気をつけているつもりでも、、
やりたいこと、やらなくちゃならないことが重なって せわしない気持ちを雪だるまみたいに膨らませて、、それで調子を崩している自分に気づいて苛立ったり、、 悲しくなったり、、
そんなことで苛立つ自分が悪いのだけど 人間が出来ていないので それでなおも悲しくなったりします…
そんな弱音を吐いてないで、 やるべきことを頑張ってしようかと思ったけれど、 それよりも今日は絶対レコードを聴くんだ、と… そうしよう… そう思って、 レコードを聴くことにしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/a7/2a6373341a0df1d4d9ce6d533d2e94e5.jpg)
Francoise Hardy - PERSONNE D'AUTRE
前にも此処に書いた事のある フランソワーズ・アルディさんの今年の春に出たアルバム。。 長い間まよっていたのですが(仏語がわからないので日本盤が出ないかしらとも思って…) 結局 秋深くなって、LPレコードで買うことにしました。 でもまだ一度も針を落とさずに……
、、 きょうはだからこれを必ず聴こう、と、、。
やはりレコードにしてよかったです。 ターンテーブルや針の様子を見て、 細かな塵をふき取って、、 レコードにスプレーしてまた拭き取って、、 そういう手順をしているだけでなぜか気持ちが少し落ち着く…
余計な伴奏の少ない、 言葉の発する口元の微妙な動きまで感じさせるように歌声が流れて、、 そのあとに控えめなドラムスや ミュートしたギターの音色などがそっと重なってくる。。 この空気感がやはりレコードにして良かったと思う。。
***
先日、 引用した『嵐が丘』のキャサリンの言葉がありますが、、 あの引用の前の部分も、 重要なキャサリンの意志というか 信念を示した名句として良く知られている部分で、、
I cannot express it; but surely you and everybody have a notion that there is or should be an existence of yours beyond you. What were the use of my creation, if I were entirely contained here?
あたしにはうまく言えないけど、おまえにしろ誰にしろ、自分以上の『自分の生命』がある、またはあらねばならぬ、という考えはみんな持ってるでしょう。 もしあたしというものが、ここにあるだけのものが全部だったなら、神があたしをお造りになったかいがどこにあるでしょう?
(田中西二郎訳)
、、 そして、この数行後に前に書いた部分へとつながっていくのですけど、、
「あたしはヒースクリフ…」 という あの言葉だけだったなら、 恋におちた激情だけの叫びとも思えるかもしれません…
existence of yours beyond you(自分を超えた自分の存在)こそが the use of my creation だと思うことは、 この世界に生きて 誰かを愛することの真理だと そう私にも思えます、、
だから、 私が 私自身が思うように動けなかったりしんどかったりして悲しいのは 自分で自分を悲しがって(憐れんで)いるのではないのです。。 なかなかそれが分かってもらえないんだけど…
… 私はちっとも私が悲しいのではないのよ、、
***
「You're My Home」で フランソワーズ・アルディさんの歌う
“I would fight every day / Just to show you I am strong”
も、、 たぶん そういう意味なのだと思います。 自分以上の自分の存在こそが 私の日々生きている意味なのだと……
、、なんて
大仰な屁理屈を言っていないで あったかい紅茶を飲んで 今度はチェット・ベイカーさんをかけましょう…
やりたいこと、やらなくちゃならないことが重なって せわしない気持ちを雪だるまみたいに膨らませて、、それで調子を崩している自分に気づいて苛立ったり、、 悲しくなったり、、
そんなことで苛立つ自分が悪いのだけど 人間が出来ていないので それでなおも悲しくなったりします…
そんな弱音を吐いてないで、 やるべきことを頑張ってしようかと思ったけれど、 それよりも今日は絶対レコードを聴くんだ、と… そうしよう… そう思って、 レコードを聴くことにしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/a7/2a6373341a0df1d4d9ce6d533d2e94e5.jpg)
Francoise Hardy - PERSONNE D'AUTRE
前にも此処に書いた事のある フランソワーズ・アルディさんの今年の春に出たアルバム。。 長い間まよっていたのですが(仏語がわからないので日本盤が出ないかしらとも思って…) 結局 秋深くなって、LPレコードで買うことにしました。 でもまだ一度も針を落とさずに……
、、 きょうはだからこれを必ず聴こう、と、、。
やはりレコードにしてよかったです。 ターンテーブルや針の様子を見て、 細かな塵をふき取って、、 レコードにスプレーしてまた拭き取って、、 そういう手順をしているだけでなぜか気持ちが少し落ち着く…
余計な伴奏の少ない、 言葉の発する口元の微妙な動きまで感じさせるように歌声が流れて、、 そのあとに控えめなドラムスや ミュートしたギターの音色などがそっと重なってくる。。 この空気感がやはりレコードにして良かったと思う。。
***
先日、 引用した『嵐が丘』のキャサリンの言葉がありますが、、 あの引用の前の部分も、 重要なキャサリンの意志というか 信念を示した名句として良く知られている部分で、、
I cannot express it; but surely you and everybody have a notion that there is or should be an existence of yours beyond you. What were the use of my creation, if I were entirely contained here?
あたしにはうまく言えないけど、おまえにしろ誰にしろ、自分以上の『自分の生命』がある、またはあらねばならぬ、という考えはみんな持ってるでしょう。 もしあたしというものが、ここにあるだけのものが全部だったなら、神があたしをお造りになったかいがどこにあるでしょう?
(田中西二郎訳)
、、 そして、この数行後に前に書いた部分へとつながっていくのですけど、、
「あたしはヒースクリフ…」 という あの言葉だけだったなら、 恋におちた激情だけの叫びとも思えるかもしれません…
existence of yours beyond you(自分を超えた自分の存在)こそが the use of my creation だと思うことは、 この世界に生きて 誰かを愛することの真理だと そう私にも思えます、、
だから、 私が 私自身が思うように動けなかったりしんどかったりして悲しいのは 自分で自分を悲しがって(憐れんで)いるのではないのです。。 なかなかそれが分かってもらえないんだけど…
… 私はちっとも私が悲しいのではないのよ、、
***
「You're My Home」で フランソワーズ・アルディさんの歌う
“I would fight every day / Just to show you I am strong”
も、、 たぶん そういう意味なのだと思います。 自分以上の自分の存在こそが 私の日々生きている意味なのだと……
、、なんて
大仰な屁理屈を言っていないで あったかい紅茶を飲んで 今度はチェット・ベイカーさんをかけましょう…