豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

東京の雪(2008年2月3日)

2008年02月04日 | あれこれ
 
 東京は久しぶりに雪が積もった。

 ぼくが大学を卒業した1974年3月25日の翌26日も東京は雪だった。あの日、ぼくは当時好きだったゼミの同級生の彼女に頼まれて、大学まで彼女の卒業証明書を取りに行った。彼女はその日の早朝から、入社する会社の合宿研修に出発していた。山手線の内回りに乗って、窓から東京の雪景色を眺めていた。

 きょうの雪に誘われて学生時代の日記をめくると、1974年3月27日の日記には、
 
 午前5時13分。パック・イン・ミュージック火曜日第2部、滝良子が終わって暫くの時が経った。深夜放送は、きょうを最後にしよう。
 学生生活はまもなく終わる。卒業式の二次会、あのゴーゴー・クラブの暗い廊下を走り去っていった彼女の後ろ姿が脳裏によみがえってくる。もう彼女と会うことはない。

 --愛は戦いである。しかもそれは、力による戦いより幾百倍も苦しい。なぜなら、愛の戦いにおける武器は、ひとり信のみなのだから。娘よ、このことを覚えておいてほしい。おまえが愛の戦いに苦しむとき、ためされているのは、おまえの信なのだということを。

 --などと、引用するためにキーボードを打っているのさえ恥ずかしくなる文章が認められている。「愛は戦いである・・」という文章は多分マルタン・デュ・ガールの“チボー家の人々”からの引用だと思う。
 自分に言い聞かせるための引用だったのだろうが、実は、その後の彼女の人生へのはなむけのような言葉だった。

 ぼくとは何の関係もなく、やがて彼女は、当時付き合っていた同級生の彼と別れ、その後、長いこと社内の妻子ある上司と不倫にあり、30歳を大きく過ぎてからその彼と結婚したと風の噂に聞いた。

 何事もないように、年賀状だけは毎年届いた。その噂を裏書きするようにある年、苗字が変わっていた。その頃は、彼女への未練はとうに消えていたどころか、ぼくも既に結婚して上の子どもができていた。
 今年の年賀状には、彼女の下の子どもが大学生になったと書かれていた。確実に一つの世代が代わったのだ。

 イルカの“なごり雪”を聴くと、いつもあの卒業の年の3月26日の山手線から眺めた雪景色を思い出す。ただしイルカの“なごり雪”がリリースされたのは翌年の1975年だから、卒業式の翌日の雪の思い出に、あとから“なごり雪”かくっついてきたようだ。
 ぼくがカラオケで“なごり雪”を歌うと、学生たちが上手いとほめる。それはそうだ。こめられた思いに年季が入っているのだから。

 (* 写真は、わが家の二階から眺めたきょうの雪。雪の屋根を俯瞰で眺めていると、チャン・イーモウの“紅夢”を思い出す。印象的な雪だった。密告した妾が拉致されて殺されるシーンのあの雪の屋根。早朝の雪の静けさの中に、殺される女の絶叫が響き、やがて雪の中に消えていく。あの映画の「紅」は雪の白さを際立たせるための脇役にすぎない。)

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