マイケル・ムーアはスナイパーなどこそこそ姿を隠して遠くから人を狙う卑怯者だといった発言をしているが、姿を消すというのは戦場だけでなく、祖国に戻っても英雄扱いされ目立つのをむしろ避けようとしている、戦う一方で消え入りそうないたたまれなさと後ろめたさをブラッドリー・クーパーがマッチョから増量した全身から発散している。
祖国にいても落ち着かない、居場所がないといった感じ。
元シリアのオリンピックメダリストだというスナイパーとの対決が、互いにすごい距離を置きながら執拗につけ狙うあたりに「敵」を想定して倒さないではいられないという何か病的な執着が垣間見える。それはアメリカに顕著ではあるだろうが、おそらくアメリカだけではないだろう。
クライマックスの砦の攻防と脱出も西部劇のパターンだが、すごい砂嵐で脱出の刹那がよく見えず、カタルシスを拒否しているあたりもどこかねじれている。他民族を武力で蹴散らして国を作った西部劇のレジェンドはアメリカの原イメージなのだが、イーストウッドが加わると自然とその崩壊が目に見えてくる。
いわゆる全体としての音楽担当のクレジットがない。イーストウッド作曲による毎度おなじみピアノソロによる「タヤのテーマ」とか、モリコーネによるFuneralといった既成曲のクレジットにとどまっている。
代わりに銃声をはじめとする音響全般がすさまじく、アカデミー賞では音響編集賞ひとつだけにとどまっているが、効果音の中に器楽も使っている気がするが、いわゆる音響効果を超えて一個の世界感を出した傑作。
どうやって音を作ったのか、DVDにメイキングでもついていてくれたらありがたい。
いくらなんでもあんな長距離狙撃が、しかも陽炎超しにできるものか、とは思った。
(☆☆☆★★★)
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アメリカン・スナイパー@ぴあ映画生活
映画『アメリカン・スナイパー』 - シネマトゥデイ