6月以来、ホッブズの翻訳書を難渋しながら読んできたが、先月の『リヴァイアサン』第3部、第4部でいちおう主要な著作を読み終えた。さすがに疲れ気味なので、ここ数日は軽い “軽井沢もの” を読んでいる。
軽井沢町編『軽井沢文学散歩』、小川和佑『“美しい村” を求めて』を読んでいるうちに、その中に登場する作家たちの小説かエッセイを読んでみたくなった。
堀辰雄は何冊か家にあるはずだが、物置を探すのは暑いし億劫である。そこで書店に行って探したが、なんと堀の作品は1冊もなかった。つづいて古書店に行ってみたが、ここにもない。文庫本の棚の著者名<ほ>を探すと、ぼくの知らない「ほ」で始まる作家(?)の次は「堀江貴文」の刑務所体験ものだった!
何という時代になったのか。
仕方なく家に戻って、物置をあさって『大和路・信濃路』(新潮文庫、昭和52年10月33刷、160円)と『風立ちぬ・美しい村』(新潮文庫、昭和39年11月40刷、90円)の2冊を探し出した。
堀はもう少し読んだ記憶があるが、どうやら軽井沢においてある「少年少女現代日本文学全集」(偕成社)の「堀辰雄名作集」で読んだようだ。ぼくは中学生時代まで、この「少年少女全集」のお世話になっていた。
印刷年月からみて、『風立ちぬ』は中学3年の頃、『信濃路』は20歳代後半のサラリーマン時代に読んだようだ。
きょうは『信濃路』から、「雪の上の足跡」「雉子日記」「信濃路」「木の十字架」を読んだ。
この本の最終ページには、青インクの万年筆で「1978.8.2.(水)am 3:05 FM 東京/法セミ8月号の出張校正から帰宅/2階の座敷、クーラアで涼しい。“雑記帳の表紙の絵” はいい!」と書き込みがしてあった。
“雑記帳の表紙の絵” は、「雪の上の足跡」の最後の方に出てくる。
村(追分)の雑貨屋で10銭くらいで買ってきた雑記帳の表紙の絵のことである。雪の中に半ば埋もれている1軒の山小屋と、向うの夕焼けした森と、家路につく主人と犬という絵はがきのような紋切り型の絵を、堀は「スウィスあたりの冬景色」だと思っていたが、のぞき込んだ宿の主人が「それは軽井沢の絵ですね」と言う。
そう言われると、堀も、冬になって雪に埋もれると、軽井沢にもこんな風景ができるのかもしれない、そして「絵はがきのような山小屋で、一冬、犬でも飼って、暮らしたくなった」というのである。
水道管も凍る冬の軽井沢での越冬など、今では真っ平だが、20歳代の頃のぼくは、こんな軽井沢での冬の生活に憧れていたのだろうか。そんな状況になれば、苦手な犬でも好きになれるかもしれない。
当時のぼくは、今よりはるかに<赤ままの花を歌うな>派だったようで、「木の十字架」のなかで「その夏(1939年と朱で書きこんである)、軽井沢では、急に切迫しだしたように見える欧羅巴の危機のために、こんな山中に避暑に来ている外人たちの上にも何かただならぬ気配が感ぜられ出していた」、津村信夫に誘われて、旧軽井沢の聖パウロ教会のミサに出かけた折も、「その(教会の)柵のそとには伊太利大使館や、諾威(ノルウェイ)公使館の立派な自動車などが横づけになり」、その日は丁度「ドイツがポオランドに対して宣戦を布告した、その翌日だった」という個所に朱線が引いてあった。
※ 下の写真は、旧軽井沢三笠にある旧スイス公使館の建物。
ぼくは第2次大戦中の軽井沢に興味を持ち続けてきたが、堀が時局についてこのように書いていたことが印象的だったのだろう。ただし堀は教会内で、彼らを追い越して教会に入って行ったポーランド少女の姿を目で探したりもしている。
最近読んだ「軽井沢文学」ものは、いずれも戦争中の軽井沢文人のことをあまり語っていない。小川の本に、日中戦争に対する川端の傍観者的な発言と、戦時中ナチス礼賛者になった芳賀檀のエピソードが出てきたくらいである(『“美しい村” を求めて』168~170頁)。
※ 「木の十字架」のなかの、ぼくが朱線を引いた個所は、戦争中の作品で「戦争」ということばを一言も発しなかった堀の数少ない戦争への言及だったようだ。
堀をめぐる座談会で、佐多稲子は「戦争が始まった初期の時分に、軽井沢の教会で各国の外国人が集まって、たいへん緊迫した微妙な雰囲気だったということを書いてますでしょう。あのくらいで、あとは書いてないのですよ」と発言している(「昭和の文学 堀辰雄」堀辰雄『風立ちぬ/ルウベンスの偽画』講談社文芸文庫(2011年)298頁)。
佐多が言っているのは「木の十字架」のぼくが朱線を引いた個所だろう。佐多は、戦争にふれないことが堀さんの強いところだと言うが、そうだとしたら、「木の十字架」のあの部分はなんだったのだろう。いずれにせよ、1978年、28歳だったぼくはそこに朱線を引いた。
* * *
そういえば、数日前に、安西二郎『軽井沢心理学散歩ーー別荘族からアンノン族までーーこの不思議な町を知的に解読する』(PHP研究所、1985年)という本も読んだのだった。
ぼくには苦手な “軽井沢もの” だった。
あえて収穫といえば、あの懐かしい「ペールグリーンの屋根の」<グリーン・ホテル>が、堀の「ルウベンスの偽画」に出てくること、本書が出た1985年当時はまだこのホテルが現存していたこと(194頁)、千ヶ滝には戦前には音楽堂があり、それが1985年当時は<西武ショッピング・センター>になっていたらしいこと(234頁。千ヶ滝にある<西武ショッピング・センター>はおそらく西武百貨店軽井沢店>のことだろう)、ぼくが中学生だった頃に、祖父と一緒に買い物に出かけた旧軽通りの、看板の店名がドイツ語で書いてあったドイツ食材屋<デリカテッセン>が、茜屋珈琲店の隣りにあったことを確認できたこと(77頁)くらいか。
2021年10月5日 記 (2021年10月10日 ※部分を追記)