肝腎の、というべきテッド・バンディの残虐な犯行そのものについてはほとんど描写として表に出していない。
だからあくまでしれっとして俺は無実だといい続けるのバンディに同調してしまう二人の女の視点に接近して見ることになる。
正確な意味なのかどうかわからないが、物証を並べられても平然として同じウソを繰り返せるサイコパスぶりを見ていて、こういう人間(特に政治家)、こういうのに騙される人間いるぞと思う。
バンディの暴力の対象になった女性たちとそうならなかった女性との間にどんな違いがあったのだろうかというと、事実上ただの気まぐれ以上のものはなかっただろう。
本質的に相手に共感することがなく、暴力か甘い言葉かの違いはあっても女を支配すること自体が本質的な体質になっている男の空虚さをザック・エフロンが自分の好感度を逆手にとってよく出した。
どうやってバンディの支配から逃れるかのドラマをリリー・コリンズが、逃れないかのドラマをカヤ・スコデラーリオ(このいかにも70年代風の扮装)を分担している構造。
人間のおぞましさが後退している感もあるし、逆なセンセーショナルな作りを避けたくてこうしたのかもしれない。
だからあくまでしれっとして俺は無実だといい続けるのバンディに同調してしまう二人の女の視点に接近して見ることになる。
正確な意味なのかどうかわからないが、物証を並べられても平然として同じウソを繰り返せるサイコパスぶりを見ていて、こういう人間(特に政治家)、こういうのに騙される人間いるぞと思う。
バンディの暴力の対象になった女性たちとそうならなかった女性との間にどんな違いがあったのだろうかというと、事実上ただの気まぐれ以上のものはなかっただろう。
本質的に相手に共感することがなく、暴力か甘い言葉かの違いはあっても女を支配すること自体が本質的な体質になっている男の空虚さをザック・エフロンが自分の好感度を逆手にとってよく出した。
どうやってバンディの支配から逃れるかのドラマをリリー・コリンズが、逃れないかのドラマをカヤ・スコデラーリオ(このいかにも70年代風の扮装)を分担している構造。
人間のおぞましさが後退している感もあるし、逆なセンセーショナルな作りを避けたくてこうしたのかもしれない。