星のひとかけ

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罪なき人はいない…:『さよなら、ブラックハウス』ピーター・メイ

2018-08-16 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
お盆休み、、 久しぶりに故郷へ帰られた方も多いかと。。。

自分が育った町や村、、 変わらない風景や すっかり変わってしまった場所、、
ずっと会えずにいた友、 或は できれば会いたくなかった人… 
、、離れていた年月が長ければ長いほど、 故郷へ帰る時の想いは複雑になっていくものかもしれません。。 そんな物語を読みました。

日本では十数年ぶりに昔の同級生が帰って来たりするのも こんなお盆の季節かもしれませんし、 海外では逆に、 今の季節、夏の終わり… 9月からの新年度へ向けて故郷を去ろうとしている別れの季節なのかもしれません。。
今年はお盆の帰省はしませんでした、、 同級会も今年は無し。。 故郷を離れて私ももう二十年余、、 この物語を読みながら、 心にちくちく… 針の疼きが止みませんでした。。



『さよなら、ブラックハウス』ピーター・メイ著 青木創・訳
(ハヤカワ・ミステリ文庫 2014年)

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スコットランド エジンバラ市警の刑事フィンは、 ある殺人事件の捜査にあたる為 十八年ぶりに自分が生まれ育った島へ派遣される。 ヘブリディーズ諸島のアウター・ヘブリディーズと呼ばれる西側の群島の中で、 最も北に位置する「ルイス島」(Isle of Lewis)が彼の故郷だった。

、、ヘブリディーズ諸島で思い出すのが、 5月に書いたアン・クリーヴスさんのシェトランド諸島を舞台にした ペレス警部シリーズの事(>>)。 『水の葬送』の中でヘブリディーズ諸島が出て来ました。 重複になるけれど、 サンディが言っていた言葉…

「…われわれとはまったくちがいます。かれらはゲール語をしゃべるし…文化もちがう。ヘブリディーズ諸島では、日曜日に酒を飲めない。ヘブリディーズ人とシェトランド人に共通点があると考えることができるのは、イングランド人だけです」

、、まさにこの 《全く違う》ヘブリディーズの島の文化や暮らし、、 それを読んでみたいと思ってこの本を手にしたのです。 それにぴったりの本でした。 ルイス島の厳しい自然環境、 古くは中世から受け継がれてきた暮らしぶり、 厳格な宗教に根ざした規律、、 そして世界でこの島の男たちだけが晩夏に行う《グーガ狩り》(guga hunt)という「シロカツオドリ」の幼鳥を狩る猟… 

これら初めて読むこの島の文化が、 主人公フィンのこれまでの人生や 彼の幼友達らの成長の過程にとてつもなく大きな影響を与え、、 少年時代の記憶抜きには この島で起こった現在の事件も解くことは出来ないのです。。 
そして、 18年前に《故郷を捨てた》ように離れたフィンにとっても、 この帰郷は自分のこれまでの人生と再び向き合わざるを得ない《事件》となっていきます。 ルイス島という小さな地域で共に育った者たち… その子供たちがどう大人になっていったのか、、

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上の写真でもわかりますが、、 ちょっと早川書房さんへ苦言。。 この表紙のイラストは作品のイメージに全く合っていません。 私もヘブリディーズ諸島への関心が無かったら、 このイラストを見て本を手に取ろうとはまず思わないです。。 ライトノベルではないのですから… 殆んどの男性ミステリ読者はタイトルと表紙で避けてしまうでしょう…

この本の舞台、 ルイス島のあるアウター・ヘヴリディーズについてはウィキを(>>) 厳格な宗教のことなど載っています。

そして、 ルイス島の風景を探していて、 なんと この本の著者さんによるルイス島紹介映像があって吃驚しました。 本のプロモーションでこういう事もするのですね。 見てみたら、 本当に (あ、あの場面、 あの場所)という所が一杯だったので 読んでいない方も 読み終えた方もぜひどうぞ…
The Blackhouse (2011) by Peter May
流れている音楽は、 スコットランドの民族音楽のバンド「カパーケリー」だそうです。 言葉はゲール語でしょうね…

、、以前読んだ J・M・シングの『アラン島』(>>)にも少し似ている気がする。 あちらはアイルランドの西だけれど…

ルイス島の映像を見ていると、、 なんだか泣きそうになってしまいます。。 なぜかはわからないけれど、、 自分が決して行けない場所、 どんな憧れを持っていたとしても私には決して暮らしていけない場所、、 だからかな。。 だから、 この島から逃げていくようにエジンバラへ行ったフィンの気持ちもわかるような気がする… でもこういう場所で育ったら、 どこへ行って記憶から締め出したとしても 決して忘れることは無い場所だろうなと思う。 自然の厳しさや人間関係も含めて、、きっと。。

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事件を追う現在のフィンと、 子供時代の回想とが交互に現われ、、 それによって読者はこの島の多くのことを知っていく… ミステリとしても成長物語としても読み飽きないドラマティックな展開ですが、、 読後感は苦い、、です。

前に書いたM. L. ステッドマン『海を照らす光』(>>)が、 どこにも「悪人」はいないのに 「愛」のために、「相手への想い」のために 誰かを傷つけ裏切ってしまう… そういう悲しみに苛まれる物語だったとしたら、、 この『さよなら、ブラックハウス』は、、 出てくる全ての人がなんらかの「罪」を犯している、と言えるかもしれない。。 それも身勝手な 自分の為の「罪」。。 キリスト教の「七つの大罪」にも当て嵌まるような… 主人公フィンでさえ。。

、、 子供から大人になっていく時代、、 何故あんな事を言ったのか(或は言えなかったのか)… どうして心に反する行動をとったのか… 誰にでもある事だと思う。 でも それは自己本位の身勝手な罪。。 殺人事件とは関係がなくても、、 そんないろんな人の隠された罪が見えてくる、、 だけどほんとうに罪のない人間などいるだろうか(自分も含めて)、、 と 息苦しい気持ちにもなる。

、、物語の重要な部分を占めるのが先に書いた《グーガ狩り》の場面。 営巣地の幼鳥を捕まえて殺す、、というこの伝統の猟も「罪」であると非難する動物愛護の運動家も登場します。 実際、 動物保護か、伝統継承かの議論の末、 一年に2000羽の捕獲だけが許されているそうです
Western Isles' Sula Sgeir guga hunt 'sustainable'(BBC)

生きていく為の食糧がほかに選択できる現代、 guga huntが必要なのか、 食べたいという身勝手な欲望なのか、 それとも先祖から受け継がれた伝統を消さない為なのか、、。 日本人にも無縁でない問題ですが、 それは置いて、、 この《グーガ狩り》の場面と《事件》とが見事に絡んで結末へ至ります。

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だけど、、 ミステリとはいえ、、 (それはあまりに身勝手じゃないか)と思ってしまう人物が多くて… (刑事フィン、、君もだ)

(読んだ人だけわかるように書きますが)、、 物語の最初に出てくる「女の人」と、 物語の最後に出てくる「青年」、、 なんだか あの二人だけが全く罪が無いのに、、 なんにも悪くないのにあんなに心に傷を負って… 可哀想でならない。。 あんな扱いで終わってしまっていいの…? あの二人のこれからの人生が心配でならないよ。。。 

もし 続編でこのひとたちの「その後」が判るなら良いけど、、 このまま物語から消えてしまったら つらいなぁ。。

、、 きっと 作者は こういう思いも含めて、、 人が生きる「罪の深さ」を、 島で生きる厳しさと共に 考えさせてくれているのだと、、 そう思いたい。。 (けど、 この著者さんは脚本家でもあるそうなので、 不幸なドラマティックさが過剰な気も ちょっとする。。 いつか続編読んで考えよう…)

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 「わたしの子供時代は虹だらけだったように思える。 たいていは二重の虹だった。 その日わたしたちが見たのも、泥炭地の上ですみやかに形を結び、藍色の空のいちばん暗い部分を背景にして鮮やかに輝く虹だった」


上に書いたルイス島の動画でも 「虹」がちらっと映っています。 Isle of Lewis と rainbow で検索すれば二重の虹の画像もたくさん見られます。。 

やっぱり、、 見てみたいなぁ、、 本物のルイス島の虹。。



こちらは都会の切り取られた空…


上層の雲にすこしだけ 秋の気配…