prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ウインド・リバー」

2018年08月15日 | 映画
アメリカ先住民の居留地というのは車で通ってもすぐわかるくらいあからさまに荒れ果てているというが、白い雪に覆われた荒涼としたワイオミングの曠野の風景がなんとも凄まじい。

作物などできるわけもない、辛うじて羊の放牧をしているらしいが、猛獣が荒らしに来るのをいちいち追い払わなければならない。生計を立てる術などないも同然で、麻薬に溺れる若者だらけになるのも当然と思わせる惨状に先住民たちを押し込んで滅びるのを待っているかのようだ。
(現にラテンアメリカでは滅んでいった先住民など枚挙にいとまがないのは本多勝一「マゼランが来た」に詳しい)

猛獣を仕留める白人のハンターを主人公にしたのは、興行的理由はもちろんだが、もはやドラマを進行させるだけのエネルギーは先住民には残っていないかのよう。

法的な権限は何もないまま単身やってきたFBIの女性捜査官に協力する、その普通の人間には見えない荒野に残された動物としての人間の痕跡を発見していくハンターとしての目が捜査の進行に生きていくのがおもしろい
クライマックスの犯人の扱いも法の使徒ではないからゆえの凄絶さになる。

ただ、大詰めの犯行の謎解きを誰のかわからない回想を唐突に入れた画解きしたのはいきなり調子が変わりすぎて違和感が強い。

「ウインド・リバー」 公式ホームページ

「ウインド・リバー」 - 映画.com

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8月14日(火)のつぶやき その2

2018年08月15日 | Weblog

8月14日(火)のつぶやき その1

2018年08月15日 | Weblog

「聖杯たちの騎士」

2018年08月14日 | 映画
「ツリー・オブ・ライフ」の後「トゥ・ザ・ワンダー」「ボヤージュ・オブ・タイム」と来たテレンス・マリック監督の一作なのだが、途中入れ替わっても見分けがつかないのではないかと思える。

それがスタイルには違いないか知らないが、広角レンズの手持ちの逆光映像をずうっと見せられるというのもいい加減しんどい。

20年の沈黙前の「バッドランズ」「天国の日々」での映像美はもっと足が地に着いた感じだったのだが。

ウディ・アレンが安いギャラで豪華キャストを集められるように豪華キャストを集めているわけだが、こうなるとアートという名の元にギャラを抑えるビジネスモデルという感じがしてくる。

聖杯たちの騎士 公式ホームページ

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8月13日(月)のつぶやき その2

2018年08月14日 | Weblog

8月13日(月)のつぶやき その1

2018年08月14日 | Weblog

「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」

2018年08月13日 | 映画
実話ネタとはいえ男の方が強いのを証明するために女と直接対決する、というのは、プロレスで男女混淆で戦うのに近い見せ物性がもろに先行した発想。

戦うヒロインにとってはマジメだが、油断なのか余程ナメきっていたのか、直接対決などしないで口先でバカにしていた方が「安全」だったわけだが、それではショーにはならないということだろう。
とにかく話題になって商売になればいいというアメリカ的な発想がもろに透けて見える。

一方で戦って勝つだけでなくギャラにおいても並ばないといけないというのもアメリカ的。

ヒロインが同性愛的傾向があるのに自分で気づいていくのがサブプロットで、一見していかにも標準的ハンサムの夫が意外なくらい理解を見せていくのが実話ではどうなのかは知らないが気持ちいい。

「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」 公式ホームページ

「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」 - 映画.com

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8月12日(日)のつぶやき その2

2018年08月13日 | Weblog

8月12日(日)のつぶやき その1

2018年08月13日 | Weblog

「恐怖」

2018年08月12日 | 映画
主演、スーザン・ストラスバーグ。
アクターズ・スタジオの創立者のリー・ストラスバーグの娘として初めから注目されてデビューし、二十歳の時にはすでに「女優志願」ではヘンリー・フォンダ、クリストファー・プラマーといった一流どころと共演して、将来の大女優と目されたがおかしな男(クリストファー・ジョーンズ)と結婚したり女たらし(リチャード・バートン)に騙されたり、子供が障碍者なので作品を選ばずに出演せざるをえなかったりで一流にはなりきれなかった人。

ずいぶん小柄で、冒頭から車椅子に乗って登場、運転手にお姫さま抱っこみたいな感じで抱きかかえられて運ばれる。肉体的にも弱い感じの上に目が大きく不安げなのがスリラー向けということだろう。
育ちの良さを感じさせるのも役に一捻りして生かされている。クリストファー・リーも同様。

ダグラス・スローカム(インディ・ジョーンズ・シリーズ1~3の撮影監督)の撮影が素晴らしい。後年は広大なロケーションの名手の印象が強くなるが、ここでの緊密な白黒室内撮影も見事。

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8月11日(土)のつぶやき その2

2018年08月12日 | Weblog

8月11日(土)のつぶやき その1

2018年08月12日 | Weblog

「グッバイ・ゴダール!」

2018年08月11日 | 映画
アンヌ・ビアゼムスキー役のステイシー・マーティンがまあ可愛らしく脚が長くて目が離せない。

ミシェル・アザナビシウス監督は「アーティスト」でサイレント映画を模倣するという試みをしていたわけだが、ここでもゴダール風の原色の使い方、タイトルの出し方などを模倣してみせる。もっとも異化効果的な演出や音の使い方までは真似していないし(というか、模倣は不可能)、「アーティスト」でも実は完全なサイレント映画の文体を再生してはいない。
それ風ではあっても、今の観客にとって見やすい範囲にとどめているということだろう。

この映画で扱っているゴダールの政治の季節というのは、革命の映画から映画の革命へと先鋭化してあらゆる映画製作のプロセスをブルジョア的として排するようになった、かなりのゴダールファンでも少なくとも当時はついていけなくなっていた時期で、「東風」のスタッフたちが全員が創作に参加しなくてはいけないと何かしらの意見を出すことを要求されてうんざりしているあたり、まあそうなるだろうなと思わせる。
いいから早く撮ろうぜ、監督のあんたが指示してくれよとみんな顔に書いている感じ。

67年の「中国女」から72年の「万事快調」に至る五年間、五月革命から50年という節目の製作になったとのこと、革命が現実に手が届きそうになっていた時期を再現するのは、それが夢物語か冷笑の対象になっている現在の空気を対象化する機能はあるだろう。

妻のアンヌにマルコ・フェレーリから「人間の種」の出演依頼がきてヌードシーンがあるものだからゴダールが断らせようとする駆け引きのシーンが夫婦ともにすっぽんぽんの丸裸で演じられる、というあたりのなんともいえない笑いのセンス。ゴダールを揶揄しているのと再生にあたって敬意を払うのとが混ざっている感。

ゴダールのファンにとってはゴダールが本気でやっていた革命を革命ごっこにしているみたいなもので、かなり反発が出ているみたい。

ゴダールに関してはおよそ付いて行きずらいところと、光・音・色・画面の連鎖に見せる有無をいわさない天才ぶりとの両方とを呑み込まざるをえないような状態なのだが、その前者を手の届く範囲で描いて満足している感。

「グッバイ・ゴダール!」 公式ホームページ

「グッバイ・ゴダール!」 - 映画.com

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8月10日(金)のつぶやき

2018年08月11日 | Weblog