1993年に製作されていながら、ハイビジョンによる製作という特殊な事情から見る機会がほとんどなかった市川崑作品。
人物だけ色がついていて背景がモノクロになっていたり、といった処理は随所に見られるけれど、やたらと技術に溺れることのない、全体に見慣れた市川調のモダンな日本美。
それと聞いていなかったら、通常のフィルム上映とどこが違うのかほとんど意識もしないだろう。
浅野ゆう子扮する素性のわからない記憶もなくしている女・ふさ(海外の題名は〝Fusa〟)が、縁談中で微妙な時期にある中井貴一の家にふらっとやってきて、あれこれのいきさつの後、結婚して娘を産むが、また唯一の記憶の手がかりだった「木戸」を通ってどこかに行ってしまう、という話を十七年後のその娘の輿入れの日に中井が回想し、ふさらしき女をまた見つけても「ふさではない」となぜか認めない。
とにかくふさの素性が本当にわからないままなので、ちょっと当惑する。
わからないままで魅力があるというには、想像を刺激する余白の部分が演出にも演技にも不足している観。
フランキー堺や岸田今日子といった故人が「新作」に出てくるのが、異様な感じ。
(☆☆☆★)
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本ホームページ
その木戸を通って - goo 映画
人物だけ色がついていて背景がモノクロになっていたり、といった処理は随所に見られるけれど、やたらと技術に溺れることのない、全体に見慣れた市川調のモダンな日本美。
それと聞いていなかったら、通常のフィルム上映とどこが違うのかほとんど意識もしないだろう。
浅野ゆう子扮する素性のわからない記憶もなくしている女・ふさ(海外の題名は〝Fusa〟)が、縁談中で微妙な時期にある中井貴一の家にふらっとやってきて、あれこれのいきさつの後、結婚して娘を産むが、また唯一の記憶の手がかりだった「木戸」を通ってどこかに行ってしまう、という話を十七年後のその娘の輿入れの日に中井が回想し、ふさらしき女をまた見つけても「ふさではない」となぜか認めない。
とにかくふさの素性が本当にわからないままなので、ちょっと当惑する。
わからないままで魅力があるというには、想像を刺激する余白の部分が演出にも演技にも不足している観。
フランキー堺や岸田今日子といった故人が「新作」に出てくるのが、異様な感じ。
(☆☆☆★)
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