カエデみたいな葉があったのでちと気になった。カエデのようなそうでないような。偶然そこに居た、というか必然的なんだけど、ヨメ兄に聞いたら「ザリコミだな」と一言。全く聞いたことのない初耳言葉だったので少なくとも3回は聞き直した。『樹に咲く花(離弁花2)』という図鑑には個体数は少ないとあった。カエデとは無縁なスグリの親戚だそうだ。
それにしてもヨメ兄は木や花の名を良く知っている。知るだけなら図鑑を見れば済むけど野山でそれを見て分かるってのが凄い。昔、視察という名目で野山を歩いたのも大きく役立ったのかも。ただ真面目に仕事だけしてたら仕事以外の事は何も残らなかったかも。ヨメ兄をディスってるようだけど、不要不急に見えたり無駄だと思うようなことが後々そうではなかったと分かる時が来るのだと思う。う~ん、どうも爺になると説教臭くなるなぁ。
1年前、キーウィ棚を増設したけど蔓はそこには絡まずただひたすら上に伸びた。その結果大半の実は高い場所。高い場所といったらヨメの仕事。
今年は豊作だ。心配した剪定失敗による不作とはならなかった。今までは低い場所に実がなるので地面に置いといた箱に放り込めば済んだ。ところが高い場所の実を取る時はそうもいかない。お腹の辺りに大きなポケットが欲しかった。
無駄な時間だなと思った事。1つ目は企業などが訴えられた時だ。マスコミはそこに取材に行く。ニュースを見ていると「訴状が届いていないのでコメントできない」というお決まりの文句が出てきてそのコーナーはおしまい。もう1つは交通事故。「警察は事故の原因を慎重に調べてます」でおしまい。慎重に調べるのは当たり前。事故を起こした人の名前なんてどうでもよい。それを気にするのはほんの数えるほどだ。それよりも肝心な事故の原因を知りたい。死や大怪我に至った原因を知りたい。今時だと気を失ってたら心筋梗塞の他にワクチンによる心筋炎なのかなんてのが頭に浮かぶ。
山梨日日新聞より
山岳遭難とロッククライミングなんて言葉があると谷川岳のような急峻な岸壁を登って落ちたような感じだ。そう感じた後はそんな所を登ってれば遭難するだろうと一方的にストーリーが組み立てられる。それも定型文みたいな。でも岩登りに関心の無い人にはロッククライミングという言葉の方が話が通じやすいかもしれない。だけど最近はフリークライミングとかボルダリングの映像が良く流れる。その言葉を使っても十分伝わるはずだ。それに知らない言葉が出てきたらスマホなどで調べれば済む。逆にそれを仕事や遊びにしてる人にとっては何書いてんだかとなる。
結び目が外れたという記述も気になる。岩を登っていてロープの結び目が外れるなんてのは映画のクリフハンガーの世界だ。だけど率としては結び方が中途半端な事の方がずっと多い。フリークライミングではルートを5~10本登る。そのたびにロープを結んだり解いたりを繰り返す。ロープを結んでるのを知らずにその人に話しかけることがある。声をかけられた人はそれをきっかけにロープを最後まで結ぶのを忘れちゃうことがある。またこのルートは絶対登るんだと気合が入っているとロープの事なんて忘れてしまうことがある。ただロープが外れただけでは教訓にも何もならない。ただ単に気をつけろな話で終わってしまう。
少なくとも子供の頃は新聞やテレビを正しいと思っていた。ところが社会人になってそれなりに自分の専門というのが出来てくるとそう思えなくなった。けっこう話を端折ったり嘘が書いてあったりするのを見かけるのだ。それと湾岸戦争の辺りから日本のマスコミの話ばかり聞いてんじゃダメだな、と。特に争い事だと双方の話を聞かないと分からないのは当たり前。
たまたま山梨日日新聞が手に入ったので内容を紹介することが出来たんだけどWEB上でこの記事は見つけることが出来なかった。
山岳遭難とロッククライミングなんて言葉があると谷川岳のような急峻な岸壁を登って落ちたような感じだ。そう感じた後はそんな所を登ってれば遭難するだろうと一方的にストーリーが組み立てられる。それも定型文みたいな。でも岩登りに関心の無い人にはロッククライミングという言葉の方が話が通じやすいかもしれない。だけど最近はフリークライミングとかボルダリングの映像が良く流れる。その言葉を使っても十分伝わるはずだ。それに知らない言葉が出てきたらスマホなどで調べれば済む。逆にそれを仕事や遊びにしてる人にとっては何書いてんだかとなる。
結び目が外れたという記述も気になる。岩を登っていてロープの結び目が外れるなんてのは映画のクリフハンガーの世界だ。だけど率としては結び方が中途半端な事の方がずっと多い。フリークライミングではルートを5~10本登る。そのたびにロープを結んだり解いたりを繰り返す。ロープを結んでるのを知らずにその人に話しかけることがある。声をかけられた人はそれをきっかけにロープを最後まで結ぶのを忘れちゃうことがある。またこのルートは絶対登るんだと気合が入っているとロープの事なんて忘れてしまうことがある。ただロープが外れただけでは教訓にも何もならない。ただ単に気をつけろな話で終わってしまう。
少なくとも子供の頃は新聞やテレビを正しいと思っていた。ところが社会人になってそれなりに自分の専門というのが出来てくるとそう思えなくなった。けっこう話を端折ったり嘘が書いてあったりするのを見かけるのだ。それと湾岸戦争の辺りから日本のマスコミの話ばかり聞いてんじゃダメだな、と。特に争い事だと双方の話を聞かないと分からないのは当たり前。
たまたま山梨日日新聞が手に入ったので内容を紹介することが出来たんだけどWEB上でこの記事は見つけることが出来なかった。