星のひとかけ

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医療関係の本  (ルポルタージュ編)

2008-01-23 | 文学にまつわるあれこれ(ほんの話)
先日 医療関係の本をいくつか載せましたが(>>)、実際は、この10倍くらいの本を手にしてみたのです。。けど、ためになった!と感じたのはそんなに無かった、、ってことでしょうか。。
有名なスーパードクターの書かれた本も結構読みました。確かに、医療の現状の欠点を指摘したり、専門分野の詳しい説明があったりなど、、必要な方にとってはとってもタメになります。
、、けど、自分の技術が最高!、、という結論に落ち着くようなので、紹介は避けました。それは読者それぞれがご判断を、、ということで。。

それ以外に、 ルポルタージュ作品として一般の方が読むにも非常に優れていると思う本を2冊載せておきたいと思います。 、、、昨年、自分が心臓の手術をしたからこそ、たぶん「今」でなきゃこういう本には手を伸ばさなかったかもしれないな、とは思いますが、(ふだん小説中心だから)、、よい本でした。
最近、『チームバチスタ、、』が話題で、これもちかぢか読むつもりではいますが、下の2冊もぜひとも多くの方に読んでいただきたい、、不真面目な言い方ですけどその辺のサスペンス小説などよりも、ずっと読みごたえもあり、背筋が寒くなるような衝撃的な報告もある、詳細に取材されたルポルタージュと思いました。

『凍れる心臓』(共同通信社社会部移植取材班 著/共同通信社 1998年)
日本初の心臓移植、和田移植の30年目の真実を、当時の多くの関係者への多角的な取材を通して追求した本。
和田移植については、、親から聞いたような記憶しか無いのですけど、私にとっては、まるで動物実験のように心臓移植を実施したという印象や、その結果のいきさつから、所詮人間の心臓を取り替えるなんてそんなのはうまくいかない、と親に聞かされたような印象がありました。
一方、同世代の他の人に聞いたところによると、日本初、ということで和田教授の偉業が、何か「科学と学習」みたいな本に載っていて読んだ記憶がある、とか話してました。。ともかく、、この和田移植の問題以後、日本では移植医療が封印され、大学病院関係者は口を閉ざし続けた、、という事実。

和田移植のことなんて、私自身、思いうかべることも全く無かったですが、、読んで、、本っ当に、背筋が寒くなりました、タイトル通り、心臓が凍える思い。。
当時の大学病院が権威の要塞、素人の眼のまったく届かない聖域だったことは、私も実感してます。、でも、、余りにも不透明。
ドナーは本当に助からない状態だったのか、脳死状態だったのか、、(当時、脳波を測定するのがすごく大変だった、というのも記憶してるし)、、ドナーの膨大な心電図がみんな破棄されていたこと、、とか、、関係した医師たちの証言の食い違いの多さ。。
そして、移植を受けた患者さんについては、、 そもそも僧房弁置換手術の目的で内科から外科へ移された患者さんだったこと、、 それが移植後の説明では、僧房弁も大動脈弁も使い物にならず移植しか無かった、となっていること、、 さらに私がいちばん驚愕したのは、、 患者さんの死後、病理解剖しようとした時に外科が摘出心を渡そうとせず、ようやく返還された心臓は大動脈弁が全部切り離されており、なおも組織の提供を求めて、やっと提出された弁は他人のものだった疑いが強い、、と!
、、一方で、、私らにはとにかく何もわかりませんでした、、というドナーとレシピエントのご両親らの言葉は悲しい。 当時は、本当に医療のこと、病気のことなど何もわからなかったのだから、再取材での事実など遺族の悲しみが増すだけかもしれません、、でも、、!

昨日の新聞に、 「帝銀事件60年目の新事実」ということで、平沢元死刑囚の脳に病変があったことが判った、、というのが載っていましたが、、 和田移植の患者さんの大動脈弁、、今ならDNA検査で本人のものかどうか確実に判るはず。 誰かがそれを解明するべきじゃないか? 医師の誰かを糾弾するためではなく、和田移植の真実が本当の意味で明らかにならない限り、日本の医療の闇、大学病院の闇は永遠に消えないんじゃないかと、、そう思う。

『明香ちゃんの心臓―〈検証〉東京女子医大病院事件』 (鈴木敦秋著/講談社2007年4月)
上記の、和田教授が移植裁判ののちに赴任したのがこの東京女子医大。そして、和田移植の裁判で医学的な検証をし、結果的に和田教授を擁護したのが、本書の舞台である東京女子医大の心臓血圧研究所を設立した榊原教授。 このような、心臓では日本一の大学病院で起きた2001年の医療事故を検証したルポルタージュです。

こちらはまだ記憶に新しい事件でしたが、 おそらくこれを読んで多くの人は、大学病院の診療の仕方、 事務職員や看護師の言葉、 執刀医が決まる過程、 手術前日の様子などなど、、驚くことばかりではないでしょうか。 正直、私も驚いた。。 大学病院も、手術も、何度も経験してる私でさえ。。
その最たるものが、、 手術の瞬間に至るまで、執刀医が一度も明香ちゃんを診察していないこと、顔も見ていないこと。 もちろん、検査が完全で、診断も完璧で、データも揃っていて、それで執刀医がちゃんと手術が出来れば問題は、ない。(実際は、ご両親に執刀医として説明をした医師は、オペでは第一助手として指導に当り、実際に執刀していたのは4年目の医師だったのですが、、それでもきちんと手術できていたなら、問題ない) 、、本当に問題無い、、のか?
本書を読む限り、 医療事故の根本の原因は人間関係の欠如、だと思う。事務職員も、看護師も、医師たち相互の間でも、患者さんを病める人(人間)だと感じる(認識する、んじゃなくて、感じる!こと)意識がまったく無い。 医師は技術者の集団にすぎないから、オペ室の中で指導医が若い医師を罵倒する、、 恐怖からスタッフは萎縮する、、 それでトラブルに即応できない、、 トラブルがさらなるトラブルを呼ぶ、、 その不手際の連鎖が、明香ちゃんの心房中核欠損症という手術では普通ありえない事故を引き起こした。

女子医大の外来棟はこの事件のあと新しくなりました。 私も行きました。 宇宙基地みたいに広いです。
、、、印象は、、 (個人的な見方ですが)私は好きじゃありません。 患者さんの通路と、職員(医師、看護師等)の通路が別に作られていて、患者さんは白衣の姿を全く目にすることがありません。自動受付して、外待合で待って、番号が点いたら中待合に入って、呼ばれたらタコ部屋みたいな診察室の一つへ入るだけ。 ドクターや看護師が何人いるかも全くわからず。。
本書を読んで私が感じた、医療スタッフと患者さんとの人間関係の欠如、、、 それは改善されたのかどうか、、スタッフが見えない構造では、私にはわかりません。

、、、自分が手術した病院と較べるのも、客観性の無いやり方だけど、、
友人曰く、、「あそこって町医者をちょっと大きくしたような感じだよね」、、(ある意味、、確かに)。。
お世話になったレジデントさえも曰く、、「(設備も古いけど)、、ここであなたの手術をやっちゃうんだから、、スゴイよね」、、、(それって賛辞なのか?、、笑)
外来やエレベーターにドクターも患者さんも職員も入り乱れてるのは、私が以前に書いたものからも判るかもしれないですが、外来も、職員さんの背後にバーーっとカルテが並んでて、「ハイ、○○さん、この検査先に行って来てね! あら、△△さん、予約なしで来ちゃったの? ちょっと待ってね」なんて声が響き渡ってる。でも職員さん、みんなテキパキしてるんだ。整然とはしてないが、私は職員さんのこのテキパキ度で、この病院が好きになったのだもの。

、、あと、、本書を読んでから、ハタと気づいたことは、、
私の入院中は、毎朝、朝食前(!)にドクター全員で回診にいらしたのですが、、そう言えば、カルテを持ってるとこ見た事ない。。、、てことは、誰が今どんな状態で、今日はどんな検査や処置の予定かアタマに入ってる、ってことよね。。 べつに検査予定もない時には、ぶら~っと先生が入って来たかと思うと、台に置いてあった人の本を無言で取り上げて、、(何だよぅ!)と思ったこともありましたが(笑)、、大学病院のように入院患者さんも膨大ではないから、患者全員の顔や状態を覚えられるんでしょうけれど、、、。 
私は、基本的には外科医は技術者で良いと思ってます。患者さんにヘタな情なんか持たなくても良い。ただし、、技術者として、命を預けられる信頼を持った上でないと心臓を止める手術なんて受けられない。ドクターには、「お任せ下さい」なんて言って貰わなくても良い、、「最悪」でも「最善」の行動ができる人であってくれればいいと思う。

病院の規模の大小に関係なく、患者さんと、医療従事者の人間的な信頼関係が築かれること。
、、、それを心から願います。 

あしたで、ちょうど術後1年だよ。