prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ハウス・ジャック・ビルト」

2019年07月17日 | 映画
連続殺人鬼を扱いながら一種の芸術家論になっていて、それが洒落や冗談でもないというのがラース・フォン・トリアーらしい常人ならざる感覚、というか、芸術家というのは常人ではないのだ、といった開き直りというか自己演出の上に監督としての存在理由を持している感。

ただ、いかになんでも大仰すぎはしないかとは思う。

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7月16日のつぶやき

2019年07月17日 | Weblog





「いちごの唄」

2019年07月16日 | 映画
公開時期に合わせてか、七夕をモチーフにしているのですね。地方から東京に出てきている中学の同級生同士が一年に一度、七夕の日に会うというもの。
しかし、連絡先を交換するのは今どきワンタッチでできることだし、交換しないというならその理由なり不自然さなりをきちんと描き込んでおかないと釈然としない。

彼女が同棲?しているらしい男に殴りかかるエピソードはそれ自体上っ調子だし、後始末ができていない。まるまるカットしてよかったのではないか。

石橋静河はあまりしゃべらず古館伊知郎の息子の古館佑太郎のおしゃべりを受ける芝居を続けて山場でわっと長台詞をこなす計算が立っているが、芝居全体とするとどうもバランスが良くない。

クライマックスの趣向は先読みできるし、それ自体が悪いわけではないがタイミングがもう一つなのと、その後が長々としてなかなか終わらないのは余韻を損ねた。

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7月15日のつぶやき

2019年07月16日 | Weblog

「女高生 夏開く唇」

2019年07月15日 | 映画
1980年製作のにっかつロマンポルノ(この頃の社名は日活ではなくにっかつ)。
国立映画アーカイブでの「逝ける映画人を偲んで2017-2018」にて、撮影の米田実氏が対象。
劇場公開時は成人指定だった旨断り書きが掲示され、女性用の席も用意された。ただし実際には女性客は特にこだわりなく好きな席に着いていた。

出だしのしっとりした山寺の映像が秀逸。
信州と東京を行き来する設定で、風景のナメから人物のアップに寄ることで両者の違いをはっきり出した。

コンビニはおろか電子レンジも普及していない。原宿では竹の子族が踊っている。ビールといえば瓶。といった具合に今と風俗が今とはおよそ違うところが面白い。
都電周辺の風景はあまり変わっていない。

太田あや子のデビュー作。三角関係になっていた東京に出ている三崎奈美の姉を追って東京に出てきて、最終的に清算するまで。どろどろしそうな設定をあっけらかんと描いているのがこの時代の新しさだったのだろう。

「女高生 夏開く唇」 - 映画.com

「ハッピー・デス・デイ」

2019年07月14日 | 映画
ある一日がエンドレスに繰り返されるという某コメディ映画と同じ設定だなあと思っていたら、ラストで堂々とそのタイトルが出てきた。

ホラーとコメディは紙一重とも表裏一体とも言えるが、ホラーっぽいおどろおどろしさは薄く、ほとんどコメディ。これで怖いところが本当に凄みが出るともっと良かった。

同じ一日の繰り返しだから、クライマックスがこれまた何度も繰り返されてそれぞれ工夫はしていてもなかなかぴしっと決まらない印象もある。

エンドタイトル後にすぐ後に続いて公開される続編の予告編がつくのがまた妙な感じ。

ヒロインのジェシカ・ロースは「ラ、ラ、ランド」のヒロインのルームメイトをやっていた人らしいが、いかにもアメリカの

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7月13日のつぶやき

2019年07月14日 | Weblog

「パピヨン」

2019年07月13日 | 映画
スティーブ・マックイーン&ダスティン・ホフマン主演の名作のリメイクというのはどんなものだろうか。ほとんど無謀ではないかとはらはらしながら見たら、割と健闘していた。

二大スター共演、という構え自体、今では機能しにくくなっていることもあって、身の丈に合ったというのか、半ば冒険もののような構えた大作仕立てを離れて破綻なくまとめている感。

チャーリー・ハナムはふつうにマッチョでカリスマを無理に出さないようにしていて、レミ・マレックも演技巧者ぶりをことさらに見せつけない。

独房に閉じ込められてゴキブリやヤスデをすりつぶして食べるといった凄惨な描写もオミットされ、淡々とした調子で進む。パピヨンがパリで女遊びしているシーンを入れても全体の尺が短くなっている。
リメイクというのは新しいところを入れようとしたり、観客が昔ほど省略法に慣れていないのに合わせるせいか、えてして長くなりがちなのが逆に短くなっている。

ジェリー・ゴールドスミスの主題曲だけは勝手に脳内再生されるのが止まらなかったが。

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「パピヨン」- 映画.com

7月12日のつぶやき

2019年07月13日 | Weblog



「凪待ち」

2019年07月12日 | 映画
まず香取慎吾の「アイドル」からのイメージチェンジというレベルではないやさぐれっぷりと、原作ものではなくオリジナル脚本で一からイメージを作っていった勇気と役者としての力量に感心する。

ギャンブル依存症のいったん賭け出すと止まらなくなる感じも描出や、脇の社会の底辺を蠢いているような連中を実感をこめて表現したキャスティングも見事。

東日本大震災を持ち出すまでもなく、昨今の日本映画で地方の経済的縮小を背景にするのはむしろ当たり前になっている。

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7月11日のつぶやき

2019年07月12日 | Weblog








「僕はイエス様が嫌い」

2019年07月11日 | 映画
「聖☆おにいさん」にしてもそうだが、こういう具合にキリストを扱うというのは日本以外のあるのだろうかと思える。
一応ありがたいものとして捉えている一方で何かしっくり来ない居心地の悪さと異境に来た少年のありかた一般につなげたのが工夫。

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7月10日のつぶやき

2019年07月11日 | Weblog




「新聞記者」

2019年07月10日 | 映画
冒頭に原案者である望月衣塑子を含めた前川喜平、南彰といった面々が討論している番組(エンドタイトルによるとこの映画のために作ったわけではない「本物」)が流れているので一瞬虚実が混乱する。

原案となっている新書「新聞記者」は自叙伝としての面がかなり強くて、現在進行形の事件を扱っているわけではない。
新聞記者というのは応用のきくスキルを身に着けているので各社を転々としやすい職業で、事実転職も経験しているのだが、めぐり合わせによっては現政権べったり、というより一体の読売新聞に行っていたかもしれない、というのが不思議な感じがする。望月の父親が後になって、行かなくて良かった、あそこは好かないと言ったというのができすぎのよう。

前川喜平に似た俳優が演じる官僚が前川に対して読売新聞が書き立てたトラップを再現した後、再び本物の前川が出演している番組がしれっと登場したりする。この何かめまいのような感覚。

ここでは森友学園、首相の「お友だち」準強姦もみ消し、文書の改竄隠蔽、官僚の自殺といった、今まさに現在進行形の疑惑をもろに再現する、あるいはポップアート的にコピーして、昔の素朴リアリズムによる事件の再現という段階を途中から大きく突き抜け、一見してそんなことあるわけないだろうと思わせるフィクショナルな飛躍を見せる。

しかもそれが望月衣塑子の別著「武器輸出と日本企業」をぐるっと回って彷彿させたりして、現に前だったらそんな荒唐無稽なと笑われそうな事態が平然と現実化している現在、ありえなくはないぞと肌に粟を感じさせしめる。

1986年に極端に報道がワイドショー化したのを受けて、内田裕也企画・製作・主演の「コミック雑誌なんかいらない」という映画がその直前に現実に起きた事件を次々とテレビ画面そのままに再現したのを、当時長部日出雄はウォーホルがキャンベルスープの缶をそのまま描いてみせたポップアートの技法だと評した。
報道は真実に迫るつもりがあるのか、単にコピー生産して消費しているだけではないかという皮肉がそこにはあった。

すでに現実のメディアが権力のパン屑を拾うのに汲々とし、官房長官の会見が記者クラブとのなれ合いに成り下がった現状で空気を見ずに長官に食い下がったことで望月は注目されたわけだが、それを持ち上げるにせよ、叩くにせよ、消費して終わりではこれまでの不毛の繰り返しだろう。

「娼年」「孤狼の血」とリスキーな役を選んできた松坂桃李がここで再びリスクをとって役者としての存在を演技の提供者の域を超えた映画のエンジンとした。
ヒロインを演じるのがシム・ウンギョンというのは、日本人女優でリスクをとる人がいなかったということなら残念。全編日本語による芝居で、訛りもまったくなく、もともと喋れるわけではなかったというから驚き。

山本薩夫が亡くなってから「客を呼べる」社会派映画というのが日本には絶えていた(伊丹十三の「マルサの女」以降の女シリーズといった変化球もあったが)感があって、封切り二週目の新宿ピカデリーを見事満席にしたのはこれ自体立派なことだが、極端なクロースアップ、手持ちショット、真上からの俯瞰といったメリハリをつけながら、全体として静謐なトーンの中に緊張感を保った演出は、テーマや作ったこと自体を褒められるレベルをはるかに抜き出ている。

それにしても、山本薩夫の作品だったら「巨悪」といったスケールの大きい権力悪を見る愉しみというのもアイロニカルにあったわけだが、今の現実の権力悪のなんとしょぼいことか。具体的な姿を完全にオミットしたのは当然と思える。むしろ矮小な分、陰険で悪質。

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