8月になりました。
感染者が爆発的に増加しつつある中、 オリンピックの競技会場の空間が非日常的なほとキラキラして見えます。 はじまるまでは、 秋以降の開催にしてくれたら心から楽しめたのに… と思ったけれど、 日本国内のコロナ対策の停滞ぶりをみると、 今でも秋でも状況は変わらなかったかも… という気がしてきた。。
徹底した検査とワクチンと予防策がなされれば 五輪だって、 帰省だって、 旅行だって出来るのだ。 すべての人に自粛を、 なんてもう無駄な事。。 この夏 会いたい人に会うためにワクチン接種を頑張った人たちにこの上どう耐えろと言うのだろう。。 どうしてもっと科学的、 合理的な対策ができないの?… 無能すぎます。。
愚痴はやめて、、 個々人が正しい情報に基づいて判断しましょう、 これからは。
***
この春 書けなかった読書記を。
少し前のニュースで、 日本の高齢者の約3割が親しい友人がいないと答えた、という調査結果がありました。 ちょうどその話題を眼にしたころ これらの本を読んでいて、 人生の晩年のあり方について考えていたのでした。
私見としては、 本人が納得できる生き方、 往き方さえ出来れば、 人との交流を求めるのも孤独を愛するのもどちらも良し。 親しい友人がいなければならない、とは思わない。
先の調査は4か国の結果が出ていて、 スウェーデンで親しい友人がいないと答えた高齢者はほぼ1割だけでした。(>>news.yahoo.co.jp)
そのスウェーデンのミステリ作品 ヘニング・マンケルさんのほうからいきましょうか。。
『苦悩する男』 ヘニング・マンケル著 柳沢由実子・訳 創元推理文庫 2020年
刑事ヴァランダーシリーズ 最後の作品。
スウェーデンの社会状況や世界のあり方に視点を置いた社会派ミステリのシリーズ であると共に、 クルト・ヴァランダーというひとりの男の人生を描いたシリーズでもありました。 刑事としてとても有能ではあるものの、 ひとりの男としてはかなりダメダメな部分の多いヴァランダー。 すぐ怒る、 すぐ気が変わる、 すぐ落ち込む、 超淋しがりやのくせに強がり、 ゆえに人に弱みを見せたり助けを求めることが出来ない、、
これまでの作品を読んだ時に (幸せになって欲しい…)と書いたように、 心の底からほんとうにヴァランダーの幸せな結末を願ってました。 だめだめなおっさんだけど 誰かを愛し愛されて、 幸せと感じる日々を見つけて欲しい。。 と、 思っていたけれど、、 この最後の作品は、、 シ ョックでした。。 そして、、 とてつもなく 寂しかった。。 かなしかった。。
クルト・ヴァランダー 59歳。。 親しい友人がいない、、 そのことを自分自身で感じて暮らしている、、 その淋しさ。。 仕事の仲間はいても友人とは呼べない。 そして心の中を打ち明け合った貴重な数少ない友人が、 ひとり またひとりと この世を去ってしまうつらさ…。。 自分はこれからどう生きたらいいのか、 どうなってしまうのか。。 自らの老後についてここまでヴァランダー自身が苦悩しているとは…。 ミステリ小説という《事件》の部分が(それはそれで読み応えのあるものだったのに) そっちのけになってしまうくらい、、。
決してクルト・ヴァランダー警部が特別な人とは思えない、、 日本の熟年サラリーマンが定年を迎えたら、 クルトと同じ悩みを持つ人はいっぱいいっぱいいるだろうと思う。。 でも、 よくシニアの地域デビューとか言うけれど、 老後の居場所はできても そこに親友をつくるのは難しい、、 幼馴染みとか同級生とか 50年来の友、 というような関係をつくるにはもう遅すぎる。。。
、、 ミステリの、 事件解決についての事はここでは書きません。 このシリーズ最終作は、 クルト・ヴァランダーという男の人生の最終作、、 そちらのほうが読者にはテーマだから。。
ただ ただ、、 ショックでした。。
でも、 ヘニング・マンケルさんがなぜそのような結末を書いたのか、 については理解できる気がしました。 『イタリアン・シューズ』という、 ミステリではない文芸作品をマンケルさんは書いていますが(読書記>>)、 調べたら 『イタリアン・シューズ』が2006年で、 この『苦悩する男』が2009年、、 『イタリアン・シューズ』で孤独な初老の男の生き方をあのように描いていた後だったから、 それとは異なる結末を描くしかなかったんだな、、と。
『イタリアン・シューズ』は もうひとつのクルト・ヴァランダーの老後なのだと、、 私はそう思って納得することにしています。。 お疲れ様でした、、 クルト・ヴァランダー警部。
***
『最後の注文』グレアム・スウィフト著 真野泰・訳 新潮クレストブックス 2005年
原題は 『LAST ORDERS』 意味は、、 飲食店などで閉店近くなったときに店主が言う言葉、、 ラストオーダーは? という言葉ですね。
舞台は英国ロンドン。 ロンドンといっても、 昔ながらの商店のある下町、 そこで夜な夜な一軒のパブに集う初老の男たちの話。 肉屋の主人とその息子、 八百屋の主人、 もと廃品回収業の家で育った、いまは会社員の男、 それから肉屋のむかいにある葬儀屋の主人、、 おなじ通りで商いをしてきたオヤジたちの物語。
ストーリーは、 ひとことで言ってしまえば 《亡くなった男の遺言で遺灰を海に撒きに行く話》 、、最初から最後まで、 そのたった1日の 車での道中の話。
英語で読める人なら、原語で読む方がよいのだろうと思います。 ロードムービーのように、 道中の男たちの会話と回想で成り立っていて、 その会話が終始 ロンドンの下町なまりで書かれているそうです。 でも、 この翻訳はすばらしいです。 商店主のおっちゃん達の会話がじつに生き生きとしていて、 登場人物のひとりがみんなから《レイちゃん》て呼ばれているのですが、 この原文がどのようなのか確かめてはいないけれど、 この「レイちゃん」 「なあ、レイちゃん」 という翻訳がじつに生きていて、 男たちの人となりが会話のなかから浮かび上がってくるのです。
、、 遺灰になってしまった友と、 呑み仲間の男たち。 道中が進むにつれて 彼らの関係や、 商売のこと、 家族のこと、 はるか半世紀も前の軍隊での出会い、 妻たちのこと、、 男たちの人生がだんだんと見えてくる。 何十年もそばで働き、 毎夜パブで顔を合わせ、 悩みを打ち明け、 さまざまなことを融通し合い、、 でも明かさなかった秘密も。。
彼らの関係が友情なのか、、 親友と呼んでよいのかどうか、、 よくわからない。 (え?) と首をひねりたくなる部分もある。 でも、 そういう部分も含めて 人間の関係の複雑さ、難しさをにじませるところがこの作品の深さなんだろうと思う。 ただの《いい話》じゃない。 それでもなお、 人生の終わりに願いを言い残せる相手がいて、 その願いを叶えようとする友がいて、 一緒に来てくれる仲間がいる、、 そのことの貴重さが物語を輝かせている。。 こんな人間関係は、 数年やそこらで築けるものではないよね、、 やっぱり幼馴染みとか、 同級生とか、 同じ地域で育った者とか、、 何十年もの時間があってのものなんだよね。。
そして そこに存在しているのが、 パブという独特の居場所。 イタリアならバールという場所。
今年の春、、 コロナの感染収束が見えないなかでこの物語を読みながら、 いまの日本でこの小説を映画にリメイクできるんじゃないかと想像していました。。 コロナの世の中になって、 葬送のかたちも大きく変わりました。 県を超えて友を見送ることもできない世の中になってしまいました。 もしそうしたお別れを余儀なくされたとして、、 そのあとで仲間が(ワクチン2回済ませた後でね) 遺灰や遺骨を迎えに行く、 そしてどこかに届けに行く、、 そんなロードムービー。。 できるかもしれない。
最初の話に戻って、、
高齢になってから親しい友が必要かそうでないかは人それぞれ。。 高齢になるということは、 確実に友を失っていくということでもある。 友が多ければ多いほど見送る悲しみもまた増える。 見送った後の淋しさにも耐えなければならない。
でも、、 いい年をしたおじさん(或はお爺ちゃん)同士が、 「なあ、レイちゃん」 て呼べる関係は やっぱりいいものだと思う。。
この 『最後の注文』は 英国で映画化されているのだそうです。 なんとなんと、 マイケル・ケインに ヘレン・ミレンが夫婦とな、、 予告編を見ると しっかりロンドン訛りで何を喋っているのかちっともわからないんですが(笑)、、 サー・マイケル・ケインが肉屋のおやじ、というのは ん~~ なんだかちょっと想像しづらい、、
Last Orders (2001)>>imdb.com
***
どんな人生であれ、 せいいっぱい生きた生涯の終わりは尊敬されてしかるべきものだと、 それは強く思います。 その終わりのときに会いたい人に会える、 触れ合える、 言葉を交わせる、、 その時間は守られなければならない。。
そんなときの自粛はあってはならないと思う。
いろいろ思うところもあって、 なかなか読書記が書けませんでした。。 それに、 この読書記を書いたあとで もし自分がワクチン接種の副反応かなにかで… なんてことになったらシャレになんないし… などと思って…
でも たくさん本は読んでいます。 体力つくりの毎日のトレーニングもしています。 体重もちゃんと増えました。
せいいっぱい 生きてます。
夏・・・
感染者が爆発的に増加しつつある中、 オリンピックの競技会場の空間が非日常的なほとキラキラして見えます。 はじまるまでは、 秋以降の開催にしてくれたら心から楽しめたのに… と思ったけれど、 日本国内のコロナ対策の停滞ぶりをみると、 今でも秋でも状況は変わらなかったかも… という気がしてきた。。
徹底した検査とワクチンと予防策がなされれば 五輪だって、 帰省だって、 旅行だって出来るのだ。 すべての人に自粛を、 なんてもう無駄な事。。 この夏 会いたい人に会うためにワクチン接種を頑張った人たちにこの上どう耐えろと言うのだろう。。 どうしてもっと科学的、 合理的な対策ができないの?… 無能すぎます。。
愚痴はやめて、、 個々人が正しい情報に基づいて判断しましょう、 これからは。
***
この春 書けなかった読書記を。
少し前のニュースで、 日本の高齢者の約3割が親しい友人がいないと答えた、という調査結果がありました。 ちょうどその話題を眼にしたころ これらの本を読んでいて、 人生の晩年のあり方について考えていたのでした。
私見としては、 本人が納得できる生き方、 往き方さえ出来れば、 人との交流を求めるのも孤独を愛するのもどちらも良し。 親しい友人がいなければならない、とは思わない。
先の調査は4か国の結果が出ていて、 スウェーデンで親しい友人がいないと答えた高齢者はほぼ1割だけでした。(>>news.yahoo.co.jp)
そのスウェーデンのミステリ作品 ヘニング・マンケルさんのほうからいきましょうか。。
『苦悩する男』 ヘニング・マンケル著 柳沢由実子・訳 創元推理文庫 2020年
刑事ヴァランダーシリーズ 最後の作品。
スウェーデンの社会状況や世界のあり方に視点を置いた社会派ミステリのシリーズ であると共に、 クルト・ヴァランダーというひとりの男の人生を描いたシリーズでもありました。 刑事としてとても有能ではあるものの、 ひとりの男としてはかなりダメダメな部分の多いヴァランダー。 すぐ怒る、 すぐ気が変わる、 すぐ落ち込む、 超淋しがりやのくせに強がり、 ゆえに人に弱みを見せたり助けを求めることが出来ない、、
これまでの作品を読んだ時に (幸せになって欲しい…)と書いたように、 心の底からほんとうにヴァランダーの幸せな結末を願ってました。 だめだめなおっさんだけど 誰かを愛し愛されて、 幸せと感じる日々を見つけて欲しい。。 と、 思っていたけれど、、 この最後の作品は、、 シ ョックでした。。 そして、、 とてつもなく 寂しかった。。 かなしかった。。
クルト・ヴァランダー 59歳。。 親しい友人がいない、、 そのことを自分自身で感じて暮らしている、、 その淋しさ。。 仕事の仲間はいても友人とは呼べない。 そして心の中を打ち明け合った貴重な数少ない友人が、 ひとり またひとりと この世を去ってしまうつらさ…。。 自分はこれからどう生きたらいいのか、 どうなってしまうのか。。 自らの老後についてここまでヴァランダー自身が苦悩しているとは…。 ミステリ小説という《事件》の部分が(それはそれで読み応えのあるものだったのに) そっちのけになってしまうくらい、、。
決してクルト・ヴァランダー警部が特別な人とは思えない、、 日本の熟年サラリーマンが定年を迎えたら、 クルトと同じ悩みを持つ人はいっぱいいっぱいいるだろうと思う。。 でも、 よくシニアの地域デビューとか言うけれど、 老後の居場所はできても そこに親友をつくるのは難しい、、 幼馴染みとか同級生とか 50年来の友、 というような関係をつくるにはもう遅すぎる。。。
、、 ミステリの、 事件解決についての事はここでは書きません。 このシリーズ最終作は、 クルト・ヴァランダーという男の人生の最終作、、 そちらのほうが読者にはテーマだから。。
ただ ただ、、 ショックでした。。
でも、 ヘニング・マンケルさんがなぜそのような結末を書いたのか、 については理解できる気がしました。 『イタリアン・シューズ』という、 ミステリではない文芸作品をマンケルさんは書いていますが(読書記>>)、 調べたら 『イタリアン・シューズ』が2006年で、 この『苦悩する男』が2009年、、 『イタリアン・シューズ』で孤独な初老の男の生き方をあのように描いていた後だったから、 それとは異なる結末を描くしかなかったんだな、、と。
『イタリアン・シューズ』は もうひとつのクルト・ヴァランダーの老後なのだと、、 私はそう思って納得することにしています。。 お疲れ様でした、、 クルト・ヴァランダー警部。
***
『最後の注文』グレアム・スウィフト著 真野泰・訳 新潮クレストブックス 2005年
原題は 『LAST ORDERS』 意味は、、 飲食店などで閉店近くなったときに店主が言う言葉、、 ラストオーダーは? という言葉ですね。
舞台は英国ロンドン。 ロンドンといっても、 昔ながらの商店のある下町、 そこで夜な夜な一軒のパブに集う初老の男たちの話。 肉屋の主人とその息子、 八百屋の主人、 もと廃品回収業の家で育った、いまは会社員の男、 それから肉屋のむかいにある葬儀屋の主人、、 おなじ通りで商いをしてきたオヤジたちの物語。
ストーリーは、 ひとことで言ってしまえば 《亡くなった男の遺言で遺灰を海に撒きに行く話》 、、最初から最後まで、 そのたった1日の 車での道中の話。
英語で読める人なら、原語で読む方がよいのだろうと思います。 ロードムービーのように、 道中の男たちの会話と回想で成り立っていて、 その会話が終始 ロンドンの下町なまりで書かれているそうです。 でも、 この翻訳はすばらしいです。 商店主のおっちゃん達の会話がじつに生き生きとしていて、 登場人物のひとりがみんなから《レイちゃん》て呼ばれているのですが、 この原文がどのようなのか確かめてはいないけれど、 この「レイちゃん」 「なあ、レイちゃん」 という翻訳がじつに生きていて、 男たちの人となりが会話のなかから浮かび上がってくるのです。
、、 遺灰になってしまった友と、 呑み仲間の男たち。 道中が進むにつれて 彼らの関係や、 商売のこと、 家族のこと、 はるか半世紀も前の軍隊での出会い、 妻たちのこと、、 男たちの人生がだんだんと見えてくる。 何十年もそばで働き、 毎夜パブで顔を合わせ、 悩みを打ち明け、 さまざまなことを融通し合い、、 でも明かさなかった秘密も。。
彼らの関係が友情なのか、、 親友と呼んでよいのかどうか、、 よくわからない。 (え?) と首をひねりたくなる部分もある。 でも、 そういう部分も含めて 人間の関係の複雑さ、難しさをにじませるところがこの作品の深さなんだろうと思う。 ただの《いい話》じゃない。 それでもなお、 人生の終わりに願いを言い残せる相手がいて、 その願いを叶えようとする友がいて、 一緒に来てくれる仲間がいる、、 そのことの貴重さが物語を輝かせている。。 こんな人間関係は、 数年やそこらで築けるものではないよね、、 やっぱり幼馴染みとか、 同級生とか、 同じ地域で育った者とか、、 何十年もの時間があってのものなんだよね。。
そして そこに存在しているのが、 パブという独特の居場所。 イタリアならバールという場所。
今年の春、、 コロナの感染収束が見えないなかでこの物語を読みながら、 いまの日本でこの小説を映画にリメイクできるんじゃないかと想像していました。。 コロナの世の中になって、 葬送のかたちも大きく変わりました。 県を超えて友を見送ることもできない世の中になってしまいました。 もしそうしたお別れを余儀なくされたとして、、 そのあとで仲間が(ワクチン2回済ませた後でね) 遺灰や遺骨を迎えに行く、 そしてどこかに届けに行く、、 そんなロードムービー。。 できるかもしれない。
最初の話に戻って、、
高齢になってから親しい友が必要かそうでないかは人それぞれ。。 高齢になるということは、 確実に友を失っていくということでもある。 友が多ければ多いほど見送る悲しみもまた増える。 見送った後の淋しさにも耐えなければならない。
でも、、 いい年をしたおじさん(或はお爺ちゃん)同士が、 「なあ、レイちゃん」 て呼べる関係は やっぱりいいものだと思う。。
この 『最後の注文』は 英国で映画化されているのだそうです。 なんとなんと、 マイケル・ケインに ヘレン・ミレンが夫婦とな、、 予告編を見ると しっかりロンドン訛りで何を喋っているのかちっともわからないんですが(笑)、、 サー・マイケル・ケインが肉屋のおやじ、というのは ん~~ なんだかちょっと想像しづらい、、
Last Orders (2001)>>imdb.com
***
どんな人生であれ、 せいいっぱい生きた生涯の終わりは尊敬されてしかるべきものだと、 それは強く思います。 その終わりのときに会いたい人に会える、 触れ合える、 言葉を交わせる、、 その時間は守られなければならない。。
そんなときの自粛はあってはならないと思う。
いろいろ思うところもあって、 なかなか読書記が書けませんでした。。 それに、 この読書記を書いたあとで もし自分がワクチン接種の副反応かなにかで… なんてことになったらシャレになんないし… などと思って…
でも たくさん本は読んでいます。 体力つくりの毎日のトレーニングもしています。 体重もちゃんと増えました。
せいいっぱい 生きてます。
夏・・・