prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
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「グッバイ・ゴダール!」

2018年08月11日 | 映画
アンヌ・ビアゼムスキー役のステイシー・マーティンがまあ可愛らしく脚が長くて目が離せない。

ミシェル・アザナビシウス監督は「アーティスト」でサイレント映画を模倣するという試みをしていたわけだが、ここでもゴダール風の原色の使い方、タイトルの出し方などを模倣してみせる。もっとも異化効果的な演出や音の使い方までは真似していないし(というか、模倣は不可能)、「アーティスト」でも実は完全なサイレント映画の文体を再生してはいない。
それ風ではあっても、今の観客にとって見やすい範囲にとどめているということだろう。

この映画で扱っているゴダールの政治の季節というのは、革命の映画から映画の革命へと先鋭化してあらゆる映画製作のプロセスをブルジョア的として排するようになった、かなりのゴダールファンでも少なくとも当時はついていけなくなっていた時期で、「東風」のスタッフたちが全員が創作に参加しなくてはいけないと何かしらの意見を出すことを要求されてうんざりしているあたり、まあそうなるだろうなと思わせる。
いいから早く撮ろうぜ、監督のあんたが指示してくれよとみんな顔に書いている感じ。

67年の「中国女」から72年の「万事快調」に至る五年間、五月革命から50年という節目の製作になったとのこと、革命が現実に手が届きそうになっていた時期を再現するのは、それが夢物語か冷笑の対象になっている現在の空気を対象化する機能はあるだろう。

妻のアンヌにマルコ・フェレーリから「人間の種」の出演依頼がきてヌードシーンがあるものだからゴダールが断らせようとする駆け引きのシーンが夫婦ともにすっぽんぽんの丸裸で演じられる、というあたりのなんともいえない笑いのセンス。ゴダールを揶揄しているのと再生にあたって敬意を払うのとが混ざっている感。

ゴダールのファンにとってはゴダールが本気でやっていた革命を革命ごっこにしているみたいなもので、かなり反発が出ているみたい。

ゴダールに関してはおよそ付いて行きずらいところと、光・音・色・画面の連鎖に見せる有無をいわさない天才ぶりとの両方とを呑み込まざるをえないような状態なのだが、その前者を手の届く範囲で描いて満足している感。

「グッバイ・ゴダール!」 公式ホームページ

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8月10日(金)のつぶやき

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