星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
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「割り切る」ことと「切り捨てる」こと。

2005-10-27 | …まつわる日もいろいろ
たまに覗きに行く或る人のDiary、、
その中のひと言に、、ズキッ、、、と来て、そのまま数秒、パソの前で止まっていた。

   「割り切ること」が出来ないから、「切り捨てる」

そうですね、、、私もそういう人間です。
そうしてきた人間です。そして、そうしてきた同じ種類の人も、とっても近くによく知っています。
「アイツはこの道しかないだろう」と周囲のすべての人が思っていたはずの道に進まなかった人間が、ここにも、そして、そこにも。。割り切ってここまで来れた訳ではなく、「切り捨てた」のですよね。

閉ざした扉を背にして来た人に、「あの大切なものは何処へ置いてきたの?」と問い掛けても、、、「棄てた」と、笑っているだけ。。でもそれは、、「忘れた」、、、では、無いのですよね。

 ***

ヒトゲノム地図が完成したそうです。
「25万個で個人差判別」って新聞文字が「個人差別」に見えてしまいました。たかが、塩基配列ごときに人間の一生が左右されてたまるものかと思うし、たかが塩基配列ひとつくらい、さっさと治せないものか、と思ったりもするけれど、それが出来ない。まだ、出来ない。まだ、、、っていうか、じゃあ出来たらしていいのか。どうなんでしょうね。
「私」というアイデンティティである「遺伝子」そのものに、「私」が煩悶するという不条理。生涯背負う十字架?・・・でもそれは、「割り切る」しかない。
自分で自分を「切り捨てる」わけにはいかないから。

 ***

、、、自分は棄てない。
でも、自分から「切り捨てた」ものは、、もどってこないものかな、、、? そう、、、? そうかな?

いつか、自分が先へ先へ、ずっと先へ歩いて行かれたときに、
それが出来た人だけに
答えは解るんだと思う。。