女子につがせることにした。

 そんな知られざるコミューンがあったというのである。文中で自ら触れているように、これは半村良産霊山秘録」(むすびのやまひろく)みたいである。1200年も続いているというのは史料では裏付けられないと中でも語られている。というか、これまで普通の小説のように、主人公が客観的に叙述したかのように書いているが実はそこがそもそも違っている。2000年に起きた町の悲劇を食い止められなかった書店主がいた。石川という店主は神町の歴史を調べていて、過去に起こった忌まわしい事件も知っていた。自警団など作らない方がいいと主張したのに商店会では受け入れられなかった。以後5年、ほとんどうつけ者として過ごしてきたのだった。
(若木神社=おさなぎじんじゃ)
 しかし神町に小説家が住んでいるという。それは菖蒲家の次女、菖蒲あおば(ペンネーム「三月」)がジュニア小説家として何冊か書いているというのだ。全く知らなかったので、訪ねてみる。菖蒲家は地元でもほとんど知られていなかったのである。(そして実は石川書店主の娘は「グランド・フィナーレ」に出てきていた。)菖蒲家の4女みずきと石川の娘は同級生でもあった。しかし娘は彼女の記憶がほとんどないという。そんな事情をもっと詳しく知りたいと思い、石川はあおばを定期的に訪ねて話を聞くことにする。そのインタビュー記録がこの本の大部分を占めている。

 この構造は小説としては異例というべきだ。ほぼすべてが菖蒲あおばと石川の語りで構成されている。あおばは一族の秘密を全て明かすというのだが、最後には秘術を使って忘れて貰うというのだ。世に知らしめてはいけない部分もあるということで。そこで石川は話を聞いたたびに自分のパソコンに記録を打ち込んでいく。それがこの本ということになる。元々がフィクションであるわけだが、それにしても「一家の歴史」として語られたものを、さらに第三者が記録する。話が面白いから一気に読んでしまうが、すごく複雑な迷宮構造になっている。
若木山防空壕)
 上巻は父が母の違う4人の娘をつくるいきさつを語っていく。なかなか進まないので、ちょっとイライラしないでもない。ところが、下巻になると隠岐の島における「みずきの修行」がすさまじい。その修行を何とか生き延びた結果、マジカルな力を強めたみずきは全能感に浸されて行く。そこで語られるのが「グランド・フィナーレ」の真相というか、裏で起こっていたことである。町に起きた様々な危機に際して、菖蒲一族がスピリチュアルな戦いを続けてきたという「もう一つの歴史」が今明かされていく。しかし、2005年の事件はみずきの手に余り、結局は大きな悲劇を神町にも菖蒲一族にももたらしてしまった。

 というようなことをいくら書いても、この小説の奥底には届かない。最後の最後まで気が抜けない小説で、今書いたことも「表面的な読み」に過ぎず、いくつもの奥の奥があるかもしれない。「シンセミア」も意味が判らなかったが(作中で説明なし)、今度の「ピストルズ」も意味が判らない。二挺拳銃みたいな題名だと思っていたら、これは「雌しべ」(Pistil)の複数形ということだ。雌しべの香りが虫を引き寄せるように、若木山の薬用植物や毒キノコを使って独自の秘術世界を作り上げた一族。最後に生まれた4人姉妹が「雌しべ」なのか。

 今まで人工的なドラッグによる幻覚体験は阿部作品によく出てきたが、今回は植物由来の幻覚、アメリカ先住民などにあるようなものばかり。それを文章で再現してゆく手腕は見事なもので、ほとんど読むものも不可思議な感覚に浸されていく。占領下に起きた事件にも菖蒲一族が関わり、60年代末からは一種のコミューンとなった。戦後史の裏に、長く続く菖蒲一族の存在があって、それは米軍も監視している。そんな破天荒なイマジネーションが羽ばたく破格な容量を持った小説だ。もっとも僕は「シンセミア」の方が面白かったと思ったが、とにかく順番に読むことで現代小説の最前線を読んだ感じだ。文章は読みやすいが、内容的には油断も隙もない。
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「グランド・フィナーレ」ー阿部和重を読む④

2020年10月10日 22時43分58秒 | 本 (日本文学)
 阿部和重を書いても読まれてないけれど、相変わらず読んでいる。続けて全部は読めないので断続的に。次回に谷崎潤一郎賞を受けた「ピストルズ」を書くが、その前に芥川賞受賞作グランド・フィナーレ」を先に。大長編「シンセミア」が2003年に出た後、2004年暮れに「グランド・フィナーレ」が発表された。2005年の単行本には「馬小屋の乙女」「新宿 ヨドバシカメラ」「20世紀」の三つの短編も収録されている。「新宿 ヨドバシカメラ」を除くと、どれも山形県東根市の神町(じんまち)に何らかの形で関わった作品になっている。

 「グランド・フィナーレ」はその後、2005年1月に芥川賞を受賞した。同時に候補となったのは、山崎ナオコーラ人のセックスを笑うな」、白岩玄野ブタ。をプロデュース」、中島たい子漢方小説」などで、すでに「シンセミア」を書いていた阿部和重は貫禄で受賞した感じだ。もっとも選評を見ると、村上龍が「中途半端な小説」と呼んでいる。石原慎太郎や古井由吉が全然評価しなかったのも、そんなところが影響したのかと思う。

 実は僕も読んだときは同じように思って、これはスルーしてもいいかなと思った。しかし次の大長編、「神町トリロジー」の第2作「ピストルズ」を読んだら、後半になって「グランド・フィナーレ」の中途半端感が全部解明されるのである。実はこういうことだったのかととても驚いた。そういう風に驚くためには、やはり順番に読むしかない。芥川賞受賞作だからとこれだけ読んだ人もいると思うが、そうするとストーカーや幼児性愛やドラッグの話が気持ち悪くて、その後読まない人もいるんじゃないか。頑張って「ピストルズ」まで読まないと世界の謎は明かされない。

 「わたし」(本名はなかなか明かされない)は離婚して故郷の神町に帰っている。ほとんど腑抜けのように生きているが、それも最愛のわが娘に会えなくなってしまったからだ。自分が悪いことは理解している。2001年のクリスマスを前に、酔っ払った「わたし」は妻に「本性」を知られてしまった。娘の裸の映像を秘密に撮りためていたのである。教育映画の製作をしていた「わたし」は、仕事で出会った幼女たちも巧みに誘って写真を撮っていたのである。趣味だけでなく、秘かに横流しもしていた。全てがバレて娘には会ってはならないとされて絶縁された。

 しかし、どうしても会いたいと誕生日のプレゼントを持って、家の周りをうろつきながらストーキングするのが前半の話。設定は頭では理解出来るし、似たようなことを自分が絶対にしないとは言えないかもしれないが、やっぱり気色悪い。かつての知り合いに代わりに渡して貰うのが精一杯。仲間たちも六本木あたりでドラッグをやってる怪しい連中だ。彼らとの交友がやがて神町に大事件を引き起こすのだが、それは「ピストルズ」で描かれる2005年夏の話。

 やむなく山形へ帰って、もうほとんど客のいない実家の文房具屋を時々手伝って生きていく。そんな「わたし」に小学校の教員になっている昔の友人がある頼みを持ってくる。児童会で行う演劇公演の演出を手伝って欲しいというのである。過去のいきさつは知られていないし、何しろ「映画会社に勤めていた本職」などと思われている。しかも二人の女児が非常に一生懸命になっているという。実はそこが「ニッポニア・ニッポン」につながる悲劇の連鎖だったことがやがて判明するのである。よりによって、幼児性愛者であることが読者には知らされている人物が小学生の催事に関わっていいのか。そして「わたし」は二人の子どもの重大な秘密を偶然知ってしまった。

 というような展開の話だが、文庫本で140頁ほどの作品ながら結構重い。そしていろいろと読者を心配させながら、公演の幕が上がるところで終わってしまう。一体、結局のところどうなっているんだという疑問が僕の心にくすぶり続ける。その中途半端感が「ピストルズ」を読むと世界が反転して見えてくる。そこまで仕組まれていたのかと大いにビックリ。しかし阿部文学にいつも出てくる「ストーカー」感覚についていけない人はいると思う。無理して付き合う必要もないだろうが、いかに気持ち悪くても「シンセミア」「ピストルズ」が現代の大傑作だという事実は間違いない。
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WOWOWドラマ「悪党~加害者追跡調査~」を見る

2020年10月09日 22時49分29秒 | 映画 (新作日本映画)
 WOWOWが製作した「連続ドラマW」の3本を一週間交替で映画館で上映している。その最後となる「悪党~加害者追跡調査~」をシネリーブル池袋で見た。瀬々敬久が監督した大力作だったが、時間が長いためか(平日だからか、主演の東出昌大の人気が蒸発してしまったからか)数人しか客がいない。12時に始まってA(1~3話)が2時半まで、B(4~6話)が3時に始まって5時半過ぎまでという長尺になるから、そうそう続けて見に行ける人も少ないのは確かだろう。

 時間もさることながら、犯罪被害者と加害者の問題、特に少年犯罪をどう考えるかなど、テーマがシビアすぎて重い。原作はこういうテーマをよく書いている薬丸岳の2009年の小説(角川文庫)である。瀬々監督は2018年に同じ薬丸原作の「友罪」を映画化していて、キネマ旬報ベストテン第8位となった。今回のドラマも瀨々監督の確かな力量を実感できる力作で、編集や音楽も含めて高いレベルに仕上がっている。2019年5月12日から6月16日にかけて放映された。

 冒頭で刑事がレイプ容疑者に拳銃を突きつけて大声を上げている。さすがにやり過ぎで警察を懲戒解雇されて数年後、佐伯修一東出昌大)はホープ探偵事務所で調査員をしている。所長の木暮松重豊)が佐伯に声を掛けて拾ったのには、理由があったことは一番最後になって判る。その探偵事務所に少年犯罪の加害者を捜してくれという依頼が来る。佐伯は細谷という犯人を捜し当てるが、細谷は振り込め詐欺グループで掛け子や受け子を束ねる「仕事」をしていた。巧みに近づき、潜入することになるが…。依頼の目的は何か、そして細谷は「更生」出来たのか。調査は何をもたらすのか。第1話は原作の第1章である。
(カメラ片手に張り込む佐伯)
 第2話ではネグレクトの母を探す話。第3話は事件を起こして縁を切った弟を末期がんの母に会わせる為連れてきて欲しいという依頼。これらのエピソードを通して「赦すこと」「赦せないこと」の境目をめぐって、いろいろと考えさせる。一方で佐伯の過去に何があったのかが次第に判ってくる。かつて高校生の姉が無惨に殺された事件があり、今も忘れられない。犯人たちが何をしているか、自分の時間を使って探り続けている。前半は原作のエピソードに沿って進行する。

 後半になると、原作の第4話はカットされ、それ以後に進む。弁護士の鈴本柄本明)がかつて担当した少年の現状を調べて欲しいというのである。鈴本は地味な国選弁護士に意義を感じて弁護をしてきたが、自らの娘が事件被害者になってしまったのだという。一方で、佐伯の姉殺人犯調査が進行し、今は流行っているラーメン店主となった田所が通うキャバクラにも行ってみる。そこで田所のお気に入りの「はるか」(新川優愛)と仲良くなる。はるかは田所を嫌い、佐伯に親しみを感じていく。そこに同じ犯人グループの寺田が登場し、社長令嬢と結婚話が出ている田所を脅迫する。はるかは寺田の部屋に盗聴器を仕掛けるが…。
(佐伯とはるか)
 5話、6話は田所と寺田、もう一人の犯人榎木、そして鈴本弁護士、木暮所長、伊藤冬美(はるかの本名)らが絡み合い、佐伯をめぐって怒濤の展開。それをどこにも乱れやよどみを感じさせることなく描ききっている。病院ロケも効果を上げている。私生活をほとんど姉の犯人探索に費やしている佐伯だが、彼の目標は「復讐」なのか。人間は変われるのか、犯罪被害者は加害者を赦すことが可能なのか。重いテーマだが、エンタメ性を消すことなく、見るものを納得させていく。演出力とともに、松重豊や柄本明の脇役としての凄さをまざまざと実感する。

 ラストはこうなって欲しいなあと思うようになっていて、そこはエンタメ系原作のテレビドラマだなと思うが、やはりそうじゃないと重すぎてしまうだろう。事件や加害者、被害者の問題は個別性が強く、安易に一般化は出来ないと思う。このドラマでも決して一般化はせず、安易な結論は出していない。人間にはいくつもの顔があり、複雑なものだと思う。その複雑な諸相をかなり本格的に見つめている。時間さえあれば、多くの人に頑張って見て欲しいんだけど…。

 新川優愛がとても良かった。検索してみたところ、ロケバスの運転手と親しくなって結婚したと出ていた。ここで書かなかったが、もっと多くの登場人物がいて、板谷由夏蓮佛美沙子も重要な脇役で印象的。2012年にもドラマ化されていて、その時のキャストは佐伯が滝沢秀明、所長が渡哲也、はるかが北乃きいだったと出ていた。そっちも魅力的だが全然知らなかった。
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相次ぐ芸能界の訃報ー2020年9月の訃報②

2020年10月08日 22時32分31秒 | 追悼
 日本でも多くの訃報が聞かれたが、広い意味での芸能界の訃報が多かった。芸能界やスポーツ界では早ければ10代で有名になる。しかし、ずっと現役でいられるわけではないので、転身したりするがうまく行くとは限らない。そして何十年もたって、高齢を迎えて訃報を耳にする。そういう意味で50年代、60年代に活躍した人の訃報が多くなってきた。

 近年は60年代の「グループサウンズ」関係者の訃報が聞かれるようになった。クレージーキャッツやザ・ドリフターズのように、少しずつ欠けていくのだろう。8月28日にザ・タイガースの元メンバー岸部四郎が亡くなっていた。71歳。すでに昨年萩原健一(ザ・テンプターズ)が亡くなったが、最大の人気バンドだったタイガースでは初である。メンバーの岸辺おさみ(現・岸部一徳)の弟で、加橋かつみの脱退後にメンバーになった。当時は岸辺シローと名乗っていた。71年の解散後は、テレビ番組の司会やドラマ「西遊記」の沙悟浄役などで活躍した。
(岸部四郎)
 軽妙なトークで非常に人気があったと思うが、晩年は恵まれなかった。数多くの連帯保証人となって借金がかさみ、1998年に自己破産、事務所も解雇されテレビからも消えた。本人の浪費癖もあったという。その後は時々ヴァラエティ番組などに出ていたようだが、私生活も健康も恵まれないことが多かったという。若い人だと名前を知らないだろう。
・ザ・ゴールデン・カップスのドラム兼ボーカルのマモル・マヌーが1日死去、71歳。同じくベースのルイズルイス加部が26日に死去、71歳。「長い髪の少女」などで知られたグループである。

 50年代末のロカビリー・ブームというのがあった。ロカビリーから出て歌謡曲に転身して成功したのが守屋浩だった。9月20日に死去、81歳。「僕は泣いちっち」の大ヒットの他、「有難や節」などがある。当時人気があった歌手、女優の本間千代子と66年に結婚したが、後に離婚した。76年に裏方に転じ、ホリプロ宣伝部長を務めた。ホリプロ創立(当時は堀プロ、1960年)後の最初のヒット歌手で、今年までホリプロに在籍した最長タレントだという。
(守屋浩)
 60年代当初に人気歌手として「ツイストブーム」を牽引したと言われるのが藤木孝だった。62年に歌手を引退、俳優に専念してミュージカルやテレビでも活躍していたので、名前は今でも知られていたかと思う。9月20日に死亡したが、死因は自殺ではないかとされる。80歳。高齢ながら近年まで活動していたので驚いた。篠田正浩監督「乾いた花」(1964)を昔見た時に、その独特な存在感にビックリした。その時は名前を知らなかったのである。最後まで「独特な存在感」の俳優だった。「ロッキー・ホラー・ショー」で1986年紀伊國屋演劇賞。
(藤木孝)
 やはり独特な存在感でテレビドラマなどの脇役で活躍した斎藤洋介が9月20日に死去、69歳。1979年にNHKドラマ「男たちの旅路」シリーズで注目され、大河ドラマや民放の「人間・失格」「家なき子」などで知られた。映画にもたくさん出ているが、どれも主役ではないので覚えてないことが多い。中では根岸吉太郎監督のミステリー「」は印象的だった。
(斎藤洋介)
 声優の富田耕生が9月27日没、84歳。テレビアニメや映画の吹き替えなど、長期間にわたって活躍し続けた。報道では「バカボンのパパ」役が書かれていたが、「鉄腕アトム」「鉄人28号」に始まって、有名なアニメには大体関わった。「ジャングル大帝」「魔法使いサリー」「ゲゲゲの鬼太郎」「ルパン三世」などなど。映画の吹き替えでは、アーネスト・ボーグナイン、りー・J・コップ、ロッド・スタイガー、オーソン・ウェルズなどが多い。ハリウッド映画で「独自の存在感」を発揮していた俳優ばかりである。テレビ番組やCMのナレーションも多かった。
(富田耕生)
 創作ミュージカルの草分けと言われる劇作家、作詞家の藤田敏雄が9月24日に死去、92歳。労音ミュージカルの担当として、いずみたくと組んで「俺たちは天使じゃない」「洪水の前」など多くのミュージカルを創作した。また1964年以後はテレビで「題名のない音楽会」を立ち上げ、30年以上企画構成を担当した。そういう業績もあるんだけど、それ以上に「若者たち」(ブロードサイド・フォー)や「希望」(岸洋子)を作詞した人だった。知らずに何百回も口ずさんでいたけど。
(藤田敏雄)
 日本舞踊家で芸術院会員の花柳寿応(はなやぎ・じゅおう)が9月26日に死去、89歳。花柳流創始家に生まれ、67年に5世花柳芳次郎、07年に家元の4世花柳寿輔を襲名した。日本舞踊界に止まらず、創作舞踊や宝塚などでも活躍したというけれど、この世界のことはよく知らない。2016年に妹の孫、6世花柳芳次郎に寿輔を譲り、自らは2世寿応を名乗った。それ以前に07年の4世寿輔襲名には一門内に反対意見があり、お家騒動なって裁判が長く続いた。
(花柳寿応)
 ところで、本来なら9月の訃報トップは、もちろん竹内結子だ。9月27日に自宅で亡くなったが、状況から自殺と伝えられている。40歳。2019年1月に事務所の後輩の俳優と再婚し、今年の1月に第2子が生まれたばかりだった。何があったのか、もちろん僕には判らないが僕も大きなショックを受けた。トップにすると画像が大きく出るので、あえて「芸能界」の最後に書くことにした。映画の代表作は「サイドカーに犬」だが、これは先に書いた阿部和重「ニッポニア・ニッポン」が芥川賞候補になったときに、同時に候補作だった。ここでもその時に触れたのだが、それを書いたのが9月25日だった。竹内結子が主演した「春の雪」の舞台とされる鎌倉文学館に行った話は9月23日。あまりと言えばあまりの偶然に言葉もなかったという感じだ。
(竹内結子)
 20世紀終わり頃から主にテレビドラマに出演し、1999年の連続テレビ小説「あすか」のヒロインに抜てきされた。2003年の映画「黄泉がえり」が話題となり、2005年の映画「いま、会いに行きます」もヒットした。同作で共演した中村獅童と結婚、第1子を出産した。2007年の根岸吉太郎監督「サイドカーに犬」はたくさんの賞を受けているが、僕もこれは原作も映画そのものも大好きで、竹内結子の演技も素晴らしかった。

 芸能界以外では、国立がんセンター名誉総長、文化勲章受章の杉村隆が6日死去、94歳。ガンの基礎研究の第一人者で、ネズミに人工的に胃がんを発生させたり、肉や魚のこげに発がん物質を見つけるなどした。がんがDNA変化で起きるという基本概念を確立した。
(杉村隆)
 元労働大臣、参議院議員の村上正邦が9月10日死去、88歳。「生長の家」の推薦で、1980年から参議院に4回当選。それ以前から「日本を守る会」に参加し「元号法制化運動」などに関わっていた。自民党内の右派系議員として次第に頭角を現し、1995年に党参議院幹事長。中曽根派後継の渡辺美智雄派に所属、渡辺の死後に派閥を受け継いだ。1999年に三塚派(旧福田赳夫派)を抜けた亀井静香グループと「志帥会」(現二階派)を結成した。同年、党参議院議員会長となり「参議院のドン」とまで言われた。そして、2000年に小渕首相が倒れたときに、「五人組」の一員として当時の森喜朗幹事長を後継首相に推す流れを作った。
(村上正邦)
 そこまでは「栄光の日々」だが、2001年にはKSD事件に関わり、あっという間に失脚した。生長の家が政治活動から手を引いたため、中小企業団体のKSD中小企業経営者福祉事業団(現あんしん財団)の支援を受けていた。そしてKSDの不正経理から政界汚職事件が発覚。村上は「ものつくり大学」設立をめぐってワイロを受け取ったとして、逮捕・起訴され懲役2年2ヶ月の実刑が確定した。本人は冤罪を主張して、出所後には「世界」や「週刊金曜日」などで日本の司法批判を展開した。参議院に対する影響力も多少は残ったとも言われている。

 元三井住友銀行頭取、元日本郵政社長の西川善文が9月11日死去、82歳。旧住友銀行に入行、磯田一郎氏のもとで、安宅産業の破綻処理、平和相互銀行の吸収合併などに手腕を発揮した。2001年に住友銀行とさくら銀行(三井銀行と太陽神戸銀行が1990年に合併した太陽神戸三井銀行が1992年に改称)が合併した三井住友銀行で初代頭取を務めた。金融再編の手話が評価されて、2006年に日本郵政初代社長に迎えられたが、09年の政権交代直後に辞任した。
(西川善文)
岩佐幹三(いわさ・みきそう)、7日没、91歳。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)顧問(元代表役員)。金沢大名誉教授(法学)。広島で被爆し、オバマ大統領の広島訪問に立ち会い、ICANのノーベル平和賞受賞時には記者会見した。
岩松繁俊、23日没、92歳。元原水禁(原水爆禁止日本国民会議)議長、長崎大名誉教授、社会思想史。長崎で被爆し、バートランド・ラッセルと親交を持ち、平和運動を進めた。核兵器禁止を世界に訴えていくためには、日本の加害責任の自己批判が必要との「加害と被害の二重構造」論を唱えた。岩佐、岩松両氏のように、原水禁運動関係者も近年物故が相次いでいる。
深川秀夫、2日没、73歳。バレエダンサー。69年モスクワ国際バレエコンクール銀賞。
神近義邦、5日没、78歳。92年にハウステンボスを創業した。
竹内誠、6日没、歴史学者。日本近世史専攻で、江戸時代の都市史を研究した。江戸東京博物館館長、徳川林政史研究所長なども務めた。相撲教習所で相撲史を教えたり、大河ドラマの時代考証を担当しNHK放送文化賞受賞。
源了圓(みなもと・りょうえん)、10日没、100歳。近世日本思想史専攻で、佐久間象山や横井小楠などの研究で知られる他、多くの一般書を書いたり諸外国で客員教授を務めた。
・元小結豊山の先代湊親方が19日死去、72歳。「豊山」としては2代目。新潟出身、東京農大卒、時津風部屋のしこ名で、現在が3代目。殊勲賞1回、敢闘賞2回。
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RBG、ジュリエット・グレコ等ー2020年9月の訃報①

2020年10月07日 21時02分41秒 | 追悼
 2020年9月の訃報特集。チェコの映画監督イジー・メンツェルについて別に書いた。今月はそれもあって、外国人(在日外国人)から書きたい。9月の訃報の中で世界政治に最も大きな影響をあるのは明らかにルース・ベイダー・ギンズバーグだ。9月18日没、87歳。1993年に女性として二人目のアメリカ連邦最高裁判事に任命された人だ。連邦最高裁の重要な役割は知っているが、去年まではさすがに判事の名前までは記憶してはいなかった。しかし、劇映画「ビリーブ」とドキュメント映画「RBG」が日本でも公開されたので、この重要な人の名前を覚えることになった。(映画のことは、「「RBG」と「ビリーブ」、米最高裁の闘う女性判事」に書いた。
 
 この人のすごいところは、単にリベラル派の代表だったり、女性の権利の擁護者だったというだけではない。先のドキュメント映画にも描かれているが、特にトランプ時代になって一種のポップスター(大衆的な人気者)扱いされたのである。「RBG」と呼ばれて、その名で画像検索すればたくさんの「イコン」が見つかる。50年代に大学で学んだ時はまだ女性法律家がほとんど存在しなかった。その後、裁判における性差別の撤廃に努めてきた。ガンを公表しながら執務していたが、大統領選前に亡くなったのは無念だったろう。

 フランスの歌手、ジュリエット・グレコが9月23日に死去、93歳。戦後フランスを代表する「シャンソン」歌手だった。もう「戦後」イメージのシャンソン歌手は誰もいないだろう。サルトルやボーヴォワールがいたサン=ジェルマン=デプレのカフェやナイトクラブに、長い黒髪と黒ずくめの衣装で現れた伝説的歌手だった。代表曲は「枯葉」で、シャンソンのイメージそのものとなった。コクトーの映画「オルフェ」などにも出演した。俳優のミシェル・ピコリなど3回の結婚歴があり、マイルス・デイヴィスとの恋愛もあった。日本公演も22回を数えるという。
 
 上智大学名誉教授、イエズス会司祭の哲学者、アルフォンス・デーケンが9月6日に死去、88歳。1959年に来日し、1973年に上智大学教授となった。80年代になって「死生学」を唱え、死を意識して「いのち」を考える重要性を説いた。当時の日本ではまだガン告知はしないとか、死をめぐる議論は避ける風潮が強かった。その中でデーケン教授の「死の哲学」は、ホスピス設立や終末期ケアにも大きな影響を与えた。多くの著書があり、講演も人気だった。

 イギリスの劇作家、脚本家のロナルド・ハーウッドが9月8日死去、85歳。自らの経験をもとに、名優の付き人をめぐる舞台劇「ドレッサー」で有名になった。その後は映画の脚色を多く手掛け「戦場のピアニスト」で米アカデミー脚色賞を受賞した。他にも「イワン・デニーソヴィチの一日」「オリバー・ツイスト」や「潜水服は蝶の夢を見る」などがある。
(ロナルド・ハーウッド)
 フランスの料理家ピエール・トロワグロが23日に死去、92歳。兄のジャンとともに、ロアンヌに開いたレストラン「トロワグロ」はミシュランガイドで長く三つ星を獲得した。その日に仕入れた素材を生かす「ヌーヴェル・キュイジーヌ」の先駆け。銀座で「マキシム・ド・パリ」の初代料理長を務め、日本でも大きな影響を与えた。今も系列の「カフェ・トロワグロ」が新宿にある。
(ピエール・トロワグロ)
・アメリカの人類学者、デヴィッド・グレーバーが2日死去、59歳。「負債論──貨幣と暴力の5000年」、「官僚制のユートピア──テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則」、「ブルシット・ジョブ──クソどうでもいい仕事」などなかなか興味深いタイトルの著書がある。ウォールが選挙運動の「我々は99%」のスローガンの発案者というが、名前を知らなかった。
・フランス出身の俳優、マイケル・ロンズデールが21日死去、89歳。「007/ムーンレイカー」や「薔薇の名前」などに出演。
・オーストラリア出身の歌手、ヘレン・レディが29日死去、78歳。5年前から認知症の診断を受けていたという。1972年に「アイ・アム・ウーマン」が全米1位となり、オーストラリア人として初のグラミー賞を受賞した。大衆文化やフェミニズム運動にも大きな影響を与えたとされる。
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「戦争が出来る国」に向けて「前例打破」ー学術会議問題③

2020年10月06日 23時13分28秒 | 政治
 日本学術会議が今回の問題以前に大きく報道されたのは、2017年のことだった。1950年、1967年になされた「軍事目的の研究は行わない」という声明を今後も継承するかどうかが問われたのである。その背景には防衛省防衛装備庁)の「安全保障技術研究推進制度」(2015年度発足)があった。この制度に研究者としてどう対応したら良いのかが問われたのである。
(2017年の声明)
 実は当時の大西隆会長(都市工学、東大名誉教授)は「自衛のためなら許容してもいい」という考えだったと言われる。2016年4月の日本学術会議総会では「大学などの研究者が、自衛の目的にかなう基礎的な研究開発することは許容されるべきだ」とする考えを示したとウィキペディアに載っている。大西氏は2015年に豊橋技術科学大学学長に就任し、同大学では防衛省の研究費を獲得して研究しているという。そういう経過があったため、2017年には過去の2度の声明が変更されるのではないかと注目されたのである。
(軍事研究の関する学術会議の声明の推移)
 しかし2017年3月24日に出された「軍事的安全保障研究に関する声明」(Statement on Research for Military Security)では「近年、再び学術と軍事が接近しつつある中、われわれは、大学等の研究機関における軍事的安全保障研究、すなわち、軍事的な手段による国家の安全保障にかかわる研究が、学問の自由及び学術の健全な発展と緊張関係にあることをここに確認し、上記2つの声明を継承する。」と明確にうたっている。

 さらに「学術研究がとりわけ政治権力によって制約されたり動員されたりすることがあるという歴史的な経験をふまえて、研究の自主性・自律性、そして特に研究成果の公開性が担保されなければならない。しかるに、軍事的安全保障研究では、研究の期間内及び期間後に、研究の方向性や秘密性の保持をめぐって、政府による研究者の活動への介入が強まる懸念がある」とも述べている。この声明は「日本学術会議安全保障と学術に関する検討委員会」(杉田敦委員長)がまとめて、幹事会が決定したものと出ている。
(当時の学術会議総会)
 この時の声明がどうなるかは非常に注目されていた。ここには書かなかったが、当時経過はずっと追っていた。大学の研究費がどんどん削られる中、自然科学系の研究者はのどから手が出るほど新しい資金が欲しいだろう。「自衛」を理由にして防衛省の資金が得られるならば、それでいいではないかという研究者の声も聞こえてきた。しかし学術会議は辛くも踏み止まった。結局、これが今回の問題の真の原因なんだと思う。

 日本経済発展のため「規制緩和」を進めると称して、学術会議を「抵抗勢力」に見立てて「印象操作」する。いずれは「学術会議」を屈服させて、軍事研究を自由に出来る環境を整える。そして「武器輸出」が堂々と出来るようにする。理由さえ整えば、もうけのために「死の商人」になってもいいと考える人は、ホンネで言えばかなりいるのではないか。しかし、いったん「軍産複合体」が成立すれば(というか、日本ではすでに大きな兵器産業があるわけだが)、作ったものを生かしたくなる。紛争の続く国双方に売りたくなってくる。

 今の日本では、先の声明こそが防衛省と協力したい研究者の自由を奪うものだと言う人までいる。「学術会議こそ学問の自由を奪っている」と言うのだ。保守系新聞の社説を見てみると、やはり学術会議の方に問題があると書いている。10月6日になって掲載された読売新聞の社説では「菅首相は、判断の根拠や理由を丁寧に語らねばならない」としつつも、最後には「情報技術が飛躍的に発展した現在、科学の研究に「民生」と「軍事」の境界を設けるのは、無理がある。旧態依然とした発想を改めることも必要ではないか。」とまとめている。あるいは産経新聞3日付社説ででは、学術会議の声明を「防衛省創設の研究助成制度も批判し、技術的優位を確保する日本の取り組みを阻害しかねない内容だ。」と非難している。これが政権のホンネだろう。

 かつて学術会議は公選で会員を選んでいた。選挙すれば、当時のことだからマルクス主義的な世界観を持っている人が多数当選する。1950年の声明が「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」と題されていたのは、戦争とは帝国主義勢力による侵略戦争だと考える学者が多かった時代を反映していると思う。しかし、推薦制に変更後は左派系の人もいるにはいるけれど、部の構成も変わって各学界で業績のある著名な人が多くなってきた。学者の世界も研究・教育に多忙で、さらに政治的活動に関わっている学者は、(左右を問わず)学術会議に関与する時間的余裕はないだろう。

 今回除外されたメンバーも(一人一人を詳しく知っているわけではないが)、「左派系の学者」とはとても言えない。安倍政権に反対したではないかというかもしれないが、「学問的良識」を持っているならば疑問を持たざるを得ない法案を安倍政権が続けざまに出してきたのである。市民感覚を持っていれば、当然疑問を持つことを表明しただけだ。学術会議を「左翼の巣窟」のように「印象操作」する人もいるが、会員をちゃんと調べていないのだろう。政府にとって一番困るのが、「市民的良識」を失わない学者なのだということなのだ。
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任命拒否は「違憲」であるー学術会議問題②

2020年10月05日 20時46分26秒 | 政治
 学術会議会員の任命拒否問題。1回目に書いたように、そもそも内閣側に学術会議推薦者を拒否出来るという法解釈は成り立たないと考える。それは今までの政府側の公式的な見解でもあった。しかし、2018年に内閣府と内閣法制局で法解釈の協議が行われていたのと今回明らかにされた。今年の9月27日にも確認をしたという。そうなると、検察官定年延長問題と同様に、国民に知らされないところで政府が秘密裏に法解釈を変えたということになる。さらに、2016年に欠員が生じたときも、会員の任命に難色を示し補充できなかったのだという。
(法解釈の推移=東京新聞)
 この問題に関して、5日夕方に菅首相が内閣記者会のインタビューに対し「前例踏襲でいいのか」と語った。しかし、前例踏襲でいいものもあれば、良くないものもあるだろうと思う。ただし、前例踏襲ではいけないと思ったならば、そのような考えを事前に国民に示し、法律を変えたり(あるいは法解釈を変えたり)しなければいけない。今回は突然「前に解釈を変えておいた秘密にしてたけどね)」という闇討ち的やり方である。そして「合法だ、合法だ」と言ってるのである。

 これまで明らかにならなかっただけで、実は裏で学術会議をめぐる闘いが起こっていたことが今回判った。今回の事態は菅内閣になったから起こったのではなく、安倍内閣が続いていても起こったはずだ。(ずっと前から官邸を取り仕切る「実質的菅内閣」だったのかもしれない。)菅内閣発足後、臨時国会召集が遅れていて所信表明演説が行われていない。コロナ対策に専念するなどと言うが、10月1日にはこういうことが起きると事前に判っていれば、確かにこの時期に国会を開いているわけには行かなかったのだと判る。
(任命拒否に反対する集会)
 ところで、仮にこの法解釈変更が成り立つと考えても、今回の措置は不当なものだ。例えばだけど、サイコロを振ったら6の目が出たから「6人排除」だというなら、明らかに不当な公権力発動だ。排除の理由は「合理的に納得できるもの」でなくてはならない。しかし、菅首相も加藤官房長官も「人事」を理由に納得できる理由を示さない。今後何らかの「理由」らしきものが示されたとしても、多くの人を納得させるものにはならないだろう。どう考えても6人もの学者に対して、合理的な理由が示せるとは思えない。

 排除された人は、これまでに安倍政権が進める強権的なやり方に異を唱えたことがあるという共通点がある。いかにこじつけたとしても、それ以外に「理由」は考えられない。そうすると、これは「思想・良心の自由」(第十九条)、「言論・表現の自由」(第二十一条)、「学問の自由」(第二十三条)などとともに、平等権を定めた第十四条「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」に反する。政治的な信条を理由に不利益を受けたことは明白なのだから。

 どう考えたって、裁判になれば政府が負けるに決まっている。裁判官がまともならば、これが法廷に持ち込まれたら、政府のやり方を認めるわけにはいかないだろう。「特別公務員」だから首相に任命権があるのが当然だみたいに言う人がいる。だが学術会議の「推薦」がある人物をはじくのだったら、よほど強力な「合理的理由」が必要だ。内閣がそれを示すことは出来ないだろう。問題はこの「秘密警察」的なやり方を見ても、「前例打破」などと言われてしまったら菅内閣を支持してしまう国民の側にある。
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内閣の任命拒否は「違法」であるー学術会議問題①

2020年10月04日 22時18分51秒 | 政治
 菅義偉内閣による日本学術会議の会員任命拒否問題は、その重大な問題性がますます明らかになってきた。ノンビリと本や映画の話を書いてるわけにも行かなくなって、数回この問題について考えたいと思う。そもそも「学術会議をどう考えるか」や「任命拒否の本質は何か」という問題もあるが、それはちょっと置いといて、「任命拒否は違法である」という主張がある。その問題を考えた結果、僕も明文規定はないけれど「違法」、少なくとも「脱法」だと考えるに至った。
(野党合同ヒアリング)
 憲法、あるいは法律、政令等によって、多くの公職の任命方法が定められている。例えば最高裁裁判官は裁判所法で「内閣が任命」する。(その後天皇が「認証」する。そのような職種を「認証官」と呼ぶ。)今まで弁護士出身の最高裁裁判官が退官するときは、日弁連が推薦する候補を内閣が任命することが慣例になっていた。安倍政権ではそれが崩されて、政権が独自に選んだ候補(大学教授を退職して弁護士登録したばかりの人物)を任命するという事態が起きた。それは不当なことだと思うけれど、直ちに「違法」とは言えないだろう。

 学術会議の問題に関して、「任命権」があるんだから「拒否権」もあるのは当然だといったことを言う人がいる。しかし、それは早計な結論だ。そもそも「任命する」としか書かれていない場合は、内閣総理大臣が気に入らない人は初めから任命対象にならないんだから、拒否権を論じるまでもない。問題は「任命」と「指名」あるいは「推薦」などが別々に規定されている場合である。その場合は「何のために分けているのか」を立法趣旨に遡って考えないといけない。

 日本学術会議は、「日本学術会議法」で設置されている。(法律で設置されている団体は非常に少なく、日本学術会議の重要性が判る。)当初は学者による公選制だったわけだが、現行法では「会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。」とされている。では第十七条とは何だろうと見てみると、「日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。」とある。
(質問に答えない菅首相)
 この「推薦に基づいて」をどう読むかである。「優れた研究又は業績がある科学者」を選考することは、日本学術会議にしか出来ない。実質的には内閣でも出来るかもしれないが、法律の条文上で見る限り「推薦権」は日本学術会議にしかない。その場合、内閣総理大臣に「拒否権がある」とするならば、極端に言えば「全員を任命しない」ことも理論上出来ることになる。それでは学術会議廃止法を通さずに学術会議を廃止できることになってしまう。法の制定趣旨から考えて、内閣総理大臣は推薦に基づいて任命することが前提になっているとみなすべきだ。

 そう解釈しないと、憲法以下のすべての法体系がおかしくなってくる。例えば総理大臣自身が憲法第六条で、「天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。」とある。「推薦に基づいて」と「指名に基いて」は同じ構造になっている。(ちなみに「づ」の有無は、条文通り。)従って、学術会議の推薦を内閣が拒否出来るなら、同じように国会の指名を天皇が拒否出来ることになってしまう。これがおかしな憲法解釈だということは誰でも判る。
  
 もちろん天皇個人が総理大臣を拒否出来るわけではない。「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」わけだから。しかし、憲法には「総辞職後の職務続行」という項目があり、第七十一条で「前二条の場合には、内閣は、あらたに内閣総理大臣が任命されるまで引き続きその職務を行ふ」とされる。前二条とは内閣が総辞職した場合である。その場合でも、次の総理大臣が任命されるまでは前内閣が職務を行うというのである。それでは政権交代が起こった場合、他党に政権を渡したくないと考えた前首相が天皇に対して、「国会で指名された総理大臣を拒否するべきだ」と「助言」していいのか。

 最近の学校では「生徒会役員任命式」なんてのをやることがある。自分の生徒時代はなかったことだ。生徒会長選をやって、選挙管理委員会が当選者を決定すれば、それで終わりだった。まあ「生徒会役員」なんてものは、どうも役立たない存在になりがちで、重要だからしっかりやってくれという意味で「校長名による任命」なんてのが始まったんだろう。「箔付け」である。僕はそれを授業に応用して、総理大臣の天皇任命規定は「箔を付ける」ようなもので、生徒会役員を校長が任命するみたいなもんだと教えていた。

 学術会議会員を総理大臣が任命するという規定も、それだけ重要な任務なのだと「箔付け」するということだと思う。実質的な拒否権はないと考えられる。学術会議会員は「特別公務員」だから、一般的な公務員の欠格規定に当てはまる場合はなれないだろう。(禁錮以上の確定判決が出た場合など。)しかし、もともと会員候補は皆大学教授なんだから、大学で働けている以上問題はないはずだ。形式的に内閣府で確認作業をするかもしれないが、問題が見つかったら事前に連絡して「候補の差し替え」を求めるべきだ。

 検察官定年延長問題の時もそうだったけれど、明文で禁止されてない以上、内閣は何でも出来るんだというのはヘリクツ以外の何物でもない。憲法、法律には「制定趣旨」というものがあり、何のためにその法律を作ったのかを考えて解釈しなくてはいけない。そうでないと、法律が趣旨と違った運用をされ、何のためにあるのかが判らなくなる。今回は特に「基づいて」の解釈である。他に特段の規定がない以上、推薦された人を任命するというのが、他の憲法・法律との整合性を考えて常識的な解釈だと思う。
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再燃したナゴルノ・カラバフ戦争

2020年10月03日 22時44分39秒 |  〃  (国際問題)
 旧ソヴィエト連邦南西部にあるコーカサスカフカス)山脈の南北は世界でも有数の紛争多発地帯だ。北側のロシア連邦には、戦争とテロが続いたチェチェン共和国がある。南側はソ連崩壊でジョージアアルメニアアゼルバイジャンの3国が独立した。しかし、どこも複雑な民族問題があって紛争が続いている。アゼルバイジャン内のナゴルノ・カラバフ自治州(事実上は独立宣言したアルツァフ共和国)の戦争も30年以上続いていて、最近再び衝突が起こった。
(南コーカサスの地図)
 上の地図ではよく判らないかもしれないが、アゼルバイジャン西部山岳地帯に「ナゴルノ・カラバフ」がある。一方、アルメニアとイランに囲まれた一帯に「ナヒチェヴァン共和国」があって、そこはアゼルバイジャンの飛び地になっている。なお、ジョージアの中でも、アブハジア自治共和国と南オセチア自治州は独立宣言をして事実上独立状態になっている。この地域はもともと山岳地帯が多いうえ、ペルシアロシアにはさまれて複雑極まりない歴史を持つのである。

 今回は9月27日にナゴルノ・カラバフで武力衝突が起こり、すでに双方で100名を超える死者が出ていると伝えられる。どちらが先に攻撃したかは、お互いに相手を非難していて現時点では不明だ。ただし、アルメニア側はナゴルノ・カラバフと自国を結ぶ地点を事実上支配し続けてきて、アルメニア側から変える意味がない。衝突直後からトルコがアゼルバイジャンを強力に支持していて、アルメニアはトルコが傭兵を派遣していると非難している。アゼルバイジャン側がトルコの支持を背景にして紛争を再燃させた可能性が高いのではないか。
(アルメニア軍の映像)
 アゼルバイジャンはトルコ系のアゼリー人(アゼルバイジャン人)は9割以上を占める国家である。宗教はイスラム教がほとんどで、サファヴィー朝ペルシアの支配が長かったためシーア派が圧倒的になっている。言語的にはトルコ、トルクメニスタン、アゼルバイジャンは相互にほぼ理解出来るとも言われている。トルコはスンニ派だが、宗派を超えてトルコ系民族を支援してきた。トルコは間違いなくリビアに傭兵を派遣しているが、そういう背景からアゼルバイジャンに傭兵を送ることもありえなくはない。少なくとも軍事援助は行っていると思われる。

 一方でアルメニアは世界で初めてキリスト教を国教化した国で、ほとんどがアルメニア正教となっている。ナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャン内の西部山岳地帯だが、もともとアルメニア人が多かった。ソ連発足時もどちらに所属するかで大きく揉めた。ソ連時代はアゼルバイジャン内の自治州だったが、ソ連末期に「アルメニアへの帰属変更」を求める声が噴出し、武力衝突も発生した。1988年には完全な戦争状態になって、死者3万人、避難民100万とも言われる犠牲を出した。1994年に停戦協定が結ばれたが、それ以後も時々軍事衝突が起こっている。

 今回は中でも大きな衝突だが、はっきり言ってしまえば完全に解決する可能性はない。アルメニアは歴史的にロシアが支援する他、アルメニア系住民が多い欧米の支援を受けている。アゼルバイジャンにはイスラム教国の支援があり、特に最近はトルコの存在感が大きい。ロシアはアゼルバイジャンにも軍事援助をしていて、時々紛争が起きる事態を終わらせる必要がない。アゼルバイジャンの南にイランがあるが、イラン北部にはアゼリー人の独立運動があって、シーア派ながら反アゼルバイジャン的。周辺国の関係が複雑怪奇である。

 ところで、僕は昔から思っているのだが、ナヒチェヴァンがアゼルバイジャンの飛び地になっていることを思えば、ナゴルノ・カラバフがアルメニアの帰属になっていてもおかしくない。ナゴルノ・カラバフは事実上独立状態なんだから、アゼルバイジャンは既成事実を認める代わりに、ナヒチェヴァンへの通路をアルメニアから獲得する方がいいのではないか。しかし、そういう国際的な取り決めを作る枠組がコロナ禍で不可能になっている。ロシアやEUがコロナ禍で動けない中をねらった動きなのではないかと思う。
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「女誡扇綺譚 佐藤春夫台湾小説集」を読む

2020年10月02日 22時42分08秒 | 本 (日本文学)
 中公文庫8月新刊の佐藤春夫女誡扇綺譚 佐藤春夫台湾小説集」を読んだ。阿部和重の熱に当てられた頭を冷やせるかと思ったら、こっちも案外手強かった。紀行文みたいな作品も多く、すぐ読み終わると思ったら案外時間が掛かったのだ。やはり昔の作品だし、植民地を旅するという特別な体験が難しいのである。それでも非常に興味深い作品集で、佐藤春夫が台湾を旅した1920年からちょうど100年という年(2020年)にふさわしい本だった。
(「女誡扇綺譚」)
 佐藤春夫(1892~1964)は小説家・詩人として昔はよく読まれていた。日本文学全集なんかには必ず1巻が充てられていたものだ。和歌山県新宮市の生まれで、新宮にある佐藤春夫記念館に行ったこともある。中学卒業後に上京して、慶応の予科で永井荷風に師事した。また新宮に大きな犠牲を出した大逆事件に衝撃を受けた。都会生活に疲れて田園に転居した体験を基にした「田園の憂鬱」(1919年)で新進作家として認められたが、その作品や「美しき町」「西班牙犬の家」などの初期のロマティックな作品が僕は昔から大好きだ。
(佐藤春夫)
 それらの作品は今も文庫にあるから読まれているのだろう。1920年には注目される若手作家だったが、恋愛問題などもあって極度の神経衰弱になって同年に帰郷した。そこで台湾の高雄で歯科医をしていた旧友と出会って、台湾行を勧められたのである。そこで彼は6月から10月にかけて、対岸の福建を含めて台湾各地を訪ねる大旅行を敢行した。総督府で先住民調査をしていた人類学者森丑之助を紹介され、森がプランを作って先住民の住む地域まで訪ねた。
(安平古堡)
 まず表題作「女誡扇綺譚」(じょかいせん・きたん)だが、台湾に住む日本人記者が現地の友人と連れだって台南近くの安平を訪れた時の謎めいた体験を描いた作品である。昔は栄えた港だったが、今は寂れきった廃屋が並ぶ町。そこにある廃屋から聞こえてくる謎の女声。ホラーみたいな設定の中に、悲しい真相を探ってゆく。台湾でも人気の高い作品だということで、現地に今も残る館などを紹介するサイトもある。上の写真はオランダが1624年に作った要塞で、この地方は台湾で最初に開かれた地方なのである。この作品が一番小説っぽい構成になっている。
(日月譚)
 他には伝説や童話的な作品もあるが、量的に多いのは「旅びと」「霧社」「殖民地の旅」という紀行のような3つの作品である。本当は阿里山なども行く予定だったが、直前に台風が直撃したためには行けなかった。何とか訪れた日月譚(じつげつたん)の夢幻的なまでの美しさ。しかし、その中に先住民の悲しい現実が書き留められている。美しい風景だけではない。

 後に(1930年)に大事件が起きた霧社にも行っていた。実は一番先住民政策がうまく行っていた地帯とされていたのである。しかし、大事件の10年前の霧社も相当に危うい事態になっていた。北方のサラマオで蜂起が起きていたのである。それでも佐藤春夫は現地を訪ねた。そこでは日本統治が明らかにうまく行っていない。明文では書かれていないが、子どもたちに理解不能な天皇制教育を押しつける愚が示されている。当時の言葉として「蕃人」と書かれているが、見るものは見ている。霧社とはこういう地域だったのかという歴史の証言として価値が高い。

 一方「殖民地の旅」では現地の有力者を訪ねている。台湾では統治者の「内地人」、支配される「本島人」、先住民の「蕃人」に分裂していて、その緊張関係が佐藤春夫の旅にも見え隠れする。「殖民地の旅」は台中周辺で画家や書家を訪ねている。その中で非常な有力者(「台湾共和国」というのがあれば大統領になるだろう人」と言われている)に会う。これは実は林献堂(1881~1956)で、1921年から「台湾議会設置請願運動」の中心となった人物である。戦後は「2・28事件」の後、一時は国民党政府に協力したものの病気を理由に日本に移って死ぬまで帰国しなかった。台湾近代史上の超有名人物で、作中で主人公は丁々発止のやり取りを行っている。これも実は小説であって、主人公がタジタジとなるように描かれているのはレトリックだろう。

 文庫独自に編まれたもので、河野龍也(実践女子大学教授)の解説が詳細で役に立つ。普段は解説は後に読むべきだと思うが、この本は先に読んだ方がいいかと思う。僕は後で読んだので、なるほどそうだったのかと思うところが多かった。最近の日本では台湾スイーツなどの人気も高いが、台湾を知るためには必読の本だ。
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日本学術会議、6人が任命されずー菅内閣の暴挙

2020年10月01日 22時16分50秒 | 政治
 他の記事を用意していたが、菅内閣の驚くべき暴挙が明らかになったので、それを先に書きたい。「学者の国会」と言われる日本学術会議の会員について、学術会議推薦の会員候補6人が内閣に任命されなかったというのである。かつて聞いたことのない暴挙で、「そこまでやるか」的な公然たる「学問の自由」への攻撃だ。「学術会議? 何それ?」という人も多いと思うから、解説しながら意味を考えてみたい。自分には関係ない気がするかもしれないが、こういうところから「物言えぬ社会」が作られていくのだと思う。
(六本木の日本学術会議)
 日本学術会議は、東京都港区六本木の国立新美術館の隣に建っている。設置されたのは1948年で、設置年度で判るように「戦後改革」の産物だ。日本の行政や国民生活に科学を反映させることを目的としたもので、二度と非合理な政策によって戦争の悲惨を繰り返さないようにという意味がある。学者委員による独立機関で、多くの提言、報告を出している。もっとも内閣はその提言に従う義務はないので、無視・軽視されてきたことが多いだろう。学術会議の提言がまともに生かされていたら、日本の学問、教育や政策一般が大きく変わっていたはずだ。

 会員は210名で、任期は6年。105人ずつ3年ごとに改選される。現在は3部に分かれ、1部が人文・社会科学、2部が生命科学、3部が理学・工学になっている。さらにいくつかの専門委員会が置かれている。優れた研究が認められた学者が選ばれる「日本学士院」とは違う。1984年までは学者自身による公選制が取られていた。その当時は人文・社会科学系では政府に批判的な学者が連続して当選しやすかったのは事実だ。そこで1984年から「各学会の推薦」に変更され、2005年に「委員候補は学術会議が選任する」方式にさらに変更された。

 つまり、ここで判ることは自民党内閣は一貫して学術会議を敵視して「骨抜き」を図ってきたということだ。しかし、それでも「候補の任命を拒否」などと言ったあからさまな暴挙を行ったことはなかった。「学術会議」の自治自律を踏みにじることは、いくら何でもやり過ぎだと思われたんだろう。最高裁内閣法制局と違って、学術会議には政府を拘束する権限がない。時々政府に都合の悪い提言などがあっても、スルーしちゃえばいいと思われていたのかもしれない。
(加藤官房長官の会見)
 加藤官房長官は定例記者会見で「会員の人事などを通じて、一定の監督権を行使することは法律上可能になっている。直ちに学問の自由の侵害にはつながらないと考えている」と語っている。さらに午後の会見で「任命する立場に立って、しっかりと精査していくのは当然のことだ」「あくまで、総理大臣の所轄に関わるものであり、任命についての仕組みもあるので、それにのっとって対応している」などと語ったと報道されている。

 学術会議は内閣府の所管になっている。2005年までは総務省(省庁再編前は総理府)だった。2006年に総務大臣を務めた菅首相だが、当時直接担当したわけではない。しかし、第2次安倍政権以後は直接でなくても所管に含まれていた。確かに法的には首相が任命を拒否出来るのかもしれないが、あまりにもレベルが低い。自分に逆らった官僚は左遷させた菅氏らしい狭量さと言うべきか。だが官僚は大臣の下にあるが、学者は首相の下にいるわけじゃない

 拒否された中には松宮孝明立命館大教授(刑事法学)や小沢隆一東京慈恵医大教授(憲法学)がいた。松宮氏は参議院の参考人質疑で「共謀罪」について批判したという。小沢氏は衆議院の中央公聴会で安全保障関連法について批判したという。それぞれ3年前、5年前のことである。それが理由だとしか考えられないが、何という執念深さだろうとゾッとする思いがした。学者は学問的良心に従って、国会に呼ばれたら自分の信じるところを表明しなければならない。これでは「御用学者」にならない限り、学術会議会員には選ばれないということになる。これが「学問の自由」の侵害でなくて何なのか。
(梶田隆章新会長)
 東京新聞の記事によれば、他に拒否された人として3人挙っている。岡田正則早稲田大教授(行政法学)、宇野重規東京大教授(政治学)、加藤陽子東京大教授(歴史学)である。もう一人いるはずだが、今の時点ではよく判らない。法学関係は知らないけれど、宇野重規氏や加藤陽子氏までがパージされるのかと日本が恐るべき状態になっていることに驚いた。(もう一人は芦名定道京都大院教授(キリスト教学)だった。10.2追記。)

 人文・社会科学だけの問題ではない。自然科学系の学問の方が予算額も大きく、政府の干渉も著しい。単に「学問の自由」だけが心配ということではなく、こういう一つ一つの問題で「あれは学者の問題だから」みたいに思って見過ごしていると、やがて誰もが口をつぐむ社会になってしまう。「重要な問題なのでしっかりと対応する必要があると考えている」と語る梶田隆章新会長にはしっかりと取り組んで欲しいと思う。
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