割と唐突に場面が千葉の福田村から東京になって、インテリっぽい男が震災にあう。村で地震にあうわけではないのは意外だったし、その後明らかに流言飛語を広めているのは官憲=亀戸警察の者だというセリフが出てきて、これが亀戸事件であることがわかる。
社会主義者が官憲に虐殺された事件だが福田村の出来事ではない。まとまりを犠牲にしてでも入れたかったのね。
このあたりは推測だけれど荒井晴彦っぽい。
多数派が作る空気、同調圧力が問題のような描き方をしているが、それ以外に官憲による情報操作があったことがはっきりとではないが示されている。
また、旅の商人たちは水平社宣言を読むところからして部落出身者で、天皇陛下万歳を福田村の村人が唱えるところで永山瑛太がむっとしたような顔で黙り込んでしまうのは天皇を頂点とした「日本人」のヒラエルキーからあらかじめ閉め出されている存在だからだろう。
商人たちが本当に「日本人」であるかどうかを証明する、要するに「お上」にお伺いを立てている間にいったん場を外した間に惨劇が起きるわけで、しかも取り返しがつかない事態になってもなお大正天皇崩御で恩赦という形に持ち込んで誰も責任をとらない。
田中麗奈の朝鮮帰りの夫婦や、東出昌大の船頭など多少ともはぐれ者がかったキャラクターがやや引いた視点と立場に来て、対照的に在郷軍人会のメンバーなど軍服を着ていることもあって完全に単一化統制下されている。いわゆるムラ社会って奴ね。ここで生きていかなくてはいけないんだ、というセリフが痛い。
このあたりの体質は今でも統一協会問題や福島原発やジャニーズなどに連綿として続いているのは言うまでもない。