マドンナのナイショ話

あなたに話したいあれこれ

さよなら 愛・地球博

2005年09月25日 | イベント・行事
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愛知万博が閉幕した。
「愛・地球博」の公式HPでは期間中の入場者数は
22049544人とあった。(9月25日最終人数)
当初の目標の1500万人を大きく上回った。
東海地方への経済効果は1兆円を超えたとされる。

「自然の叡智(えいち)」をテーマに3月25日にオープンした。
この時、聞きなれない「叡智」という言葉にどんな意味があるのか
調べたことを思い出す。
しかし万博の人気と共にこの「自然の叡智」という言葉は
すっかりお馴染みになった。

愛知万博の人気で
日本人がいかにお祭り好きかということがよくわかった。
リピーターが入場者数に拍車をかけた。
大阪に住む私でさえ3度ゲートをくぐった。
あの独特のハイテンションな雰囲気。
今でも長久手会場へ初めての第一歩を踏み出した時の感動
忘れられない四月の朝だった。
逸る気持ちを抑えて走ってパビリオンまで行ったことを思い出す。

Yahooニュースでも今日は愛知万博を大きく取り上げていた。
午後1時50分から愛知万博名誉総裁の皇太子さまを迎え
閉会式が行われたようだ。
テレビニュースでも大きく報道されていた。

このところ会場では「さよならイベント」が行われ
フィナーレに向けてイッキに盛り上がっていた。
祭りは盛り上がれば盛り上がるほどフィナーレは寂しい。
もう「モリゾーとキッコロ」には会えないのだろうか?

今日の愛知万博ニュースで目を引いたのは
愛知県瀬戸市の主婦(56歳)が185日間全期の入場皆勤賞。
期間中2度も高熱に見舞われ
点滴を打って25分だけ入場したこともあるとか。
撮りためた写真は約2万枚。CD16枚にもなるという。
「万博は私にとって学校。
教科書なんかでは分からないいろんな国の人と出会って
会話を交わすことで得られる貴重な体験でした。
きょうは私の卒業式です」
瀬戸市に住む主婦のコメントが印象的である。

また愛知万博が盛況だった背景には
地元のトヨタ自動車の強力な支援があってのことだった。
会場の目玉はトヨタグループ館だった。
楽器を演奏するロボットや一人乗りの未来型乗りものでのショーが
人気を集め、いつも長い列が続いていた。

愛知万博は会場の建設費だけで1350億円。
周辺の鉄道や道路の整備に2000億円が投じられた。
日本の苦しい財政からは同じような万博を容易に開催出来ない。

1970年の大阪万博から35年目にしての万博である。
人々の万博への想いも熱くなるはず。

いずれにしても185日間の「愛・地球博」は幕を閉じた。
多くの人の心に「自然の叡智」というテーマを残して。
有意義な185日間だったと思いたい。

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冬のソナタ展

2005年09月24日 | お出かけ
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夕方難波に出かけた。
そして今高島屋で開催されている
かつての人気ドラマ「冬のソナタ展」を観てきた。
久しぶりにミニョン(チュンサン)やユジンに会って来た。

会場内は感動の名場面がパネル写真で展示され
撮影時に実際に使用した衣装や小道具が再現されていた。
第1話から第20話の名場面、今観ても胸キュンになってくる。
主題歌が流れる中で1枚1枚パネル写真を観て行った。
物語を思い出して、もう感極まって涙さえ出てくる。

ヨン様は「冬のソナタ」のドラマよって人気上昇。
やはりこの時のヨン様が一番好きだと言うファンが多い。
私も「冬のソナタ」のヨン様が一番好だ。
会場内に入ると「私のヨン様」だと頭の中はハートマークでいっぱい。
ヨン様を追っかけるおばさまたちの気持ちがよくわかる。

入り口から観て出口に行き、また入り口に戻り出口まで観る。
何度それを繰り返したことか。
嬉しいことに会場内での写真撮影は許可されていた。
「写真撮影許可??もう信じられない」と思わず歓声をあげた。
入り口だけ写真を撮るつもりでカメラを持って来ていた。
こんなサービス嬉しくて、270枚もヨン様を撮っていた。
いかに舞い上がってシャッターを切っていたかがわかる。

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ヨン様グッズも買って来た。
開催されて今日は4目だから完売した商品もあった。
ちょっと残念だけれど宝物が出来た。
「四月の雪」のマグカップも早速使おう。
ヨン様ファンの友達にこの便箋で手紙を書いて出したら
友達はなんて言うだろう・・・と思うだけでワクワクしてくる。

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私はこの物語でユジンとチュンサンが公園で
小さな雪だるまをふたつ作って
雪だるまにキスをさせ、そしてユジンがチュンサンに
サッとキスをするシーンが一番好きである。
冬ソナの曲が流れると、いつもこのシーンを思い出す。

会場にはこのシーンのセットも作られていて私を喜ばせた。
夕方行ったから会場は空いていて写真もたくさん撮れた。
270枚のヨン様の写真、きちんとアルバムにしてファイルしよう。

今夜はきっとヨン様の夢を見るに違いない。
もちろん「冬ソナ」のヨン様。
そしてなぜかユジン役を自分が演じている夢だなんて
それはあまりにも図々し過ぎるだろうか?


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空の日エアポートフェスティバル

2005年09月23日 | エアライン
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伊丹空港で楽しい一日を過ごしてきた。
今日は「空の日エアポートフェスティバル」だった。
この空の日のイベントに参加するのは今年で3回目。
伊丹空港の展望デッキで一日遊べる楽しいもの。
滑走路には飛行機が離着陸するし
チャリティーバザーや模擬店、ライブや数々のショーが開かれている。

11時の開催に合わせて、10時半に到着したがすでに遅しの状態。
何が遅いのかというと航空会社のチャリティーバザーの販売。
先日関空へ行った時よりもっと凄い長蛇の列。
聞く所ではこのチャリティーバザーへの1番乗りは朝7時から並んだとか。
やはりお目当てのレアものを買うには4時間前に並ばなきゃ・・・なのか。

伊丹の展望デッキは横に長い。
北ターミナルと南ターミナルにわかれていて北がJALで南がANA。
どちらのグッズを先に買うために並ぼうか苦渋の選択をしなきゃいけない。
JALの方が品数が多そうなので私はJALの方に並んだ。

ここでは混乱を避けるために30人ずつ10分間の買い物で
完全入れ替え制で行われた。
1時間後にやっと入場出来たから私は180番前後に並んでいたようだ。
グッズが売れてしまわないかともう気が気ではない。
やはり人気のレアものから売れていき、張り紙が外されていく。
う~ん!参ったなぁ・・・。

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やっと順番が来た。
取り合えず片っ端から袋に入れなきゃ売り切れる。
あれこれ迷っている時間はない。
余計に気持ちを掻きたてられる。
これは阪神タイガース優勝記念バーゲンより凄いぞ!と思いながら
袋いっぱいバザー商品を詰め込んだ。

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今度は南ターミナルのANAへと走る。
1時間以上経ってもまだ並んでいる。
「お並びのところ大変申し訳ありませんが
あと10分ほどで完売です」というアナウンスが流れた。
生きた心地がしないとはこのこと。

並んでいる人に聞くと、今年はANAの方がレアものがあったとか。
やはり失敗したなぁ・・・と悔やまれる。
もうほとんど商品がなくなりかけていたけれど、残っているものを買った。
お金を支払うと「完売しました」のアナウンスが流れた。

エアライングッズ放出のチャリティバザーとはこんなもの。
いかにマニアが多いか痛感させられる。
ANAやJALのロゴ入りに目の色が変わる自分に笑う。
でも何とかダンボール箱1杯分くらいのものを手に入れた。

あとは展望デッキでたこやきやかき氷を食べながら
ショーやライブを楽しんだ。
今日から連休だから増便されているのだろうか?
ウイークデーより飛行機の離着陸が多いように思う。
カメラのポイントを滑走路や空に向ける。
私が最もイキイキとした表情で写真を撮る時だと思う。

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飛行機に興味を持ち始めたのが2003年4月。
HPを開設した年の春に、1枚の飛行機写真を
ある人に褒めて頂いたのがキッカケとなって
私の飛行機への憧れが広がっていった。
今では永遠のテーマとして追いかけている。

今日は嬉しいことにポケモン君にも会った。
なかなか会えないポケモン君を伊丹の滑走路で夢中で撮った。
写真は「マドンナの夢ギャラリー」の今日のギャラリーに載せた。

嬉しい一日だった。楽しい一日だった。
私の「空の日・2005」は終わった。

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くもりのち晴れ

2005年09月22日 | 日記
昨日のハイテンションはいったいどこへやら?
がんばり過ぎたツケが回って来たような朝からの偏頭痛。
テンション、イッキにリバウンドで今日は朝から気が乗らない。
こんな時はタイミングの悪いもので
息子が月に3~4回ある夜勤明けで今日の午前中に帰宅する。
それだけで私の静寂が破られて頭がクラクラしそうだ。

一晩夜勤の勤めを果たして帰って来る息子に
「あんたが帰ると静寂が破られて、頭クラクラしそうだ」とは
口が避けても言えない母親。
気を取り戻して、洗濯と後片付けを始めた。

夜勤明けで息子が帰ると、たいてい二人でランチに行く。
部屋着を着て家でテレビを観ながら食べるより
少しおしゃれして二人でどこかのレストランで食べる方が
不思議なほど会話が弾む。
日曜日の家族での外食とはまた違う雰囲気や意味がある。
この夜勤明けの二人ランチ。
ここでは息子の成長を垣間見て、思わぬ発見が出来るのも事実だ。

地元にはたくさんのグルメなレストランがあるので
社会人になった頃は、そんなところへ行っていたのだが・・・
息子は子供の頃よく連れて行ったファミレスが一番落ち着くらしい。
今日もフレンチのお店を候補に挙げたが息子はファミレスを指定した。

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息子はサーロインステーキ。
私はハンバーグステーキと定番のランチを注文した。
明日からは三連休だ。
そして今日は息子の繰上げの給料日。
ライブに飲み会に合コンと日替わりで忙しいと言う。

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息子が最近よく訊いて来ることがある。
「波長が合わない人との付き合いはどうしたらいいか?」って。
そんな人間関係のことをよく訊いて来る。
きっと色々な上司や同僚がいるのだろう。
私は「そうね。それは自分の修行だと思っている」と答える。
「それで自分自身が大きくなれるのだ」と言ってやる。

社会人になるとどんな人とでも争いなく付き合わなきゃいけない。
好き、嫌いで人間関係を選べない。
自分の置かれている環境に順応しなきゃいけない。
でもどんなに嫌いな人でもいいところはあるし、そのいいところを見つけて
好きになっていくようにしたいと私は教える。

「例えば屈託のない笑い方をするとか、整理整頓がよく出来るとか
その人の素晴らしいところを認めてあげるのよ」と教える。
実際それは難しいことでも母として、子供の質問には言い切る。
そして自分はどうなのだ?と心の中で自問自答している私がいる。

子供は幾つになっても教育しなきゃならない時がある。
子供は親のあやふやな答えを求めていない。
疑問には毅然とした態度で答えてやるのが私の教育方針である。
もう知識ははるかに子供たちの方が上である。
でも心はまだまだ若輩者である。

親とは幾つになっても子供を教育するものである。
私の母は今私に「老いる」ということを
自分の体を張って教えているように思う。
そして親は必ず子供より先に死ぬ。
「死」ということを自分の命と引き換えに子供に教えるのだと思う。
それが親としての最後の教育であると・・・。

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今日も二人で熱い論議や旬の話をしながらランチして
息子はレンタルビデオショップへ。
私は予約していたリラクゼーションルームへ行った。
今日は時間延長して90分のコースにした。
アロマテラピーとリフレクソロジーをセットにした。
最後の15分はどうやら眠ってしまったようだ。

施術を受けながらでもおしゃべりな私は会話が弾む。
もうすぐ万博が終わりねの話から、連休の予定。
動物の話や心斎橋そごうや阪神タイガースのことで盛り上がる。
会話とは次から次へと繋がっていくものだ。

施術する方とされる方が90分無言というのも
コミュニケーションが出来なくて哀しいものだ。
お互いがいい関係で接したいと思う。

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終わった後はいつもハーブティーを入れてくれて
またソファーで寛いでお話する。

朝の偏頭痛はどこへやら・・・。
「病は気から」とはよく言ったものだ。
息子とのランチとアロマテラピーが私の偏頭痛を治してくれた。
私の心と体は「くもりのち晴れ」

明日から連休が始まる。
先ずはカメラを持ってお出かけしたいと思う。
秋の草花はもう咲いているだろうか?





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帰郷

2005年09月21日 | お出かけ
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有田に帰って来た。
空き家になって1年半が過ぎる。
私は1年ぶりの帰郷だ。
今回母の用事で有田に帰りあちこち駆けずり回り
超過密な一日を過ごして帰って来た。

朝6時半に家を出て帰宅したら夜の8時半だった。
それでも疲れ知らずというのは
きっと故郷の空気をいっぱい吸って来たからだと思う。
廃線の有田鉄道の脇で摘んだ彼岸花を帰りに母の病室に届けて
今日のことを報告したら嬉しそうな笑顔を見せた母。
よかったと思った。

故郷の駅に降り立つと従姉妹が車で迎えに来てくれていた。
そして一日付き合ってくれた。
先ずはお墓参りに行き、従姉妹とお墓の掃除をした。
ご先祖さまに手を合わすと、お願いしたいことが溢れてくる。
「久しぶりに来てそれはないだろう」・・・と
お墓に眠る母の里の祖父母に叱られそうだった。

お墓参りの後は役所や母に頼まれた用事を済ませた。
結構時間がかかったけれど、一仕事終わったあとは嬉しい。

おまけにここは私の生まれ育ったところ。
やはりこの地に降り立つと「水を得た魚」のような気持ちになる。
とにかくテンションが高くなるのだ。
私をエネルギッシュな気持ちにさせる故郷はとても偉大だと思う。

次は母が有田在住の時にお世話になった母のお友達10数軒へ
心ばかりの手みやげを持ってご挨拶に行った。
この方たちはいつも母と仲良くしてくれて、いつも遊びに来てくれていた。
私も懐かしくて、お会いした人と話が弾む。
みんなは母のことを訊いてくださる。
私は「うん、母は元気!元気!とっても達者だから」と言うと安心してくれた。

従姉妹と「ここは美味しい」というお薦めのお店でランチした。
10数軒もイッキに回って「ハードだったとね~」と話ながら
「やっぱりここのお料理は美味しいわ」とおしゃべり三昧で食べた。

ランチの後、同級生の家にも行った。
今一番身近にいる同級生かもしれない。
私のBBSに時々カキコしてくれるコニP君。
彼とは幼稚園の時からの付き合いで、気心が知れている。
私にとってホッとする存在でもある。

地元でお商売をされているから、もしかしたらいないかも?
・・・・・と思ったし、帰ることも知らせていなかったから期待は五分五分。
留守ならば奥様とお話するだけでいいやと思いきや
懐かしのコニP君はいたではないか。
「上がって行きな~~」なんて嬉しいこと言ってくれたけれど
気持ち急いているし、従姉妹もいるしでほんの数分話をしただけ。
それでも気持ち和んで、段々と透明に透き通っていくようだ。

最後になったけれど母の主治医であったNON先生を訪ねた。
事前に訪問をお知らせしていたので、午前中の診察も終え
午後の往診も終えて待っていてくれていた。
先日ブログに「猫好きの女医のこと」として(9/11)載せたNON先生だ。

クリニックの玄関には先ず猫の郵便ポストらしきもの。
待合室を見渡すと・・・  診察室を覗くと・・・
やっぱりたくさんの猫グッズに囲まれてお仕事されていた。

私の大好きなニャン、ヴィトン君がいない。
それにエルメス君やシャネル君も外出中で会えなかった。
でもとっても甘ったれのボス君が歓迎してくれた。
う~ん!ボス君がスリスリしてくれた。

NON先生にもこころばかりのおみやげを持参したら
さっそく人気のブログ「ねころぐ」に写真を掲載してくれた。(嬉しい!)
NON先生ならきっと喜んでくれるだろうと思って買い溜めていた猫グッズ。
やはり大いにNON先生を喜ばせた。
包みを開けて「猫」が出て来た時の顔
それはドクターでもキャリアウーマンでもなく、まるで少女の顔になる。
一瞬、たまらなく可愛い妹だと思う。

待合室で1時間くらいお話したかな?
もう帰らなきゃ・・・で。
従姉妹が駅へと車を走らせてくれた。
この従姉妹には今日は一日お世話になった。
有難いことだと、心から感謝した。

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稲は黄金色に実り稲穂が垂れて
みかんがほんのりと黄色く色づき始めた。
廃線の有田鉄道線路脇にはたくさんの彼岸花。
裏山はいつも雄大で、悠々と流れる有田川。
ピュアな空気を思いっきり吸って、
とても豊かな気持ちで岐路に就いた。

私にとって最高に素晴らしい一日だった。






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