還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

1回目の診察

2010年11月17日 | 歯と口腔内の健康
今日定時後に、歯医者で診てもらいました。
予約取ってないので、40分くらい待たされましたが、呼ばれてからは丁寧に診ていただけました。痛んでいる歯は2年前に治した歯でしたが、もう抜歯しかないかもしれないほど、傷みが激しいそうです。
私の勘違いで今年の初めに治した歯の隣の歯でした。

今日は金属の被せを取り外して炎症を止める治療でした。
歯茎を押さえたら膿が出たそうです。
とりあえず、痛みは治まりました。

ワーファリンを飲んでいると初診のアンケートに書いたので、心臓がお悪いのですか? と聞かれました。弁膜症の手術を2ヶ月前に受けたと言いましたところ、今度の診察時には薬のリストを持ってきてくださいと言われました。

まだワーファリンの調整は不要とのことです。治療していただけそうで、よかった。

手術翌日--9月15日(水)-4

2010年11月17日 | 入院(一般病棟~退院)
午後3時前、3D病棟に戻ってきました。部屋はナースステーションすぐそばの個室(D304号室)です。手術後は個室に入ると聞いていましたが、この部屋がそうです。広いですし、何かあれば看護師さんが飛んで来てくれます。滋賀医大附属病院では心臓手術の後はいったん個室に入るシステムになっています。

入室後はいったん寝かされました。点滴が左、胸腔ドレーンが右、なお、窓が右側で床頭台も右側です。点滴スタンドが左にあると右の胸腔ドレーンとで両手に花? 状態になり、動きにくいというより、実際動けません。
それで点滴のスタンドを右に移動しスタンド下部にドレーンパックを固定し、スタンドを右に一本だけにしていただきました。
それから酸素は経鼻カニューラを付けられました。手厚い看護です、はい。
ベッドを離れるときは準備が面倒ですが、これなら何とか動けそうです。
ほんと、めちゃめちゃ準備が邪魔くさかったです。

そして看護師さん達が退室後、しばらくすると妻が来ました。
ICUでは長時間の面会ができないので、午前の面会後はどこかで時間をつぶしていたのですが、私の顔を見るなり、この人誰といったような表情をしていましたよ。
その妻を見て私は??
私の顔がむくんで満月のようになっていたそうです。手術時の点滴による水分過剰によるむくみなんですよね。
水分が多量に体に入っているので、顔も手もむくんでいます。指もむくんでいて手が握れませんでした。

それ以外に何をしゃべったのか覚えていませんが、4時頃に妻は帰宅しました。
入れ替わりにリハビリの先生が来室されました。
まずベッドから起きる手順について教えていただきました。
体を右に90度捻って足をベッドから下ろす。
つぎに右腕を体の下に入れて肘で支えて体を起こす。
そしてベッドに座る。
こうするのがもっとも痛くない方法だそうです。ゆ~~っくりと時間をかけて・・・・まあ時間はいくらでもありますから(笑)
こうやって座ってしまうと別に痛くはないんですよね。座るまでは痛いですが・・・・
そしてその次は歩行訓練です。
「豆パパさん、歩けそうですか?」
「・・・・はい・・・・」
『しんどいのにもう歩くの・・・・』←心の声
でもこれが正念場、リハビリの第一歩です。がんばらなきゃ。

滋賀医大心臓血管外科が標榜する、
術翌日から積極的なリハビリを行うことで初めて可能になる、
Super Fast-Track Protocol(超早期回復管理)、これです。

一応念のため歩行器を用意いただきました。これに手を添えてナースステーションの前を行ったり来たり。1往復の予定でしたが足取りは大丈夫だったので大変ゆっくりではありますが2往復、歩けました。
距離にして100mくらい歩いたでしょうか。立ち上がってしまうと歩けるものですね。
部屋に戻りベッドで休憩、横になるとまた起きるのが大変なのでなるべく起きていようと思いました。
実は横になるのも痛いし時間がかかるのでそれなりに大変。それなら起きてる方がマシってことです。

意外なことに音楽を聞く気にならず、もちろん本など読む気力はありません。
夕食まで、ベッドに座った姿勢のままでぼんやり外を見ていました。
食事のお茶は原則自分で汲みに行くのですが、この日から3日間くらいは給食部の方が来てくれたときにお願いしました。離床の準備作業が大変なので・・・・

夕食は、やはり半分くらいしか食べられません。胃が受け付けないとか食欲がないとかじゃないのですが、なんて言ったらいいのでしょうね、噛む気力が萎えてしまうといった感じでした。
その後知り合い1人にメールしたところ、すぐ返事があり、もうメールできるの と、驚かれました。

でも1人に打つのがやっとでしたけどね。その夜は、胸腔ドレーンの水封の音がうるさくてあまり眠れませんでした。

この日は入院中で最も苦しい日になるのだろうな・・・・眠れぬまま、そんなことを考えていました。
しかし苦しいけど、歩けたじゃないか。もう1往復くらいは歩けたはず。
そしてこうも考えました。明日目が醒めたら、今日より楽になっているはずだ。
あさってはさらに・・・・2週間後の退院目指して~~
先生は手術がんばってくれたんだし、明日からは私がリハビリがんばる番だ。
リハビリ科に世話になるだけじゃなくて、やることなすことすべてリハビリのつもりでがんばろう。

でも、しんどかったです、はい。