下北沢はこのところ一年以上行っていないので、どの程度変わったのかよくわからないが、よく知ってるような場所(聖地?)はあまり出てこなかった。スズナリくらいか。もともと詳しくはない。それでも駅の構造そのものがまる変わったのには当惑した。下北沢で見ればよかったのだが、結局新宿で見た。
ここでは本を読むのであって、スマホをいじるのではないのね。
電話をかけるところはあったが、それは必要があってかけるので、なんとなくスマホをいじっているというのではない。
古着屋や古本屋などレトロっぽい店が多い下北沢の街にふさわしい感じ。
若い男女が夜一緒にいて何事もないというのが結構当たり前に見える。
草食化とかいうのではなく、つかず離れずの、はっきりした上下関係や家族でもない人間関係の手四つの探りあいみたいな力加減に対する嗅覚が秀逸。
空気を読むというのとも違う、もっと本音を出している。
日本では西洋の近代劇で軸になる葛藤、対立といったものから本能的とまではいかなくても習慣的に遠ざかるらしい。
劇中で撮影されたことになっている映画でカットされた幻の出演場面、というのはこの映画そのものには存在しているという、ちょっと自己言及的な構造。
映画監督というのはああいう見ようによっては理不尽な文句言われたりするものかな。
成田凌が朝ドラに出ている知名度のある芸能人というのが「おちょやん」が終わった今一番効く楽屋落ち。