ポール・オースターの2002年作品『幻影の書 The Book of Illusions』が翻訳されて、昨秋10月に出版された。 昨年は多忙をきわめたのが少し祟ったのか、 秋以降その疲れですっかり文学からは遠ざかってしまっていた。 本を読んでいなかったわけではないけど、 この書も、出版を知らずに、今年になって書評を読んでやっと知ったというわけ。
ポール・オースターだから、、 言うわけではないけれど、 この人の本は、あるべき時に必ずやってくる、私に。。 必要な時に、 あるべきかたちで。。
オースターについては、ずっと前に書きました(2003.5月>>) それから、 HPの方でも、いくつかのオースター作品について載せました。一時期、夢中で読んだから。。(>>) あの頃から、9・11以降にオースターが書いた作品を読みたい、とずっと思っていましたが、 この『幻影の書』は2002年だから、その1作目なのか、 或いはすでに書かれつつあった作品なのかはわからないけれど、、
ストーリー云々についてはここでは書きません。 自分の思いだけを。。なぜ、「あるべき時に」「あるべきかたちで」、、と私が思っているのか。
、、人は、 なぜこんなにも、「偶然」と「必然」の境で揺れ動くのか。 偶然を、運命に、 必然を、 奇跡に、 変えてしまう人間の「想い」、、、 そしてそのことを妄信だと疑うもうひとりの自分との葛藤。 いくら答えを見つけようとしても、 どこにも答えは見つからないし、 答えがあるとしたら、それは自分の中にしか求められない。 だから尚、苦しい、 狂おしい。
これらは、ずっとオースター作品の中に流れていたものだと思うし、でも、オースターこそは、「偶然」が人を導く力を信じていた作家だと思うし、 時にロマンティック過ぎる程の「奇跡」さえ作品に書いてきた人だと思う。 、、、だけど、、『幻影の書』では、 やはり変化があるように思う。 そこでは、その「現実」の中では、、 失われたものは、決して元には戻らないから。。。 伝わらなかった言葉、伝わらなかった映像、、 それらがひとたびこの世界から失われた時には、 それらは、初めから(そして永遠に)存在しなかったと同様なのである。。 、、のか?、、
男が愛の言葉を告げる。 思いつく限りの、、愛の言葉を。 眼を閉じて聞いていた女性は言います。
(以下、ほんの少し、引用します。 ごめんなさい)
・・・いま目を開けたら、あなたはそこにいないかもしれないって思う。
なるほど、わかるよ、と私は言った。でもその反面、目を開けなかったら
僕がいるかいないかもわからないだろう?
女性は思ったのです。 もしかしたら、自分は、自分が言ってほしいと思う言葉を自分で聞いているだけなのかもしれない、、と。 Illusions 、、、。 だから、目を開けて確かめる、、 確かめたい、、。
、、、
ここに書いたことがこの書を説明してるなんて全く、これっぽっちも無いほど、ストーリーは重層的だし、登場人物も時代も複雑です。 でも、追い続けているのは、発せられた言葉、 そして発せられなかった言葉。
いろんな場面で涙しました。 上のシーンもそのひとつ。
あと、、、 私がものすごく悲しかった場面が、ひとつあります。 もしかしたらこれが9・11前と、後で大きく変わってしまったオースターの気持ちなのかしら、、と思ってしまうような。。。 どこにもそれを裏付ける事なんて書かれていませんけど。 、、それは、かつて「ルル・オン・ザ・ブリッジ」でも登場した、「青い石のかけら」、、、 そう、 このブログのタイトルとも大きな関係のある、ひとかけら。。。 それに似たものが、一瞬、今度の作品にも出てくるのだけれど、、 その扱いが、、。。 、、ちょっと悲しくて泣いてしまいました、、 もしオースターさんがここにいらしたら、 「あんまりだわ、、」と、べそかいてしまいそう。。。 でも、これは私の勝手な思い。 作品の中での意味がなんなのか、あるのか、ないのか、、 ほんの一瞬のものですから。 本当に私のただの呟き。
まぼろしは、、 見えた者には、幻ではない、、、?
、、、だけど、、 所詮、 まぼろしは、、 ただの 影、、?
***
『最後の物たちの国で』を、 もう一度読んでみようと思います。 それから、、 2002年以降で、まだ訳されていないオースター作品が5作品もあるなんて、、、 それも、せつない。。 原書で、、 読めないよ。。。 またべそかきそうだ。。。
ポール・オースターだから、、 言うわけではないけれど、 この人の本は、あるべき時に必ずやってくる、私に。。 必要な時に、 あるべきかたちで。。
オースターについては、ずっと前に書きました(2003.5月>>) それから、 HPの方でも、いくつかのオースター作品について載せました。一時期、夢中で読んだから。。(>>) あの頃から、9・11以降にオースターが書いた作品を読みたい、とずっと思っていましたが、 この『幻影の書』は2002年だから、その1作目なのか、 或いはすでに書かれつつあった作品なのかはわからないけれど、、
ストーリー云々についてはここでは書きません。 自分の思いだけを。。なぜ、「あるべき時に」「あるべきかたちで」、、と私が思っているのか。
、、人は、 なぜこんなにも、「偶然」と「必然」の境で揺れ動くのか。 偶然を、運命に、 必然を、 奇跡に、 変えてしまう人間の「想い」、、、 そしてそのことを妄信だと疑うもうひとりの自分との葛藤。 いくら答えを見つけようとしても、 どこにも答えは見つからないし、 答えがあるとしたら、それは自分の中にしか求められない。 だから尚、苦しい、 狂おしい。
これらは、ずっとオースター作品の中に流れていたものだと思うし、でも、オースターこそは、「偶然」が人を導く力を信じていた作家だと思うし、 時にロマンティック過ぎる程の「奇跡」さえ作品に書いてきた人だと思う。 、、、だけど、、『幻影の書』では、 やはり変化があるように思う。 そこでは、その「現実」の中では、、 失われたものは、決して元には戻らないから。。。 伝わらなかった言葉、伝わらなかった映像、、 それらがひとたびこの世界から失われた時には、 それらは、初めから(そして永遠に)存在しなかったと同様なのである。。 、、のか?、、
男が愛の言葉を告げる。 思いつく限りの、、愛の言葉を。 眼を閉じて聞いていた女性は言います。
(以下、ほんの少し、引用します。 ごめんなさい)
・・・いま目を開けたら、あなたはそこにいないかもしれないって思う。
なるほど、わかるよ、と私は言った。でもその反面、目を開けなかったら
僕がいるかいないかもわからないだろう?
女性は思ったのです。 もしかしたら、自分は、自分が言ってほしいと思う言葉を自分で聞いているだけなのかもしれない、、と。 Illusions 、、、。 だから、目を開けて確かめる、、 確かめたい、、。
、、、
ここに書いたことがこの書を説明してるなんて全く、これっぽっちも無いほど、ストーリーは重層的だし、登場人物も時代も複雑です。 でも、追い続けているのは、発せられた言葉、 そして発せられなかった言葉。
いろんな場面で涙しました。 上のシーンもそのひとつ。
あと、、、 私がものすごく悲しかった場面が、ひとつあります。 もしかしたらこれが9・11前と、後で大きく変わってしまったオースターの気持ちなのかしら、、と思ってしまうような。。。 どこにもそれを裏付ける事なんて書かれていませんけど。 、、それは、かつて「ルル・オン・ザ・ブリッジ」でも登場した、「青い石のかけら」、、、 そう、 このブログのタイトルとも大きな関係のある、ひとかけら。。。 それに似たものが、一瞬、今度の作品にも出てくるのだけれど、、 その扱いが、、。。 、、ちょっと悲しくて泣いてしまいました、、 もしオースターさんがここにいらしたら、 「あんまりだわ、、」と、べそかいてしまいそう。。。 でも、これは私の勝手な思い。 作品の中での意味がなんなのか、あるのか、ないのか、、 ほんの一瞬のものですから。 本当に私のただの呟き。
まぼろしは、、 見えた者には、幻ではない、、、?
、、、だけど、、 所詮、 まぼろしは、、 ただの 影、、?
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『最後の物たちの国で』を、 もう一度読んでみようと思います。 それから、、 2002年以降で、まだ訳されていないオースター作品が5作品もあるなんて、、、 それも、せつない。。 原書で、、 読めないよ。。。 またべそかきそうだ。。。