prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「魂のゆくえ」

2020年01月13日 | 映画
世界の破滅といった直接個人がどうこうできそうにないことを本気で恐れなんとかしようとジタバタし、結果かえってカタストロフをもたらしてしまう、といった人物は黒澤明の「生きものの記録」の中島老人、「冬の光」の漁師、「サクリファイス」のアレクサンデル、おそらくその親戚に「タクシードライバー」のトラヴィスもいる。


かつては破滅をもたらすのが核兵器だったのだが、最近だと環境破壊に移ってきていて、その分身近で、恐怖にとりつかれたキャラクターも前ほどエキセントリックには見えなくなってきた感はある。
セカイ系とも近いところがあるかもしれない。

ポール・シュレイダーはキリスト教でも最も厳格で禁欲的なカルヴァン派の家庭に育ち、17歳まで映画を見たことがなかったというが、今日での先行する映画群への自分の世界への編み込みようを見ていると、信仰の対象が映画に振れ、その新しい信仰がまた本来持っている原罪感へと投げ返している感がある。

タルコフスキー「サクリファイス」の空中浮遊、ブレッソン「田舎司祭の日記」の日記による語り(「タクシードライバー」の日記にも通じるだろう)、ドライヤーの「裁かるるジャンヌ」「奇跡」の白のイメージの舞台になる教会の内装外装への投影、「冬の光」の信仰を持てず好きでもない女に好意を寄せられ迷惑がる聖職者、などなど。

ただ、それらを編み上げるにあたって独自のスタイルをまだ作り出してない印象は拭えない。かつて宗教や文化の違いを超えて映画的スタイルの追求が超越者への接近をもたらす大学の修士論文「聖なる映画」(「映画における超越的スタイル」 Transcendental  Style of The Films)で論じたわけだが、スタイル意識はあっても実践は未だしというところ。





1月12日のつぶやき

2020年01月13日 | Weblog