星のひとかけ

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陶酔と 感涙と 感謝…:マーラー「大地の歌」東京交響楽団

2024-05-13 | LIVEにまつわるあれこれ
GWから続いたコンサート週間のラストは 東京交響楽団&ノットさん。 
振り返れば、 東響さんの公演は昨秋の ニキティンさん「英雄の生涯」以来⁈ ノットさんはじつにサマーミューザ以来です。 ニコ響はずっと楽しませていただいていたので そんな空白があった感じはしませんでしたが、 かる~く東響さん渇望が募っていました。

書き忘れていましたけど、 4月のニコ響での サカリ・オラモさん指揮の公演が素晴らしくて、 フィンランドの湿原の鳥の声をテープで流しながら演奏するという「カントゥス・アルクティクス(鳥とオーケストラのための協奏曲)」も、 鳥のさえずりのように声を震わせて歌う「サーリコスキの詩による歌曲集 」も、 初めて聴く曲でしたが歌も演奏もとても楽しめました。 もちろんドヴォルザーク8番も。 、、それで 今年初(!)の東響さんを聴きに行けるのを楽しみにしていました。


川崎定期演奏会 第96回 5月11日(土)

武満徹:鳥は星形の庭に降りる
ベルク:演奏会用アリア「ぶどう酒」
  ソプラノ:髙橋絵理

マーラー:大地の歌
  テノール:ベンヤミン・ブルンス
  メゾソプラノ:ドロティア・ラング

東京交響楽団 指揮:ジョナサン・ノット





結論はタイトルの通りです、、 陶酔し 感涙し 感謝でいっぱいになったコンサートでした。 特に「大地の歌」はもう こんな素晴らしいものを聴かせていただいたという感動に唯々 浸っていました。 歌唱も、 そこに寄り添う繊細きわまりないオケの各パートさんも、 ノットさんの魔法のように翻る指揮も。。

ほんとノット監督の指揮はいつも美しいですが、 このマーラーでの指揮は 指先のすべての指示に意味があって そのすべての指示が(こんな素人の私にも)その意味が伝わって何一つ無駄なくオケさんか応える。 ほんと魔法をつくり出す左手でした。

「大地の歌」は今まで聴いたことが無くて、 しばらく前から3種類くらいの演奏を視聴していたのですが、 (耳が悪いせいか)歌唱を聞くと演奏が頭に入ってこないし、 演奏に集中すると歌唱とどう溶け合っているのかピンと来なくて、 これは困った… と出掛ける寸前まで悩んでいました。 けれどもそんな心配はあっさり消え、、 演奏が始まったら もう驚き、、 (歌と溶け合ってる!!)

中国の漢詩がもとになっている歌詞も事前に読みながら動画を見ていて、 なんだか 大きな樽酒を飲み干してもまだ足りないという感じの迫力のテノールではない方が良いなぁ… 仙境で酌み交わす盃のような趣が感じられたらいいなぁ… と、 1曲目の武満を聴いている時から思っていましたが、 ブルンス さんの澄んだお声で良かった!

一方 ラングさんのメゾソプラノは 憂いも湿度もあるお声で、 第二楽章の憂愁はしっとりと、 牧歌的な第4楽章では瑞々しく、、 ブルンス さんの明るいお声は第三楽章の東洋的な自然が生き生きと見えるようで、、 歌唱とオケの色彩(色彩ってヘンかしら…?)が美しく溶け合うときが何度もあって なんて美しいのだろう…と。。 これまでいくら聴いても分からなかったのに なんでこんなにくっきりと情景がみえるのだろう… と感動しまくりでした。

そして東響さんの各パートさん、、 オーボエさん クラリネットさん そしてフルートさん。 こんなに心の行き渡った精度の高い演奏を あのホールのその瞬間限りの緊張感のなかで奏でられるなんて、 なんてなんて楽団員さんは凄いのかしら…と。 歌唱の方はうしろを振り向くわけにはいかないので正面を見ていらっしゃるけど、 まるで向かい合って眼差しを交わし合っているような、 フルートさんの寄り添いの演奏も見事としか言いようが無く… その瞬間にはノットさんも指揮棒を下ろして演奏をまかせていらっしゃいましたね…

別離を歌う最終楽章のあいだ、、 すばらしい歌とオケの融合を聴きながら、 やっとこの歌の意味が自分なりにみえてくる気がしました。 公演のポスターにある「人生此処にあり。」、、 歌曲のなかで繰り返されるのは 生の苦しみ はかなさ それゆえに酒を呑むということ。 最後まで酒がでてくるので (ずっと呑んでばかりやん…)と思っていたのですけど、、

生の憂愁と 人間のはかなさ、 酒はひとときの夢、 やがて自分はここを去っていくが自然は永遠にあるだろう… そのような歌曲の解釈と、 ノットさんの写ったポスターの「人生此処にあり。」の言葉が じぶんの中でうまく嚙み合っていなかったのですけど、 この日の演奏を聴いていてなんとなくわかったんです。 人生の意義みたいなもの、、 
この歌曲の「酒」を呑むというのは呑むのが重要なのではなくて、 美しいものに「酔う」 という事が真意なのかも…と。 忘却や逃避の「酩酊」でなく、 「陶酔、夢見心地、感動、歓び」  それこそが生きているという恩寵、 人生の意義でしょう…? そしてその歓びの気持ちを誰かに伝えられること、 その気持ちをわかる誰かと共有できること。。

前回のマーラー6番で ノットさんは人生に降り下ろされる悲劇のハンマーを表現されました、、 5回も(!) あのときも書きましたが 確かに人生には予期せぬ悲劇が降りかかります、何度も。 でもそのたびに立ち上がるんです。 そうしてこんなにも美しい音楽を人と人とが融け合って創り出す力が、 ひとにはあるんです。 それこそが「人生此処にあり。」 、、ちがいますか? ノットさん… と、 最終楽章を聴きながらずっとそんなことを考えていました。

泣くと妙な音をたててしまいそうで 必死に泣くのをこらえてましたが、 「泣いてもいいよ」と言われたらどーーっと泣きたい気持ちでした。 ノットさんに、 歌手の方々に、 オケのみなさんに、、 一生懸命手を叩きながら (幸せだなぁ…)と思っていました。 音楽という人を虜にする美しい魔法があるから、 それを禁止する世界もこの世にはあるんだということを 頭のどこかで思いながら、、、

 ***

前半について、 ちゃんと書く能力が無いですが、 ベルクの「ぶどう酒」 複雑きわまりない難しい曲を あんなに情感たっぷりに、 ときに凄みを感じるほど豊かに表現できる髙橋絵理さんに感嘆、でした。

この感動をのこしたまま、 今週末はまたニコ響で東響さん&ノットさんの演奏が観られます。 二週つづきで出掛ける事ができないので諦めた公演が、こちらも見られるのでほんとニコ響中継は嬉しいです。 今度はヴィオラの演奏が楽しみです。


楽曲の詳しい解説の載っている冊子 「Symphony」5月号はこちら
 https://tso.futureartist.net/Symphony2405pdf


4月末からのコンサート週間 体調くずさずにすべて楽しむことが出来ました。 よかった… 


これからの夏に向けても 毎日努力していきます。



美しいものに たくさん出会えるように。




それこそが生きるよろこび…