本日の映画鑑賞は“ならず者”。
芦原伸『西部劇を読む事典』で得た知識に従って、アメリカの歴史をお勉強しようという動機から行くと、あまりふさわしい選択ではない。
確かに原題は“The Outlaw”だから、法律に関係ないわけではない(直訳すれば「法の外にいる者」である・・)。
しかし、昨日ヨドバシカメラ吉祥寺店でこのタイトルを選んだ本当の理由を正直に言えば、芦原本の解説に、ジェーン・ラッセルが「洞窟で半裸のまま吊されたり、荒野を乳房を振り乱して遁走する」など、そのセックス・アピールで評判になった映画であると書いてあったからである(299頁)。
いくらアメリカといっても、1943年にそんなシーンが許されていたのだろうかと半信半疑で観たのだが、予想通りの結果であった。上に引用した言葉を今日的な文脈で解釈したら、その期待(?)は見事に裏切られるだろう。
内容は、ビリー・ザ・キッドもの、舞台はニュー・メキシコである。この映画に描かれているキッドはきわめて現代的である。ドク・ホリディから盗んだ馬をあくまで自分のものだと言い張るあたりは、最近の非行少年を扱った書物などで紹介されている非行少年の「自己中」ぶりとそっくりである。芦原氏は、キッドを義賊というか義憤に駆られた者とみているが、“ならず者”ではそのようには描かれていない。
ビリー・ザ・キッドとドク・ホリディ、パット・ギャレットとの関係など、どこまで史実なのかはぼくにはまったく分からない。“荒野の決闘”では、ドク・ホリディはOK牧場の決闘の際に、ワイアット・アープの助太刀をして撃ち殺されていたが、“ならず者”では、パット・ギャレットに撃ち殺されている。
映画なんてものはしょせんは娯楽で、観て楽しければいいのであって、ぼくみたいに、「お勉強」としてみるなどは邪道である。
芦原本によれば、サム・ペキンパーの“ビリー・ザ・キッド--21歳の生涯”が一番史実に忠実だという(227頁)。
一般には、ビリー・ザ・キッドは、バット・ギャレットに後ろから撃たれて死んだことになっているらしいが、この映画では、ギャレットが殺して埋葬したことにしておいて、実は愛人とともにどこかへ消えて行ってしまったことになっている。
ビリー・ザ・キッド役の役者(ジャック・ビューテル)も、キッドとともにどこかへ消えてしまったようだ。芦原本には、キッド役を演じた多くの役者のことを書いたページがあるが、ジャック・ビューテルというのは名前が出ているだけである(225頁)。
パット・ギャレット役は、“駅馬車”で飲んだくれの医者だったトーマス・ミッチェルという役者である。どうも、この役者の演技がぼくは好きになれない。アカデミー助演男優賞を3度も取ったというが、アメリカ人はいったい彼のどこが好きなのか・・。
* 写真は、キープ(KEEP)版“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画[青41] ならず者”のケース。原題は“The Outlaw”ハワード・ヒューズ監督、1943年。
音楽はビクター・ヤングだった。