芦原伸『西部劇を読む事典』には、彼が選んだ「今のうちに観ておきたい西部劇70選」(270頁)と、「必ず観ておきたいクラシック西部劇30選」(315頁)というリストが載っている。
「今のうちに観ておきたい~」というのは同書が出版された2003年頃に、既に町の貸ビデオ店の店頭から消えつつある西部劇ビデオ(ないしDVD)ということである。
これらのリストによって、彼の考える西部劇ベスト100は分かるのだが、あれほどの西部劇マニアの彼がどの映画をベスト1と考えていたのかは、ぜひ知りたいところだが、書かれていない(と思う)。
ぼくにとっては、西部劇映画のベスト1は“駅馬車”である。
大した本数を見たわけでもないので、「ベスト1」だの何だのという資格はないのだが、個人的にはこれしかない。理由は2つある。
1つは、“駅馬車”が親父と二人で見に行ったたった1本の映画であること。くそ真面目な勉強家だったぼくの父親は、映画などにはまったく関心を持っていなかったのだが、ぼくが中学生だった頃、ある日突然「“駅馬車”を観にいこう」と誘ってきた。
たぶん映画好きの研究者仲間の誰かに影響されたのだろう。
キネマ旬報の『アメリカ映画作品全集』の“駅馬車”の項目(淀川長治の執筆である!)をみると、1951、53、62年日本公開とあるから、1962年、ぼくが中学1年生のときだろう。出かけたのは日比谷映画だった。
きのう再び見たのだが、ストーリーはほとんど忘れていた。
“駅馬車”がベストだと思う2つ目の理由は、主人公がジョン・ウェインであるうえに、彼が求婚する相手が商売女だったことである。
キネマ旬報の淀川解説では「商売女」だが、水野解説では「酒場の女」、芦原本では「娼婦」となっている(139頁)。
芦原本にも書いてあったが、当時のアメリカ西部の「サルーン」というのは、決してヨーロッパの「サロン」ではなく、場合によっては売春宿でもあったらしい。
いずれにしろ、ジョン・ウェインはそのような女に求婚し、ジョン・フォードのカメラも、彼女を追出したキリスト教婦人然とした中年女や、騎兵隊大尉夫人などよりも、彼女を好ましい存在として描いている。
西部劇は、アクションものの形を借りたラブ・ロマンスのことも少なくないが、“駅馬車”に描かれたロマンスは、ぼくはきらいでない。
前にも書いたけれど、ぼくの大好きなサマセット・モームが『お菓子と麦酒』の「まえがき」で、10代でトマス・ハーディの『テス』を読んだモームは、テスのような乳絞り女と結婚したいと思ったと書いていたが、モームのテスに対する思い、あるいは、モームの温かい筆で描かれる『お菓子と麦酒』の女主人公ロージーのような女性への憧れが、“駅馬車”の二人にも感じられたのである。
ぼくたちの大学受験時代、頻出の現代国語の筆者の一人に精神科医の島崎敏樹がいたが、彼の本のどれかに、「男が理想とするのは、母性と処女性と娼婦性を兼ね備えた女である」といった内容の文章があったのが今でも印象に残っている。
もちろん不満はいくらでもある。インディアンの襲撃の必然性のなさ、ただ単にスペクタクル場面が必要というだけなのではないか。
しかも、その襲撃シーンをほめる者もあるが、駅馬車に追いついたのに襲撃することもなく、ただ並走するだけのインディアン、駅馬車の馬に乗り移ったものの、ジョン・ウェインに撃たれたはずのインディアンが落馬した後に平然と立ち上がるシーンが映っている場面などもあった。
飲んだくれの医者というのも、ステロタイプなうえに、いかにもご都合主義的な配置である。これでアカデミー助演男優賞というのも理解できない。
でも、やっぱり、ぼくの西部劇ベスト1は“駅馬車”ということにしておこう。
* 写真は、キープ版“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画[黒41]駅馬車”のケース。原題は“Stagecoach”。ジョン・フォード監督、1939年。
ケース裏の解説に、“駅馬車”はジョン・フォードが「サマセット・モームの『脂肪の塊』に材を得た」などと書いてあって、ビックリした! 『脂肪の塊』はモーパッサンでしょう。他の解説は大丈夫なんでしょうか・・。