prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「関ヶ原」

2017年09月09日 | 映画
始まってすぐ司馬遼太郎の原作の引用をナレーションにして、石田三成が木下藤吉郎に茶を出したエピソードの舞台になった寺が出てきて、この背景にずらりと並んだ仏像という図は溝口健二の「西鶴一代女」かと思ったが、実際のところその後溝口作品が投影されるようなところはあまり見当たらなかった。

代わりに時代劇としてはかなり異例の早いカッティングとスピードアップされたセリフで場面を運んでいくのだが、困ったことにピアノの演奏でいう「指が転がっている」感じでシーンの内容の伝達の方が追いついていっていない。

母衣武者の登場を揶揄してネット炎上した批評家がいたけれど、その母衣の意味を家康が説明したり、旗印を石成自ら書きながら意味を説明するシーンでもあまりにはやばやと通り過ぎるものでどういう意味なのかはっきり頭に残らない。

スタッフワークは優秀で合戦シーンのスケールなど見ごたえあるからそれほど不満足ではないけれど、全体としての人物相関図や歴史観といった見取り図が見えない困った結果になった。作っている側は当然それなりに作っていたはずだけれど、伝えるにあたって急ぎ足過ぎた感。

直木賞受賞作「梟の城」はじめ「忍び」を時代小説に持ち込んだのは司馬遼太郎の発明、と誰か書いていたが、客観的に武将たちの争いを観察する立場の忍び役の有村架純も全体像がもともと見えないものだからなんだか居心地悪そう。

音楽がブルガリアン・ヴォイス風だったりエンドタイトルを見るとディーリアスの曲が使われていたりするのが割と新鮮。

家康役の役所広司のお腹がぽこっと出ているのは、特殊メイクなのかな、やはり。
(☆☆☆)

関ヶ原 公式ホームページ

映画『関ヶ原』 - シネマトゥデイ

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9月8日(金)のつぶやき その1

2017年09月09日 | Weblog

「GAMA 月桃の花」

2017年09月08日 | 映画
沖縄の地上戦で一般人がガマ=洞窟に籠もって日本軍に自決を強制されたのを描いた映画。

川平慈英扮するアメリカ人の父と日本人のハーフが母親の出身地である沖縄を訪れて現地のお婆から戦時中の話を聞いていくという構成だけれど、正直初めのうちは画も演技も生硬く、沖縄人がアメリカを恨んでいるかどうか、正義の戦争はあるかといった問答もどうも公式的なものに思えて鼻白んで見ていたが、回想に入り地上戦の描写になると岡崎宏三の16ミリフィルムによる撮影がざらっとしたリアリティを出し、豪雨の中ではレンズにじかに水が流れるといった大胆な処理をしたりしてだんだん調子が上がってくる。

何より実写で遺体の腹からどろっとはらわたが流れ出てくるカットなど衝撃的。

クライマックスの洞窟に逃げ込んだ一般人たちを日本軍が閉じ込めて監視している(守っているのではもちろんなく、むしろスパイではないかと疑っている)あたり、沖縄語で食ってかかるお婆のセリフが沖縄語であること自体が大いに力を発揮する。

赤ん坊が泣くので日本軍が黙らせるよう強制したので死んでしまう、といった今ならネトウヨが騒ぐような描写が子供を死なすことを描くこと自体に腰が引けたみたいにアクセントが今一つ効かないのはどんなものか。

朝鮮人も同じように洞窟に立てこもっていたことも描かれる(エンドロールに朝鮮、大韓航空、台湾の死者の名前が追悼碑にそれぞれ刻まれているのを見せる)。

日本軍の差別意識や視野狭窄ぶり、生き残るのを恥とし、やたらと美しく死にたがる病弊は何度も描かれた通りでまたかとも思うが、今手も全然治っていないのも確か。

型通り、という印象は免れないものの、その型も何も全然わかっていない、わかろうともしない昨今のさばっているにの対してはどんな映画を作ればいいのかとも思わざるを得なかった。1996年作。

GAMA 月下の花

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9月7日(木)のつぶやき

2017年09月08日 | Weblog

「ヴェルサイユの宮廷庭師」

2017年09月07日 | 映画
ヴェルサイユの話を英語でやられると相当違和感ありますね。

原題はThe little Chaos=小さなカオス。何度か作中で秩序を尊重せよ、といった対話がなされるけれど、王宮側=秩序で対する女性庭師が混沌を持ちこむという図式なのかというとそうでもない。

すでに庭師としての地位を持っているは一方で女性を足掛かりにして地位を手にしたことにコンプレックスを持ち、その分ヒロインに当たるかと思うと引き立てたりもする。ルイ14世(監督を兼ねたアラン・リックマン)はヒロインと初めて会う時は王としての顔を隠してただの花を育てる係のような顔をする。
それぞれの人物が矛盾した面を孕んでいる描き方は当然とはいえきちんとしている。

実話ネタなのかと思ったらまったくのフィクションというのはちょっと調子が狂うが、もっともらしい調子でフェミニズム映画として宮廷ものを切り取っている。宮廷に女性はつきものだけれど、指導的な立場で働くとなると珍しい。
(☆☆☆)

ヴェルサイユの宮廷庭師 公式ホームページ

映画『ヴェルサイユの宮廷庭師』 - シネマトゥデイ

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9月6日(水)のつぶやき

2017年09月07日 | Weblog

「HiGH&LOW THE MOVIE 2 / END OF SKY」

2017年09月06日 | 映画
なんだかストーリーがよくわからんのは一作目とばしていきなり二作目を見たからとばかりはいえないのだろうと思う。

正直、基本的にヤンキーたちが五組に分かれてケンカしている以上のことはなくて、彼らの縄張りに本物のヤクザと権力とがカジノ利権を求めて進出としようとするのと衝突するという話は、別に悪口ではなくマンガくらいのリアリティで済ませている。
ケンカの原因というのが本質的な差異や対立にあるわけではなく、それ自体祭りのにぎやかしに近い。

で、何が目当てで見に行ったのかというとそれはもうアクションシーンで、これに関しては冒頭のパルクールから大勢が入り乱れる肉弾戦からカーチェイスから盛りだくさんでそれぞれ技も撮影もしっかりしていて大いに満足した。

あと荒涼とした元シャッター通りみたいな風景のロケが秀逸で、どこで撮ったのか、文字が日本語というだけでなく雰囲気から国内ではないかと思うが(エンドタイトルで確認しようと思ったが、字が小さすぎるのと早いのとでよくわからなかった)だとしたら、期せずして印象として日本映画離れしているにも関わらず今の日本の衰退を社会派的な視点とは別の角度から記録していることになる。

誰もスマホも、というかガラケーすら持っていなくて直接顔を合わせて言い争う、拳で語り合うというのに徹しているのが、ここでの男たちの美学ということになるのだろう。
誰も銃は使わない(三作目の予告編がラストで流れて、権力側は使うみたい)のも同じこだわりからだろう。
(☆☆☆)

「HiGH&LOW THE MOVIE 2 / END OF SKY」 公式ホームページ

映画『HiGH&LOW THE MOVIE 2 / END OF SKY』 - シネマトゥデイ

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9月5日(火)のつぶやき

2017年09月06日 | Weblog

「怪盗グルーのミニオン大脱走」

2017年09月05日 | 映画
吹き替え版で見たのだけれど、冒頭のタイトルでTSURUBE SHOFUKUTEIと出たのに一瞬アレと思う。鶴瓶がやっているのだから当然だけれど、タイトルまで変えているとは思わなかった。

キモ可愛いミニオンの出番が脇に行ってしまった印象で、かなり悪質なイタズラ坊主売りの子役が成長してそのままひねくれた悪人になってしまったバルタザールのキャラクターと吐き捨てたガムがものすごく膨張する視覚効果がおもしろいけれど、双子の弟が絡むもう一つのストーリーと必ずしもうまく噛み合ってないのは残念。

80年代がすでにレトロネタになっているのだなと思わせるが、考えてみると日本だとバブルの時期だものね。大昔の感じになるわけだ。
(☆☆☆★)

怪盗グルーのミニオン大脱走 公式ホームページ

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9月4日(月)のつぶやき

2017年09月05日 | Weblog

「女と男のいる舗道」

2017年09月04日 | 映画
全部で12章に分かれている(原題は「自分の人生を生きる、12のタブローに描かれた映画」の意)、その第一章で出てくるアンナ・カリーナのヒロインとその別れた夫アンドレ・S・ラバルトの会話がほとんど全部背後から撮られていて顔がほとんど見えない、という大胆な撮り方からもうゴダール節。

それを言い出したら、ヒロインのアップにミシェル・ルグランの音楽が流れたと思ったらぷつっと断ち切られる音の処理もゴダール。

気まぐれに始まったかと思うと投げ出すような、筋道立てたはっきりした目的や意思ではなくその時々浮かび上がってきた言葉が引用され、断ち切られる。
一瞬一瞬のはかなさがそのままピンでとめられて永遠につながる、前衛と古典が同居したゴダール以外の何物でもないスタイルは、結局誰も真似できていない。

当時(1962年)ゴダール夫人だったカリーナに惚れ込んで撮っているのだろうと想像する一方で、なんだか小学生男子が好きな女の子に意地悪しているみたいな気もした。

カリーナがタバコを当時としてもずいぶんぷかぷか喫う。踊る姿がかわいい。というか一挙手一投足をフィルムに刻んでおきたくて撮ってる感じ。



9月3日(日)のつぶやき

2017年09月04日 | Weblog

「ソーセージ・パーティー」

2017年09月03日 | 映画
ずいぶんあからさまだなあ、と思ってみていた。
ソーセージが男のキャラ、中に割れ目が入ったパンが女のキャラというあたりのロコツさもそうだし、スーパーの食品が買われると外=天国に行けると信じているという宗教的な寓意もそう。

ベーグルのキャラがユダヤ人のことだと思っていたのだけれど(ベーグル自体、ユダヤ人の食べ物だから)、ラスト近くで主役のソーセージがユダヤ人のこと、と解説される。ソーセージといったら豚肉で作っているはずなのだから、ずいぶん人を食っているし、白人もユダヤ人も一緒ということなのだろうか、今一つ寓意がつかみきれない。

ユダヤ人とキリスト教徒となると、あと当然イスラムということになるので、ブリトーのキャラクターが明らかにそういう造形だけれど(舌を鳴らす独特の発生=ザガルッター、日本式発音だとザガルートをしたりする)、ブリトー自体はメキシコの食べ物のはずなのがよくわからない。

思ったほどお下劣ギャグが多いわけでなく、人間が神になぞらえられている世界で、その偽物であるゆえん(ただ食うだけで救うわけてはない)が暴かれる一方が、人間同士の宗派の違いによる争いをカリカチュアライズして描いている。

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9月2日(土)のつぶやき

2017年09月03日 | Weblog