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神奈川県の西部にある「小さな町」で暮らす私.
日々の出来事、見たこと、感じたこと、思ったことを綴っていきます。

土肥実平の法要・・・・

2012-04-01 | 日記・エッセイ・コラム

神奈川県・湯河原町は、平安時代の末期、土肥次郎実平の荘園でした。Dsc04520

治承4年に「頼朝」が挙兵しましたが、その戦いの戦略を「北条氏」とともに指揮したのが「実平」だといわれています。 →「実平と妻」の像です。

現在の駅周辺が「土肥の館」跡であり、そこで作戦を練り軍備を整えて石橋山のDsc04509合戦にDsc04508向かったそうです。が、不幸にもこの源平第一戦に破れ、再び土肥に退去。

実平の勇気と知恵に助けられて匿われ、数日後隣町の真鶴から海上脱出。

わずか4ヵ月後、三万の大軍となり鎌倉入りして幕府樹立となったのです。

ですから、日本の歴史の中で、この土肥郷の10日間が「中世の武家政治発祥」の機縁になったといえるのだそうです~~!

その後の信長・秀吉・徳川へと続く歴史の流れを考えると、湯河原という地が不思議に重要に感じますね。

この「土肥実平」の子孫を迎えての「法要」は、毎年4月の第一日曜日に「墓所」のある駅裏手の「城願寺」で行われます。Dsc04515

法要を「主催する会」のメンバーである私も、ご案内を頂きますので毎年参列させていただいています(苦笑)。

昨日の嵐がうそのように治まった、晴れて気持ちのいい今日、「城願Photo寺」へ行ってきましたが、法要の前に、「観光イベント」として「頼朝挙兵の行列・武者パレード」が行われましたので、そちらもチラリと見てきました(笑)。

→温泉街をパレードする武者行列です。

駅前Dsc04526では「焼亡(じょうもう)の舞」=これは、平家と源氏の合戦の際、土肥の館が平家に火を放たれた様子を見て実平が舞を舞ったのですが、舞い終わると頼朝は「土肥の舞は今にはじめぬ事なれども、ただ今の舞は殊に目出たく面白し」と喜んだと言う記録があり,これを昭和42年に史実に忠実な舞として復活させたものでDsc04524す。

「武者の名乗り」「出陣の儀」も行われ、大勢の観光客が何重にも輪を作って見物していました!

でも始って後に到着したチビの私には、幟くらいしか見えない・・・・(泣)

まぁ・・・毎年、見ているからいいんですが~~~(苦笑)。Dsc04540 

実平の法要には、近隣の「曹洞宗のお寺のご住職さま」たちが、10名くらいお見えになっての読経ですから、迫力もすごい!

なんだか「歴史の中のヒトコマ」にタイムスリップした気になって過ごした時間でした~~♪

湯河原駅前の実平の像の「桜」も八分咲き~~♪

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詳しいイベントの様子は、こちらで、ど~~ぞ~~。♪http://www.yugawara.or.jp/saisin/musya.html